首都をエストラン州のオスロにおくノルウェー王国。大戦争(第1次世界大戦)で中立を保ち、周辺国家の混乱と比すれば豊かで安定した国ではありましたが、1936年現在ノルウェー議会は強硬的な右派政党と左派政党が台頭して与党の地位を脅かしており、10か月後に迫る選挙へ向けて活動を強めています。
隣国スウェーデン王国とはつかず離れず、比較的良好な関係を維持していますが、フィンランド王国とは、その成り立ちやドイツ帝国とのつながりからノルウェーとの対立しています。
南部大陸側のユトランド半島には、ノルウェー国王ホーコン7世の兄、国王クリスチャン10世が治めるデンマーク王国が存在します。
ノルウェー共産党は、より過激なサンディカリスム党を結成。ノルウェーに全体主義を伝播することを画策しています。
景気低迷の原因の一つである交易の減少。これを軽減するため、極東の日本と良レートにて通商取引を行います。
ノルウェー王国の国民精神(マイナス)となるもの。
【景気の低迷】
世界大戦の後も、ノルウェーは経済的にも政治的にも英国の勢力圏に残り続けたが、そのために1925年の英国革命はノルウェーの輸出指向型経済に大きな打撃を与えた。それ以来、この国はドイツの「帝国協定」を基本とする欧州経済の大部分から弾き出され、国際貿易が急速に落ち込んだことがノルウェー経済に壊滅的な影響をもたらしている。
消費財工場:10%
生産効率上限 -15%
工場生産量 -20%
造船所生産量 -20%
【空軍の分裂】
最近のノルウェーの空軍組織は廃れてしまっている。ノルウェー陸軍航空隊は1912年、海軍航空隊は1916年に設立されたが、どちらもそれぞれの任務を補助するもの程度にしか空軍を見ていなかった。
空軍ドクトリンの研究速度 -30%
ノルウェー王国は産業などあらゆる面で大国には遠く及ばないため、国内のインフラを整備するところから始めます。
経済危機のための農家の財産差し押さえに対して、政府が規制を掛けるか否かですが、農家の保護にかまっている余裕はないため、続行を許可します。これによりノルウェー国民の政府支持率が下落しますが、致し方ありません。
その結果、ノルウェーの国家への権力集中を訴える急進的右派勢力である国民連合が更に台頭。史実でナチズムを支持したヴィクドン・クヴィスリングが、この世界では国民連合を率いています。
国民連合はソサエティ・ガードという名の独自の準軍事組織を持ち、共産主義に対してのノルウェーの守護者を自任していますが、日々増長し指導者クヴィスリングの支持者のみで固められた危険な組織と化しているため、この地位をはく奪します。
1936年10月の選挙。これも恐らく、これまでのイベントの数々の選択で、選択肢が変わるのだと思いますが、これまで与党を務めてきた右翼党(保守派)は先の農民問題で支持を失ったため、社会民主労働党が過半数を獲得し勝利したこととします。
これによりノルウェー国民が社会党や国民連合を拒否し、あくまで民主主義への信任を示しました。
社会民主主義が多数派となり、民主主義支持が続くノルウェーとは異なり、隣国スウェーデン、フィンランドは軍事独裁国家になっていました。
両国との関係悪化を警戒する中、1936年の選挙が終わったことでノルウェーは新たな国家方針を進めることができるため、これを進めます。
国家方針
【民主主義への信任】
今回の選挙で有権者はサンディカリスムと国粋主義の両方を否定し我々へ大きな信任を与えてくれた。我々はそれに善く応え、全ノルウェー国民の生活を改善させねばならない。
政治力 +100
1937年を回りアメリカ内戦が始まっていましたが、早々に合衆国が内戦からドロップアウトする中、西岸国と連合国、労働組合は拮抗していました。協商は東海岸を緩衝地帯とすべく、ニューヨークに首都を置くニューイングランドを建国させています。
また、協商はアメリカ西岸国の支援を決定。大規模支援を開始しました。
国家方針を進め、協商への接近を図ります。その一方で、ポーランド=リトアニア共和国とガリツィアが領土問題を発端に戦争状態に。ともに帝国協定とドナウ=アドリア同盟に属しているため、ドイツ帝国とオーストリア帝国はこれの仲裁をするのかと思いきや、全面戦争に突入。ドイツ勢力圏で争っています。
国家方針【オタワの国王】
ノルウェーとカナダの関係は常に深いものだった。更なる関係のためホーコン王のオタワ公式訪問を計画するのがよいだろう。
英諸関係+50(相互)
イベント【カナダへの外遊】が発生
国王のカナダ外遊は成功裡に終わり、協商への関係強化を進めました。将来的な協商加盟を目指して動きます。