革命により北アフリカに逃れた旧第三共和政府。ポナパリティストの支持を得て、ナポレオン4世の戴冠をもって帝政への意向を宣言。フランス第三帝国の成立です。

 

 

 

アメリカ内戦では、フランス単独でアルフ・ランドン大統領のアメリカ合衆国を支援していましたが、まもなくカナダ連邦とイギリス王室亡命政府はアメリカ連合国のヒューイ・ロング大統領を支援することを宣言しています。

 

歩調を合わせる意味で、フランス帝国もこれに協同しますが、こっそり合衆国への支援を優先し、ランドン大統領による連邦派の勝利を画策します。

 

 

 

アメリカの内戦ぼっ発により、ハワイは合衆国からの独立を宣言。共和制に移行し、協商へ加盟しました。

 

また、南米で起きたアルゼンチン戦争では、南部のサンディカリストを支持するパタゴニア労働者戦線でアルフレッド・フォンテがクーデターを起こす。主力軍の不在により既存のサンディカリスト政府は打倒され、より強力な全体主義を推し進める共産アルゼンチンが成立しています。

 

 

アジアでは、西ベンガルを拠点とするインドのコミューン政府、バーラティア・コミューンでマハトマ・ガンジーが権力を掌握。主に3つに分かれて一触即発のインドで、平和的な和解と統一を訴えています。

 

 

今回、フランス帝国は植民地主義の放棄を掲げ、植民地人とフランス人の法的平等を認めています。のみならず、植民地人によるアフリカ大陸での参政権を認め、現地でのフランスの心象改善を図りました。

 

 

 

翻って欧州大陸では、オーストリア帝国の改革に反発したハンガリーが反旗を翻したようです。しかし、ルーマニアもトランシルヴァニアの奪還を目的に、これに乗じてハンガリーに宣戦布告したことで、一気にハンガリーは追い詰められています。

 

ところが、オーストリア帝国の勢力圏に属していたはずのボヘミア、イリュリア、ガリツィア政府がセルビアと協同し、スラブ同胞団を結成。オーストリア帝国に対して宣戦布告し、逆にオーストリア帝国が劣勢になりました。

 

 

ドイツ帝国の支配権であったルテニアで、カリスト政府が権力を掌握。間もなく帝国協定から離反しています。ドイツ帝国はこれに対し即座に行動を起こすことはしませんでした。このルテニアの離反に合わせ、バルト連合公国もドイツの影響から離れています。

 

今だ帝国協定に属するウクライナ王国では、新たにハプスブルク=ロートリンゲン家から即位。オーストリア帝国とのつながりを深めています。


 

1939年9月。ドイツ帝国とフランス・コミューンが戦端を開く。ドイツは戦争の準備が不完全であり、共産スイスのヘルヴェティア・コミューン軍の猛攻も併せ、早々にジークフリート線を喪失。遅滞防御を行いますが、依然劣勢であり、ベルリンの陥落は時間の問題と言ったところでした。

 

1939年10月。カナダ連邦がイギリス連合含むコミューン軍に宣戦布告。これに合わせてフランス帝国も参戦します。フランス帝国は旧型戦艦も含めて出撃。フランス・コミューンの地中海艦隊と接敵しますが、コミューンの弩級戦艦1隻と、駆逐艦約30隻を撃沈し勝利(代わりに最新の駆逐艦6隻を喪失)し、一時的に地中海の制海権を掌握します。

 

 

この隙をついて、マルセイユ付近に上陸作戦を開始。主にドイツ軍と死闘を繰り広げているためか、南部フランスではほぼ無血上陸を達成。

 

 

 

 

なけなしの40個師団(全軍)で戦線を構築し、無理のない範囲で進軍。コミューン軍が見えてきた当たりで防衛線を構築しひとまずは守勢に徹しました。

 

 

1940年5月。既に地中海の制海権掌握はなく、出撃してきたイギリス連合海軍に対し苦しい戦いを強いられました。圧倒的にきつかったのが通商破壊であり、放っておいたら輸送船がものすごい速度で減っていったため、やむなく虎の子の空母艦隊を出撃させました。

 

フランソワ・ダルラン提督により率いられた改良型空母2隻を主力とする航空艦隊により、一時的に優位に進めますが、フランス帝国の海軍はせいぜい全軍で80隻程度。300隻をゆうに超えるイギリス連合海軍によりやがて優勢も消し飛んでしまいました。

 

 

それでも、コミューン軍の主戦力がドイツ側に戦力が割かれている状況で、協商軍と歩調を合わせてなんとかパリを占領。コミューンの心臓部を握りました。しかし、ドイツ帝国は力尽き、帝国政府が降伏しヴィルヘルム2世をはじめとした王党派、軍の一部はアフリカへ亡命。

 

 

(健在であるイギリス連合が主体となって)ドイツ帝国は解体され、プロイセン共和国とハノーファー連合、ライン社会主義共和国、南ドイツ連合に分割。コミューンに従順な政府が成立しています。


 

アフリカに逃げ延びたドイツ帝国亡命政府は、帝国協定の解散と協商への加盟を打診してきます。ドイツ帝国の本土奪還に協力する代わりに、彼らもまた、協商のコミューン打倒に協力する。それのみならず、フランス帝国のアルザス・ロレーヌ支配権を認めさせます。

 

 

この条件を呑み、ドイツ帝国の亡命政府は正式に協商へ加盟。フランス本土へ軍を派遣しています。