1940年、対コミューン戦争のさなか、フランス国王ジャン3世が崩御。存命のうちにパリの宮殿へ戻ることはかなわなかったですが、その志は新たな国王、アンリ6世が継ぎました。

 

イベリア半島のスペイン内戦は、協商の支援の甲斐ありスペイン王国が大攻勢を開始。カルリスタ派は既に降し、サンディカリストもピレネー方面に追い詰められています。既に勝勢は決しており、もはやスペインに気を配る必要はなさそうです。

 

 

 

 

フランス本土を支配するコミューン政府との戦端を開いたフランス王国亡命政府。

 

コミューン軍の展開は思いのほか遅く、遠くオクシタニア方面、大西洋への道までを占領することに成功しました。朗報は続き、アメリカ内戦も、アメリカ合衆国が盛り返し連合国と労働組合連盟を追い詰めています。もはや、合衆国の勝利は揺るがないでしょう。

 

 

 

機甲軍の進軍で海峡沿いまで王立軍を進め、コミューンを分断。パリを占領します。北アフリカのアルジェで吉報を待つ国王は、パリ解放の報を、一体どのような気持ちで聞いていたでしょうか。

 

 

 

パリを失い、もはやこれまでと判断したフランス革命政府。フランス王国に対し降伏。まだインターナショナルを代表するイギリス連合との戦争は継続しているとはいえ、フランス・コミューンの脱落は大きいでしょう。これにより、フランス全土は王国の支配下になりました。

 

準備期間を設けたのち、大ブリテン島のイギリス革命政府への大攻勢を計画します。フランスを革命家から取り戻した今、次はイギリスを取り戻す番です。

 

 

 

フランス王国軍の全海軍と航空支援をつぎ込み、イギリス海峡の制空制海権を得る。また、共闘するカナダ連邦軍内には、連合王国に忠実だったイギリス王立海軍が存在する(革命政府にはつかなかった)ため、その助力は決して小さくはありません。

 

ポーツマス港のそばに上陸、海兵隊5個師団+2個軍をブリテン島に上陸させ、進軍します。

 

 

 

イギリスはもとより陸軍国ではないため、上陸さえすれば後はフランス・コミューン軍より遥かに楽です。カナダ連邦軍も続々上陸してくれるため、イングランドから一気に北上します。

 

エディンバラに逃亡したイギリス連合革命政府。協商軍の進軍を前に、降伏を声明。これにより英仏を支配していた革命家は一掃されました。残りはデンマークとノルウェー、ソ連の3つです。

 

 

2正面だったドイツ帝国にとって、西側が今や友好的な協商によりコミューンが一掃され、あとは東側に注力するだけとなれば、史実よりも弱体なブハーリン・ソ連など相手ではありませんでした。

 

デンマーク、ノルウェーの両革命政府は協商軍の攻勢で降伏し、ソ連軍は極東の大日本帝国、東欧の帝国協定の両面作戦により戦線崩壊。やがて降伏しました。

 

フランスのナントにおいて講和条約が締結。新たな秩序が作られました。

 

 

既に1943年ちかくでしたが、スペイン内戦も集結。スペイン王国が存続しています。フランスは(ほぼ)全土を恢復。アルザス=ロレーヌ問題は棚上げしており、ドイツ帝国との衝突は避けています。

 

カリストの滅亡を見届けるかのようにウィルヘルム2世が崩御すると、新たにウィルヘルム3世が即位。新たなドイツ皇帝となりましたが、依然ドイツとの関係は良好です。欧州から革命家を一掃するため、共闘したのが大きいかもしれません。

 

 

ノルウェーはサンディカリスムを放棄したものの、社会民主主義として再出発。国王を再び迎え入れるかは不明です。また、カナダ連邦は一時的に大ブリテン島を占領。連合王国の復活を準備しています。

 

 

同じくサンディカリストに染まってフランス王国に牙をむいたデンマーク。その処遇を決めることができますが、伝統ある王家を戻し、再びデンマーク王国として再出発させます。

 

ソ連はドイツ帝国に敗北後、再度共和制となっています。

 

 

カナダ連邦に亡命していた王党派、大ブリテン島に凱旋。ウィンザー朝も帰還し、大ブリテン島に、再びユニオン・フラッグがはためいています。

 

 

協商陣営で共闘していたサルディーニャ王国。社会主義者が支配していた地区をモデナ、トスカーナ両政府を開放しています。のちにサルディーニャは、WW1以前にそうであったように、イタリア王国を宣言し、両政府を王国に合流させました。

 

 

1943年になっても未だアメリカ内戦が終結してはいないですが、クエンティン・ルーズベルト新大統領が就任し、内戦終結に向けて大きく前進しているようです。

 

 

今となっては、唯一の欧州での全体主義国家となったオランダ。バタビア・コミューンに宣戦布告し、革命政府を欧州の地から追放します。もはやオランダ1国程度など問題にならず、これを占領。社会保守主義体制へと転換させ、協商へ向かえいれました。