フランス共和国にて、王制ではなく帝政復古で進めてみます。

 

革命で敗れフランス領北アフリカへ逃げ延びた旧第三共和政府。ヴェルダンの英雄であるペタン元帥指揮のもと、同じく革命で敗れ大ブリテン島から撤退を余儀なくされたイギリス王室&カナダ亡命政府との協力を強め、欧州帰還を悲願としています。

 

 

1936年2月、ローマ教皇崩御により、新たにピウス12世がローマ教皇になりました。イタリア半島が4つの国家に分裂しているという、史実と同じくらい危機的な状況の中、ローマ教皇となったピウス12世は、北方のイタリア社会主義共和国への対決姿勢を強めています。

 

 

大ブリテン島を支配する革命政府、イギリス連合では、長年議長を務めていたフィリップ・スノーデンの辞任後、自治主義派のトーマス・E・ニコラスが議長に就任。自治主義派の勝利により、イングランド、スコットランド、ウェールズの分権が大きく進展しています。

 

 

混迷極まる中国大陸。清帝国にてクーデター未遂が発生。首謀者の背後には皇帝溥儀がおり、さらにドイツ帝国の支援を受けていたとされ、それが真実であるかどうかはさておき、これによって大信帝国の議会では共和制への移行宣言がなされ、ドイツ支配の払拭を掲げています。

 

 

一方でフランス共和国は、国家方針【帝国の再興】を選択。ポナパリティストの支持を受け、皇帝ナポレオンのカリスマのもと、本土奪還を図ります。

 

完了後、臨時首都アルジェにて戴冠式が執り行われます。ルイ・ナポレオン4世が戴冠し、正式に、フランス帝国が成立しました。

 

 


 

しかし、戴冠式からさほど日を置かずして、フランス支配に抵抗する植民地人により北アフリカ各地にて反乱が勃発。アルジェ南部にてトゥアレグ連邦を名乗る勢力が、マリ西部ではトラブ・アル・ペイダン、チャド=スーダンではワダイ国家の成立を宣言しています。

 

 

ただでさえ国力が低いフランス亡命政府にとって、この独立を容認するわけにはいかず、反乱勢力に対し宣戦布告を行います。

 

シャルル・ド・ゴール将軍指揮下のもと、10個師団をもってアルジェ南部へ侵攻。所詮装備も練度もお粗末な植民地軍に過ぎないため、さしたる損害も苦戦もなく進軍。

 

フランス側が123名の死傷者を出す中、反乱側は4000名以上の損害を出した末、降伏。

 

 

北アフリカ=大西洋の陸上交通の要であるため、トラブ・アル・ペイダンは再び直轄支配を行いますが、ガス抜き的な意味でトゥアレグ連邦は一部地域の完全自治を容認。同じようにワダイも、南部と東アフリカの緩衝国として、完全自治を与えいずれも協商に組み込みます。

 

 

反乱も落ち着き、アルジェの市場ではオランジーナが新発売となり、賑わっているようです。史実とは異なる歴史を歩むフランスですが、オランジーナ発明は史実同様に行われました。

 

他方、イタリア共和国の選挙ではイタロ・バルボが当選。オーストリア帝国の影響力を廃し、レジオナーレ・イタリアを宣言しリソルジメントを掲げています。


 

フランス・コミューン政府とイギリス連合は反植民地主義をお題目に社会主義を広めており、反乱を鎮めたばかりのフランス領北アフリカも警戒を強めます。

 

北東のエジプト・スルタン国はカイロ会議を開催し、反オスマン帝国でアラブ国家を集結させています。

 

 

オランダにて女王ヴィルヘルミナが退位。史実ではまだ生まれていないはずの子女ユリアナが新たに即位していますが、社会主義勢力によってまもなくオランダは君主主義を完全に廃しています。