ドイツ、イタリア、日本を下し、勢力圏としたナポレオン6世率いる。フランス第三帝国。東京五輪も終わり融和ムードの国際社会の中、1943年2月、ソ連がフィンランドに侵攻。

 

フランス帝国はこれに対し介入を宣言。フランス帝国率いるフランス連合とソ連の戦争がはじまりました。

 

しかしながら、将校の大粛清後まともな実戦を経験していないソ連と、枢軸国相手に戦い続けたフランス帝国では練度に明瞭な差があります。国境沿いにて、ドイツ、イタリア、ルーマニア、ボヘミア軍と共同で一斉に進撃開始。極東の日本も、これに呼応し対ソ進軍を始めています。

 

規模でいえば、ソ連一国でフランス連合全ての陸軍師団数を上回りますが、いくつもの戦線が構築されている関係上、東欧正面でもそれほどの物量差がありませんでした。

 

日本帝国海軍と戦った歴戦の海軍航空艦隊をバルト海に派遣し、制海権を掌握していたため、バルト海を通じてエストニアにドイツ軍が上陸。ソ連軍を誘引しています。

 

 

さらに、これを好機と判断したか、アフガニスタン共和国あらため、新アフガン・ハン国がフランス連合への加盟と対ソ宣戦を申し出てきました。ファシストと手を組むのも難ですが、少しでもソ連を分散させたいため、一時的に手を組みます。

 

とにかく包囲殲滅を繰り返し、少なく見積もって2個軍は殲滅したにもかかわらず、前線が薄くならないのはさすがソ連と言ったところでしょうか。しかし確実に、フランス連合軍は前進を重ねます。

 

イタリア軍、黒海を通りクリミア半島およびカフカース方面に上陸。背後を脅かされたソ連軍はさらに戦力が分散し、これを好機ととらえ南方面で一気に攻勢強めて上陸したイタリア軍と合流。南のソ連軍を殲滅しました。

 

やがてモスクワも攻略。かつてナポレオン1世がたどり着いたモスクワを、1世紀を経て再び占領しました。さらにはレニングラードも陥落しています。フィンランドは歴史上成しえていなかった、大フィンランドを手中に収めました。

 

極東の戦線でも、日本軍と朝鮮軍の協同攻勢により沿岸部を完全に攻略していました。

 

1944年7月、これまでの戦いでソ連は650万人もの損害を出しているにもかかわらず抵抗を続けていました。しかし既に勝勢は決しており、最終的に1944年の冬を目前としてソ連が降伏。

 

かつてのロシア内戦で、臨時政権が置かれたウファにて講和条約が締結されています。

 

 

レニングラードの割譲までは認められなかったものの、フィンランドは大幅に領土を獲得し、完全な大フィンランドではないものの、歴史上最大版図となっています。

 

また、ソ連の占領下だったリトアニア、ソビエト政権だったエストニアは政権を新たにし、フランス連合に組み込んでいます。

 

 

極東では、日本帝国が南樺太を含む樺太全土と千島列島を恢復したのみならず沿岸部とシベリア北部をロシアより割譲。満州とモンゴルを含めた地域では清を復古させています。

 

 

元凶となるソ連は完全に解体され、新たなロシア政府が成立しています。しかし代償として大幅な領土縮小を余儀なくされ、かつての連邦は見る影もありません。

 

極東沿岸部は日本と清、朝鮮に割譲。中央アジアは清とアフガン・ハン国、新たに独立したカザフ・ハン国に分割。

 

カフカース地方は、フランスとドイツに割譲。ウクライナのクリミア半島はイタリアに割譲。白ロシアの一部をエストニア、リトアニアに割譲。

 

ソ連消滅、ロシアを傀儡としてフランス連合に引き込んだことで、かつてのロシア遠征のおける、苦い敗北の復讐は完了しました。

 

のこるはイギリスが音頭をとる連合国のみです。オランダとベルギー国境沿いに軍を展開し、戦争準備を進めます。連合国もこの態度を見て臨戦態勢を整えています。

 

1945年8月、ワーテルローの復讐を果たすべく、連合国相手に宣戦布告。フランス連合と連合国が戦端を開きました。

 

イギリス大陸派遣軍を含むベルギー軍、オランダ軍を殲滅。しかし大ブリテン島に上陸するために、フランス海軍と空軍を総動員して派遣。史実のバトル・オブ・ブリテンも真っ青の死闘になりました。