ラヴァルの新政権になったフランス第3共和国。隣国スペインが、カルリスタ派、フランコ派、アナーキスト派と三つ巴の内戦をしている中、ドイツはラインラント進駐。

 

フランスはまだ王制or帝政復古ツリーを進めることができないため、とりあえず本国州および植民地の開発、陸軍の再軍備ツリーを進めます。新国家方針では、開発を進めることで一挙に民需と軍需工場を増やすことができ、フランスを大幅に強化することができます。

 

スペイン内戦は、カルリスタ派が勝利。ひとまずイベリア半島の内乱は終わっています。

 

1938年半ば、【憲法改正】の国民精神を喪失したことで、国家方針【亡命法の撤回】を選択。君主主義回帰の前段階へ進みます。これにより、政治力に大幅なデバフをもたらしていた国民精神【政治的準内戦】を取り除けます。

 

一方でドイツはオーストリアを併合。

 

 

 

ミュンヘン協定。イギリスの宥和に反し、フランスはチェコスロバキアを支援することを宣言。ドイツは強硬な措置を実行し、チェコスロバキアへの侵攻を開始。フランスは新たな陣営【フランス連合】を立ち上げますが、参戦はしません。

 

この段階でチェコスロバキアを救うことはできませんが、数年後にナチスドイツを打倒しチェコスロバキアを解放することを目標とします。

 

 

チェコスロバキア全土を併合したドイツ、防共協定を提案し、イタリアと日本を引き込んでいます。

 

国家方針、【第三帝政の宣言】。これを完了することで、フランスはナポレオンの末裔を招致し、共和制から帝政へと移行します。

 

新生、フランス帝国の成立。これまで混乱を招いていた共和政府に代わり、ナポレオン6世率いるポナパルト党が新たな帝国政府となります。

 

 

 

内戦後のスペインで、アルフォンソ13世が戴冠。王政復古を果たしています。

 

1938年冬、ドイツが突如としてルクセンブルク大公国に侵攻を開始。チェコ侵攻時も動かなかったフランスの姿勢を見て強気に出たのかもしれませんが、宥和政策の失敗を悟ったイギリス、ドイツに対し宣戦布告。連合国とドイツが戦争状態になっています。

 

 

まもなくイタリアが枢軸国に合流。フランスと言う大陸国家の支援無きイギリスは、早々にアフリカで敗退しカイロを失いました。

 

フランスは陸軍再編が中途だったためにこれを静観していましたが、1940年を回り形になったため、ドイツに対し戦争事由の正当化を開始。

 

ポーランド相手に手間取るドイツは防衛線の構築が中途半端であったため、ジークフリート線から一挙に侵攻開始します。ベネルクス方面に展開したドイツを包囲し、1個軍近くを殲滅。

 

イギリス軍と協同して動き、かつソ連の義勇軍も受け入れて量的優位を確保します。

 

ワルシャワが陥落。しかし、史実と異なり両面作戦を強いられているドイツはポーランドを追い詰めきれず、ワルシャワ以東にてポーランド残存軍が根強い抵抗を続けていました。これにより兵力を誘引し、ドイツ軍の分散を実現しています。

 

一方で、連合国の優位をみたスイスがイギリスと同盟を締結。正式に参戦をしました。アルプス山脈と言う天然の要塞に新たな戦線を作り、さらにドイツ軍の戦力は分散しています。

 

 

北アフリカ戦線は、フランス植民地軍1個軍を侵攻させ、イタリアを殲滅しています。

 

北ドイツを一気に駆け抜けましたが、さすがにドイツ軍の抵抗も激しくなってきたため、攻勢を停止。しばらく睨みあいが続きました。

 

一方、イギリスの宝冠であるインド帝国でドイツの支援を受けた勢力が蜂起。自由インドを名乗り枢軸国に合流しました。