9.11テロの報復として対テロ戦争に乗り出したアメリカ合衆国。アフガン戦争は終結し、暫定政権が樹立。アフガニスタン・イスラム共和国が成立します。これによってアフガニスタンに平和が訪れたのかと言えば、否ですが。

 

 

 

2002年日韓共催のワールドカップが開かれる。下馬評を覆し、韓国がベスト16まで勝ち進みますが、ドイツに敗北し、大会はブラジルの優勝で終わったようです。

 

 

イギリス、NATOとEUに恭順する意向を表明。欧州大陸とのつながりをより強いものとしています。

 

 

冬季のソルトレイクシティ・オリンピックが開催。

 

 

この最中、イタリア共和国はアルジェリアとの開戦事由を国際的に正当化。同国に宣戦布告します。対テロの口実でもでっちあげたのでしょうか。

 

アルジェリアは約10個師団、その陸軍編成はおそらく3~5個大隊であると推測されるため、規模は極めて小さいです。ですが、現代装備の編制である以上、機械化装甲歩兵、現代型戦車があるため、イタリア軍の損害を少しでも減らすため、北アフリカ国境沿いはひとまず防備を固めます。

 

 

アルジェリアは小規模ながら海軍を保有していますが、ミサイル巡洋艦、フリゲート艦の約3個艦隊で地中海を哨戒させ、アルジェリア陸軍の背後を突く形で、首都アルジェの周辺に奇襲上陸を行います。

 

約6個師団で編成される、第2軍は無事アルジェ周辺を制圧。順調に降伏させられるかと思いましたが、北アフリカの劣悪なインフラ事情と、猛烈な砂嵐によってイタリア軍の前進は大きく阻まれ、本作戦により約1200人もの死傷者を出してしまいます。

 

 

対するアルジェリアも、首都近辺を失い、約4000人の損害を被った結果、イタリア軍に対し降伏。アルジェリアはイタリアの保護観察下に置かれることになりました。

 

 

大量破壊兵器製造の疑いをかけ、アメリカ合衆国およびNATOはイラクに宣戦布告。フセイン政権の転覆をはかります。

 

 

中東は遠いのでイタリア陸軍を派遣することはせず、とりあえずイタリア空軍を派遣し、マルチロール機800機でNATO軍の対イラク侵攻を支援します。

 

NATOの対イラク戦争のさなか、リヒテンシュタイン公国に対する領有正当化を完了。同国に宣戦布告します。

 

 

もともとスイスの保護国たるリヒテンシュタインにはまともな軍事力が存在しないため、同国は即日降伏。リヒテンシュタインの独立を保障していたスイスが参戦しますが、国際社会を味方につけたイタリアに対してドイツ、フランスが協力を申し出る。

 

これにより、イタリア軍の損害はないまま、スイスが約500名の死傷者を出し降伏。リヒテンの首都ファドゥーツにて講和条約が結ばれ、リヒテンシュタイン公国にイタリアの傀儡政権が誕生しています。

 

スイスは体制転換を強制され、反動主義政権が転覆し社会民主主義の政権が誕生しました。これをもってスイスは国連に加盟し、NATOにも参加しています。

 

 

続けてオーストリア南部、チロルの領有を国際的に正当化し、オーストリア共和国に宣戦布告。大規模な航空支援、ハンガリー軍とドイツ軍の参戦により、イタリア軍に損害はなくオーストリアは300名の死傷者を出し、首都ウィーンが陥落。

 

ウィーンにて講和条約が結ばれ、オーストリア共和国は、リヒテンシュタイン公国とハンガリー共和国の両国への領土割譲をしています。

 

 

国家方針【君主制へ】を完了。これによりイタリア共和国は再び王制を敷く王国となり、君主主義国家となりました。イタリア王国は間を置かずNATOからの脱退を表明。

 

 

国家方針【新たな王国】を完了。ヴィットーリオ・エマヌエーレ4世が帰国し、戴冠。サヴォイア家によるイタリア王国の復活です。

 

 

 

 

第2次大戦でファシズムと恭順した王制に回帰することにEUは懐疑的であり、欧州諸国は王制復古を撤回することを要求してきますが、王国政府はこれを拒否し、イタリア王国はEUからの脱退をすることになります。