1940年5月。アメリカ連合国は内戦から着々と立ち直りつつあります。とはいえ、いまだ国内の安定は成らず、反動勢力は健在であり対外に進出する余力はありません。

 

 

一方、中央アメリカでは、エルサルバドルとグアテマラが民主主義勢力、ホンジュラスとニカラグアが社会主義勢力として、中央アメリカ戦争が勃発。中央アメリカは連合国にとっての庭であり、この地域の不安定化は敵対勢力の介入を招く可能性があるため好ましくないのですが、これに介入する余力はないので、民主側にレンドリースを送り、間接的に戦争を支援します。

 

 

国家方針【完璧な民主主義】を選択し完了させることで、アメリカ連合国は内戦から完全に回復します。そして1940年、内戦後初となるアメリカ大統領選挙ですが、現職のヒューイ・ロングが圧倒的な支持により再選。

 

 

内戦から立ち直ったとて、大恐慌や地域レベルの復興が完全に終わったわけでありません。全国復興庁の推進する国家方針【農業調整法】を選択します。

 

一方で欧州の戦乱はコミューンの敗北で幕を閉じたようです。フランス・コミューンはドイツ帝国に敗北し、イギリス連合はカナダ王国に降伏。

 

大ブリテン島に連合王国が復活しましたが、フランスは北部はハノーファー候のフランス王国。南部がナポレオンの末裔によるフランス帝国と、帝国協定と協商で分割状態となっています。

 

 

この状況下でヴィルヘルム2世が崩御。新たに3世が戴冠しています。

 

 

オーストララシア連邦内で、ニュージーランドの独立投票が行われ、独立が実現しています。やがてオーストララシアは、国名をオーストラリアに戻し大戦争以前の状態へ回帰しました。

 

国家方針【復興完了】。これをもってアメリカ連合国の復興は完了し、対外へ本格的に介入することとします。

 

オーストリア帝国が中心となって形成されたドナウ連邦、協商が支援するローマ教皇領に対し宣戦布告。進軍を開始しました。イタリア連邦が先頭に立ち、第2次リソルジメントを掲げています。


 

 

この暴挙に対し協商各国はドナウ連邦に対し宣戦布告。コミューン政府を革命によって打倒したアルゼンチン、協商への加盟と助力を申し出ています。

 

 

しばらく見守っていましたが、明らかに協商側が劣勢だったため、イタリア連邦に戦争目標の正当化⇒宣戦布告を行います。この間、フランス帝国はフランス南部をほぼ完全に失っています。

 

このタイミングで、帝国協定・・・ではなく協商への加盟を宣言。イギリスやフランスと共に戦うことを表明します。

 

 

コミューン政府から本土を取り戻し復興途上だったイギリス、その隙を突かれドナウ連邦の上陸を許していました。スコットランドおよびイングランド北部を失い、再び本土失陥の危機だったため、アメリカ連合国海軍をイギリス近海に派遣し、制海権を掌握。ドナウ連邦のシーレーンを完全に絶ちます。

 

 

 

 

ドナウ連邦の輸送船200隻全てを沈めて補給を断ち、30個師団超を包囲殲滅。これでイギリス本土は守られ、ドナウ連邦は兵力の優位を失っています。

 

ローマ軍、サルディーニャ軍、フランス軍と共同で攻め上がり、派遣した2個軍と1500機の戦闘機&爆撃機で攻め上がります。やがてウィーンが陥落し、ドナウ連邦は降伏。

 

レンベルクにて講和条約が結ばれ、ドナウ連邦の処遇が決められました。

 

 

 

講和の結果、ハプスブルク家とドナウ連邦の存続は許されますが、ボヘミアやハンガリーといった構成諸国の分割が取り決められ、弱体化することとなりました。ドナウ連邦は実質単に名を変えたオーストリア帝国となっています。