ウクライナ王国。帝国協定の中で、極めて重要な立ち位置にあるウクライナに対し、なるべく支援は優先させることにします。実際、対フランス・コミューンもしくは対ロシアになった場合、ウクライナ軍はとても重要な戦力となります。
アメリカ内戦のさなか、カリブ海に浮かぶキューバが帝国協定への加盟を申請してきました。ドイツ帝国はこれを承認。もはやモンロー主義などあるはずもなく、内戦中のアメリカ諸勢力はこれに一切関知しません。
アドルフ・ヒトラー軍曹の日記が、『我々の闘争』として出版されるようです。ドイツが覇権を握ったこの世界では、ヒトラーは単なる一兵卒でしかありません。一方で、カナダで亡命生活を送るウィンストン・チャーチルも『我らが栄光の時』本を出版。
もしも第1次世界大戦でアメリカ合衆国が参戦し、ドイツの敗北で終わっていたら、というこの世界の架空戦記です。
1939年9月、フランス・コミューンがドイツ帝国に対し最後通牒を送り付ける。その内容は、アルザス=ロレーヌを無条件で返還せよという内容で、当然こんなものを受け入れることはできず、要求を拒否します。
拒否の返答をすると、即日フランス・コミューンはドイツ帝国に対し宣戦布告。これにより大規模な、第2次世界大戦がはじまります。
うれしいことに、オーストリア帝国が参戦を申し出てくれました。勿論、これを受諾し、オーストリア帝国率いるドナウ=アドリア同盟が対コミューン戦争に参戦してくれます。
ほぼ同時期に、フィンランドが帝国協定への加盟とドイツの側に立っての参戦を要望。これも受諾します。
傀儡のベルギー、フランドル=ワロン軍と共同して防衛にあたっていましたが、同国で革命が起き、帝国協定から離脱しコミューン側に寝返ることを宣言。速やかに同地域にドイツ帝国軍を展開し包囲殲滅しましたが、フランドル=ワロン軍がいなくなり戦力低下したことと、、若干防衛戦が押し下げられたことが痛手です。
スペイン王国が同盟国であるため、ジブラルタル海峡を通り、地中海に海軍を展開。マルタ島に準備させていた地中海艦隊、航空隊を出撃させ、イタリア方面に展開するイタリア軍、オーストリア軍を海から援護します。
なによりも助かるのがオーストリア軍の参戦でした。ドイツとフランス&イギリスの陸軍兵力は、ほぼ同規模のものでしたが、オーストリア軍の参戦でこれがひっくり返り、完全にドイツ側が兵力優位になったことで進軍がやや容易になりました。
この戦時中で忙しい中、ウクライナ王国が更なる融資を求めてくる。ウクライナ王国でサンディカリスムが拡大しても困るため、これを容認します。
フランスの宣戦布告に対し、ドイツ皇帝ウィルヘルム2世が直接、国民に語り掛ける。国民の士気は一気に高揚し、対フランス、対コミューンで団結します。
対フランスと並行し、ドイツ帝国海軍&航空隊を総動員してイギリス海峡に派遣。ワーカーズネイビーの戦力を削ぎます。
北部でフランス軍を分断し、包囲殲滅。オーストリア帝国軍の援護もあり、コミューン軍の戦線は崩壊。二度目のパリ陥落です。
コミューンの心臓部であるパリは既に帝国協定の手中にあり。サンディカリスムの討伐は、もう一息です。
対コミューン戦争のさなか、コスタリカが帝国協定への加盟を申し出てきたため、これを受諾。北米大陸では未だ内戦が続き、確固たる秩序がないため、ドイツ帝国の庇護を申し出てきたようです。
キューバと合わせ、カリブ海の同盟国の存在は、将来新大陸へ進出するための重要な足掛かりとなるでしょう。
オスマン帝国が申し出てきた債務整理を拒否した結果、同国はデフォルトを宣言。代価として完全なる服従をさせるため懲罰的に宣戦布告するのも良いですが、対コミューン戦争のさなかで割ける兵力はないため、まずは禁輸措置を採ります。
開戦からおよよ半年あまり。フランスはパリを含む本土のおよそ半分を失う。前大戦では共和政府がこの時点で降伏しましたが、本大戦ではコミューンの独裁政権のため、抗戦しています。
対フランス中央部はオーストリア軍が固めていたため、ドイツ軍は北部、南部に分かれて進軍。まもなくコミューン政府はドイツ帝国に対し降伏を表明。残るはイギリス連合のみです。
この時点で、同じく軍事行動を起こしている協商のフランス王国に対し、ドイツが占領しているフランス領土の南部を譲渡する提案を送る。
前大戦で、英国のロイド・ジョージとドイツのルーデンドルフが中心となって結ばれた『名誉ある和平』。第2次大戦でも再び同じように講和条約を結ぶことができますが、これは拒否し大ブリテン島に存在するカリストを完全に叩きのめすことを選択します。
イングランド南部に大規模上陸をしたのち、スコットランド方面に陽動上陸を行い北部と南部で英連合の兵力を分散させ一挙に進軍します。
イングランド方面を軒並み占領し、ロンドン陥落。これによってイギリス連合政府は降伏を表明し、対コミューン戦争は帝国協定の完全勝利で終わりました。
フランス西部、ナントで講和条約が結ばれ、戦後秩序が定められています。
フランス本土は、地中海沿岸の都市をフランス王国軍に譲渡していますが、その他はドイツ帝国の占領中にあり、これをどうするか決めなくてはいけません。
まず協商のフランス王国に対し、協商を抜け帝国協定へ加盟するならばフランス全土の返還を行う提案を送ります。が、これは拒否される。同盟国でも友好国でもないフランス王国に無条件で返還する道理はないため、フランス王国との交渉を切り上げてドイツ帝国のみで方針を決めることとします。
ドイツ帝国の傀儡としてフランスに新たな政府を樹立さえるか、あるいはいくつかの国家群にフランスを分割するか、永続的なドイツ領土とするか。
今回は傀儡で友好的なフランスを樹立させ、西欧の安定化を図ります。同時に、ハノーファー候を即位させ、ドイツ人の支配を象徴するハノーファー王によるフランス王国を成立させました。