1941年。ドイツ帝国はコミューンの猛攻の前に敗れ去り降伏。アフリカに亡命したドイツ政府は、カナダ連邦政府に対し、協商への加盟を申し出てきました。
ドイツ帝国は、フランス帝国のアルザス=ロレーヌの支配権を認めることと引き換えに、協商へ加盟。協商陣営として、ベルリンへの帰還を図ります。
亡命したドイツ帝国軍と協同し、フランス帝国は本土のほぼすべてを取り戻すことに成功しましたが、依然コミューン軍の抵抗激しく、フランス・コミューン政府が瓦解したのちはイギリス連合が主体となり、協商と相対しています。
とくに、フランス・コミューン軍よりも質も量も上回るイギリス連合海軍=ワーカーズネイビーの猛攻が苦しく、地中海の制海権はほぼ失われてしまいました。イギリス連合は、旧帝国協定のアイルランドも占領しており、アイルランド本島も防御を固めています。
翻って北米の内戦は、アメリカ合衆国の勝利で終わりました。アメリカ連合国も労働組合連盟も降し、再び合衆国が統一政府となっています。協商が連合国を主に支援していた関係でカナダとはこじれているようですが、合衆国を支援していたフランス帝国に対しては好意的です。
ヴィルヘルム2世、亡命先のアフリカで死去。存命中にベルリンへ還ることは叶いませんでしたが、その意思はヴィルヘルム3世に受け継がれています。
イタリア社会主義共和国でできた戦線の穴を、機械化歩兵で一気に駆け抜ける。これにより背後を脅かされたイタリア軍の戦線は崩れ、イタリア軍を分断。包囲殲滅して降伏させます。
イタリア軍の降伏後、戦力にやや余裕ができたため、低地地方の進軍を開始。共産化ベルギー政府である、ワロン・コミューン共和国へ一気に進軍します。史実のナチスドイツのように大陸側と海岸線の戦力を分断させ、降伏させました。
ベネルクス地方は攻めやすく守り難い地域であるため、ここを起点に進軍。ドイツ帝国軍の助力も、ドイツ本土へ侵攻して各地の分割政府を占領していきます。
この状況下で、ロシア帝国が協商への加盟を申請してきたようで、カナダ連邦はこれを受諾。大陸軍国であるロシア帝国の参戦は、大きく戦線を動かしてくれましたが、しかし協商の戦争に乗じてハワイへ侵攻した大日本帝国とロシア帝国は争っており、極東へ軍を割いている関係上、大規模な軍の展開は期待できなさそうです。
この機に、共産主義者の支配下にあるオランダに宣戦布告を行い、これを降伏させます。占領後、前女王ヴィルヘルミナを帰還させ復位。再び王国となりました。
ブランデンブルク州の占領をもって、最後まで抵抗していたプロイセン共和国が降伏。ドイツ亡命政府は、ベルリンへ返り咲いています。大陸での戦いがひと段落したため、のこる最後のコミューン政府であるイギリス連合への進行準備を開始。
イギリス連合は、自治主義派の方針によりスコットランド連合とウェールズ連合に分かれていますが、強力な海軍は健在です。
空母2隻を主力とした航空艦隊は地中海で壊滅しているため、大陸での戦いのさなかに準備してきた発展型空母3隻を主力とする新生機動部隊をイギリス海峡沿いに派遣。
のみならず、全ての空軍をイギリス海峡に飛ばして航空優勢を確保し、海上を援護します。
1年近い時間と相当な犠牲を伴いましたが、制海権をわずかに握ることができたため、多方面上陸を開始。諜報の結果イギリス連合陸軍はおよそ20個師団程度しか存在せず、どうやら主力軍は大陸でほぼ壊滅した模様。実際ほぼ無血上陸であり、簡単に進軍が行えました。
グレーターロンドンを占領したことで、イギリス連合政府は降伏。およそ3年半にわたった対コミューン戦争は協商の勝利に終わりました。
コミューン政府はいずれも解体され、フランス帝国は本土を恢復。イングランドとウェールズはカナダ連邦が一時的な支配下とし、イギリスの復活準備をしています。
ベネルクス地方は全て解放。ルクセンブルク大公国も第1次大戦以来の復活を果たしました。そして、ベルギー国民の悲願であったベルギー王室の回帰もなされ、ベルギー王国の復活にベルギー人は歓喜しているようです。