2週間で終わる国家方針、【ペルーとの協力】を完了させて、ペルーとの間で独立保証条約を結びあいます。これでお互いに守りあう体制が整いました。

 

 

 

中米では統一が進み、中央アメリカ共和国が成立しています。一方でメキシコはこれに加盟せず、全体主義のもとナショナリズムが高揚しているようです。

 

 

対ブラジル、対サンディカリスムに備え、国家方針【ペルーとの絆を強める】を選択。これにより、ペルーとの間でブエノスアイレス=リマ協定が結ばれ、同盟を結ぶことができます。

 

 

続けて、国家方針【最後の対決】と【ウルグアイは我らのものだ!】を選択。ウルグアイはブラジルの独立保証があるため、ウルグアイと戦端を開くとブラジルが参戦してきます。それならば、ブラジルと戦う機会にウルグアイも一緒に片づけてしまうこととします。

 

 

アメリカ内戦では、労働組合連盟が敗北し、連合国と西岸国が残りました。両国は国力疲弊のためにいったん停戦条約を結び、休戦しています。

 

 

オーストリア帝国はさらなる連邦化を推し進め、ドナウ連邦となって存続しているようです。

 

ウルグアイは難なく降伏させ、ペルーとの共同作戦でブラジルを攻める。陸軍規模はペルーとアルゼンチンを合わせて互角と言ったところですが、師団編成上でいえばややブラジルが優位かもしれません。前線にて包囲殲滅を繰り返し、前進します。

 

ブラジルの首都リオデジャネイロを攻略し、ブラジル降伏。

 

 

 

ほぼ全土併合..ですが、完全な併合は行わず、ブラジル政府はマラニョン地区へ追放し微弱ながら存続させることとします。マラニョンには有効な工業力が存在しないため、もはやブラジルにできることは何もありません。生殺しと同じ状況です。

 

 

 

 

対ブラジルの戦勝を記念するかの如く、サッカースタジアムがオープン。国内の安定度が上昇します。一方で、占領したウルグアイ領土を完全にアルゼンチンに統合し、植民地ではなく内地化を進めます。

 

 

 

対ドイツに戦端を開いていた大日本帝国。劣勢により講和条約が結ばれ、東アジアの覇権を失いました。秩父宮殿下が新たに即位しています。

 

 

国家方針【南米各国への輸出】を進める。アルゼンチン農産品への依存度を高めさせ、影響力を増大させます。

 

その一方で、南米に残った中小勢力のエクアドル、コロンビア、ベネズエラのすべてを占領し傀儡化もしくは併合します。

 

 

 

ロシアでは不安定な共和制に代わり、キリル・ロマノフが復位。第2次ロマノフ朝になり国名をロシア帝国としています。

 

 

 

1941年、欧州ではドイツの帝国協定と、コミューン、協商が激しく争っている傍ら、どさくさに紛れてアフリカ植民地を食い散らかしていきます。

 

偏重しないよう気を付けつつ、海軍の国家方針を進め、強化を図る。まず最も南米に近いリベリアの占領をします。その際の海上輸送についても、アフリカ新興国家は基本的にまともな海軍を保有していないので、アルゼンチンの遅れた海軍でも楽に制海権を握ることができます。

 

 

リベリア占領後、解放はせずアルゼンチン領リベリアとして統合します。その次に、リベリアの東に存在するアシャンティ王国(ガーナ)に侵攻。こちらは傀儡化します。

 

 

 

アシャンティからさらに東進しようとするも、ダホメ王国は協商であるため、これを攻めると協商と戦争になります。そのため、迂回し、海を通り中央アフリカを攻める。

 

 

アフリカ新興国を順番に片づけ、時に傀儡化、時に併合し、中央~東アフリカ一帯をアルゼンチンの影響下とします。

 

 

 

再開されたアメリカ内戦では、予想通り西岸国が降伏し連合国が勝利。この内戦により多数のアメリカ難民がアルゼンチンに押し寄せ、国内の人口増加を推進します。

 

アメリカ連合国は、体制を合衆国にもどし、地図上は内戦前と同じになりました。