共産革命の勃発で北アフリカに逃れた反革命派、フランス共和国政府。ジャン3世を迎えて、復古王政となりました。

 

アフリカの砂漠の中で、国王を精神的支柱とし邪悪な革命家からフランスを取り戻すことを目指します。

 

 

 

ドイツ植民地の中央アフリカ、ゲーリングがいつの間にか失脚していました。そして、イデオロギー上、似通っているため関係も比較的悪くありません。ドイツ帝国からしたら、復讐の牙を隠そうともしないコミューン政府より、革命でアフリカに追いやられた元共和国政府の方が与しやすいと考えたのかも知れません。

 

対ドイツ関係はともかく、フランス王国は国家方針を進め、植民地人と本国フランス人の間は建前上平等であるとし、法を整備します。ただし、参政権は植民地人には与えません。

 

 

ウルグアイがワールドカップで優勝。このような世界でもサッカーはさかんであるようです。当時はウルグアイが世界トップクラスの強さを持っていたころですね。今も強豪ではありますが。

 

 

 

オスマン帝国、カイロ条約機構を降し戦争が終結しました。WW1勃発までは瀕死の病人だったオスマン帝国ですが、大戦をかろうじて戦勝国側で乗り切り、英仏が没落すると命脈を保ち中東での地位を確実なものとしています。

 

大戦当時とは異なり、オスマン帝国はドイツに恭順しておらず、また帝国協定にも加盟はしていないため、当面は無視して構わないでしょう。

 

 

 

1938年、アメリカ内戦からすでに1年近くが経過していますが、いまだ内戦の終わりは見えず。合衆国はかろうじて、ワシントンやニューヨークなどの心臓部を守り通していますが、中部と南部委の支配権をアメリカ連合国に奪われ、五大湖という大工業地帯が社会主義者の支配下であるため、苦戦を強いられています。

 

コスタリカおよびパナマを協商側に取り込んだため、東西のシーレーンは協商の思いのままになっています。

 

 

 

ひそかにコミューンに内通しスパイ活動を行っていたアルベール・カミュの処遇をどうするか、選択できます。死刑にすることもできますが、ここは懲役刑として事を解決させました。

 

一方でアメリカ連合国軍が、アメリカ労働組合連盟の中心都市であったシカゴの占領を果たし、一気に戦争が傾きました。しかし、まだ合衆国の抵抗も強く、内戦の終わりにはつながりませんでした。

 

 

 

大戦後、イギリスの社会主義革命勃発に伴い、英連邦から離脱し自主独立を宣言していた南アフリカにて、内戦が勃発。

 

 

 

国王を迎え、軍の刷新を開始。シャルル・ド・ゴール将軍のプランを採用し進めます。その一方で、海軍ノフランソワ・ダルランが政府の方針を批判。コミューンとの勝機の薄い戦いよりも防備を固めるべきだとします。

 

ここはダルランを海軍提督から解任し、予定通り軍備増強を進めることにしました。消極主義ではフランスは取り戻せないのです。

 

 

ギリシャで共和派が勝利し、王制に反対する社会主義者が蜂起。ギリシャ内戦が始まっています。蜂起はヘレネス社会主義共和国と名乗り政府に対し攻撃を始めました。

 

 

 

ドイツによる中国支配の象徴だった東亜総合結社。中華民国蜂起政府に敗北し、消滅。ドイツ帝国は暗黒の土曜日の対応に追われ、アジアに軍事介入する余裕はとてもありません。

 

結局、帝国協定はこの成り行きを静観し、ドイツの中国への影響力は大きく減衰しました。

 

 

 

大戦後の混乱から回復し、民主主義に回帰したはずのオーストララシア連邦。再びクーデターが起き、衛兵団が政府を占領。国家大衆主義に染まりました。

 

 

 

 

1939年春を迎え、国家方針【大陸への帰還!】を取得しておきます。この国家方針はわずか1週間で完了し、フランス・コミューン政府に対しての戦争目標を即座に取得できる(さらに宣戦布告の期間制限もない)というメリット以外存在しないものです。

 

あらかじめ取得し、何時でも攻められるようにします。

 

 

 

帝国協定から離反したウクライナ社会主義共和国と戦争を続けるドイツ帝国。民族主義の勃興により、同じく帝国協定のリトアニアがこれを離脱し、ドイツに牙をむきました。白ルーシは離反した国との最前線にありながら、ドイツを裏切らず戦線を維持しています。

 

 

チャーチル、本を出版。史実の世界とよく似た流れを迎えた世界、第一次世界大戦が協商の勝利で終わったら、という内容です。

 

 

 

1939年8月末。史実ではナチスドイツがポーランドに最後通牒をたたきつけた時期。この歪んだ世界では、フランス・コミューンがドイツ帝国に対して最後通牒を突き付ける。

 

内容は、アルザス=ロレーヌ(ドイツ名:エルザス=ロートリンゲン)を無条件に返還せよという内容。当然ながらドイツ帝国がこれに応じるはずがなく、コミューン政府は間もなくドイツ帝国に対し宣戦布告を通達。

 

第2次世界大戦がはじまりました。ことは独仏だけで終わらず。両シチリア政府は帝国協定に加盟し、イタリア社会主義共和国の牽制となります。イギリス連合はコミューン政府の側に立って、ドイツ帝国に宣戦布告。

 


 

 

デンマーク、ノルウェーも既にカリストに支配されており、間もなくインターナショナルに合流し、対ドイツ戦争に参加しています。第2次世界大戦勃発から1か月と経たぬうちに、カナダ連邦がイギリス連合に対し宣戦布告をしました。

 

 

 

同盟国カナダは、すぐさまフランス王国に参戦要請を通達。これを二つ返事で受けフランス王国も大戦に参加。このタイミングをもって、コミューン政府に宣戦布告し、一気に大陸への上陸を図ります。

 

 

この情勢を受け、既にインターナショナル相手に戦っていた大日本帝国と不可侵条約を結ぶ。奇襲的に参戦したフランス王国。全海軍と同盟国カナダの協力の上、地中海を横断しマルセイユに奇襲上陸を行います。

 

 

ドイツ帝国、フランス王国政府に対し対インターナショナルの共闘と不可侵条約の締結を打診してきますが、これを受諾。ドイツ帝国を復讐の対象とせず、同じ目標を掲げる友軍と位置付けます。

 

マルセイユへの上陸を果たしたことで、フランス本国の反革命派義勇軍がフランス王立軍に協力を申し出てきます。兵力が足りない王国にとって助かります。

 

 

 

コミューン政府は対ドイツ、対ベルギーの国境に多くの軍を割いているため、南部の守りはかなり薄い状況です。一気に川沿いまで進撃、リヨン手前まで進み、コミューン軍の展開前に防備を固めました。機を見て、パリへ進みます。

 

 

後方上陸からの包囲殲滅。イタリア社会主義共和国が降伏し、2正面を解消します。