アメリカ第一党党首、ヒューイ・ロング大統領のアメリカ連合国。合衆国はクーデターを起こしたマッカーサーの軍政が続いており、合衆国に見切りをつけた第一党とその支持者は、かつて南北戦争で敗れ去った南軍、アメリカ連合国の建国と独立を宣言しました。
これに対し、合衆国政府につく州、連合国新政府に与する州、はたまた第三勢力である西岸国か労働組合連盟に合流する州と様々です。
アメリカの分裂から数か月後、大規模な内戦が始まり、合衆国と連合国、西岸国に労働組合連盟の四つ巴の争いとなります。
この内戦に対し、ドイツ帝国とアルゼンチンが連合国の援助を申し出る。かの国は、権威的民主主義に寛容な政策であり、もっとも友好的である連合国を助けてくれます。
協商は、イベントの展開と政体により援助対象が変わりますが、今回は権威的民主主義に対し寛容だったらしく、カナダ王国とフランス王国が援助を申し出てくれました。
アメリカ連合国の初期兵力はおよそ10個師団程度しかなく、合衆国、西岸国、労働組合連盟を相手にすることは不可能です。ミニットマンの増強を繰り返しもしくは徴兵を行い兵力を増やしますが、その場合でも3正面を維持することは困難となります。
ひとまずは莫大な工業力をもつ東海岸の多くを領有するが、兵力が分散している合衆国相手に全力で進行し、工業地帯を確保。優位性の確保に努めます。
内戦に並行し、陸軍の国家方針を進めて、バフを付与していきます。
他方、大戦争の敗北後に鉄衛団の軍事独裁国家になったルーマニア。王党派が鉄衛団に反旗を翻し、内戦へ突入しています。欧州ではドイツの大恐慌まっさかりであり、周辺諸国は目立った介入を行っていません。
ワシントンが陥落し、ホワイトハウスに連合国旗が翻る。これにより合衆国政府は崩壊し、降伏しました。合衆国の支配各地は、いまだ健在の勢力に分割され、内戦は三つ巴となります。
アメリカ連合国を支援してくれていたアルゼンチン。カルレス体制が崩壊し、コミューン政府が実権を握りました。これにより連合国へのアルゼンチンの援助は打ち切られています。南米でアルゼンチンと対をなす大国であるブラジルはこれに警戒を強めますが、ブラジルは主に西岸国を支援しており、連合国に対しては冷淡です。
極東にコルチャークに率いられたトランスアムール政府。正式にロシア共和国を名乗り、ヴラーンゲリの独裁が続くペトログラード政府に宣戦布告しています。
内戦からすでに1年半が経過し、1939年間近という中、アメリカ連合国は労働組合連盟支配下の東海岸を攻略。これにより労働組合連盟は海岸を失い、諸外国の支援を受け取れなくなりました。五大湖という工業地帯を押さえているため以前、強敵ではありますが、ほぼ勝利は決したも同然です。
慎重に進軍を続け、労働組合連盟の根拠地であるシカゴを攻略し労働組合連盟は崩壊しました。これにより五大湖周辺は連合国が支配するところとなり、のこる西岸国に対しての圧倒的優位を確保しています。
しかし、内戦に疲弊した連合国内部からは休戦の機運が高まる。一時、体制立て直しと復興に目を向けるため、西岸国政府と休戦交渉を行い、1938年11月。ミシシッピ川をはさんで停戦合意をしました。
内戦は一息つく形となりましたが、アメリカ国内は荒れ果て、復興に長い時間をかける必要があります。徴兵可能人口-60%、国家の安定度-50%、戦争協力度-60%と強烈なデバフが付与され、これを取り除かない限りは、対外でまともに動くことはできません。
また、連合国の統治にしたがなわい連邦政府主義者と社会主義者の残党は破壊行為を継続するため、治安回復も急務となります。
アメリカ連合国の首都について。ワシントンに帰るのもいいですが、新体制の象徴としてルイジアナ州のニューオーリンズへ遷都することを宣言します。
欧州では、ドイツ帝国の傀儡だったフランドル=ワロン政府が崩壊しベルギー王国が独立宣言。国王アルベールがブリュッセルへ帰還しましたが、ドイツ帝国は独立を容認せず、1週間後に宣戦布告。再びベルギーはドイツの支配下となりました。
国家方針を進め、内戦からの回復の兆しが見え始めたところですが、1939年6月、停戦合意協定を破棄し西岸国へ侵攻します。もともと兵力に差があるため、さしたる苦戦もなく西岸国を降してアメリカ統一が実現しました。
統一後、国名をアメリカ合衆国に戻すこともできますが、これも新体制を示すため、アメリカ連合国のままとします。
1939年9月、内戦終結から約1年ですが、内戦の傷跡は深く残っています。それでも回復の兆しは確かに見え始め、国民のごく一部ですが娯楽に興じることもできる状況となっているようです。
ロング大統領の富の共有、とは形を変えたサンディカリスム、社会主義だという批判があります。
ヴラーンゲリのペトログラード政府、コルチャークのロシア共和国と大日本帝国に敗北し、領土の大半を失いました。大日本帝国は、その領土をシベリア国家として独立させ、影響力を維持しています。
1940年5月、欧州ではドイツ帝国がフランス・コミューンの首都パリを攻略。アメリカ連合国がこれを静観しつつ復興を続けます。
ロング大統領のリーダシップあふれる政策の数々が効果を表し、驚異的なスピードでアメリカは蘇りつつあります。