サヴォイア家による、統一イタリア王国。ファシズム国家ですが、イタリア共産党の支持を伸ばし、共産主義国家として進もうと思います。

 

開始時は、イタリア国家ファシスト党の支持が圧倒的に高く、まずは共産主義支持の政治顧問を雇い、支持率を伸ばしていきます。

 

 

 

共産化するまでは、ファシスト政権として史実通り歩みます。第二次エチオピア戦争を終わらせ、エチオピアを併合。

 

政治顧問によるイデオロギー上昇率をMODにて高めているため、1936年夏には共産党が政権与党になりました。これにより、新たに【イタリア連邦】が成立します。

また、政権交代とほぼ同時期に、エチオピア戦争時から始めていたオーストリアへの領有正当化工作を終わらせ、オーストリアへの侵略戦争を開始。

 

 

オーストリア全土を併呑し、連邦に取り込むことにより将来発生するナチスドイツのアンシュルスを予防しました。オーストリアを得ることができなかったドイツは、史実に比べて大きく弱体化するため、先制して占領するのはかなり有効な手段です。

 

このままチェコスロバキアまで行ければいいですが、さすがに国際緊張度の高まりによってイギリスやフランスの介入を招くため、ひとまず拡張はここまでにしました。

 

また、共産主義政権になったことで、アフリカ植民地の解放を推し進めます。帝国主義との決別を示すため、リビアとエチオピアを開放。

 

 

 

エチオピア帝国の元皇帝、ハイレ・サラシエが依然、エチオピア人民民主共和国の元首になっていますが、共産主義に帝国というのはあり得ないので、元皇帝は首席という立ち位置でしょうか。


 

アルバニア王国を、連邦に取り込んだのち、陣営を立ち上げる条件を満たすため、国家方針【イタリア至上主義】を獲得します。イタリアは、共産主義国家としてプレイすることがあまり想定されていないため、イベントの進行は、ファシストイタリアのものと同じです。

 

陣営名は、デフォルトでは【新ローマ帝国】ですが、共産主義では不自然なので、陣営名は新たに【ローマ評議会】としました。ソ連のコミンテルンには加盟せず、独自の共産主義圏を作り出します。実際、コミンテルンに加盟してソ連を対ドイツ戦に引っ張り出した方が圧倒的に楽ですが。

 

 

イタリア連邦の手厚い支援によって、スペイン内戦は共和派の勝利の勝利で終わる。スペインの対伊感情は非常によく、蜜月関係になりました。ローマ評議会に加盟まではしてくれませんが、イベリア半島に有力な友ができたといえます。

 

 

同時に、国家方針【ブルガリアとの友好】を進め、ブルガリア王国の耐性を転覆させます。これにより新たにブルガリア社会主義共和国が成立し、同国はローマ評議会に参加します。

 

 

 

1939年7月。ドイツのポーランド侵攻直前です。

 

史実通り、ポーランドに侵攻したドイツに対し、イタリア連邦は連合国に共鳴し対ドイツ宣戦布告。ポーランドは消滅しますが、対ドイツでイタリア戦線を作ることで、ドイツの黄作戦の実行を不可能にします。また、ローマ評議会のブルガリア、エチオピア、リビアはイタリア連邦側での参戦を表明。

 

スペインは、内戦後にもかかわらずローマ評議会への加盟と対ドイツ参戦を申し出てきました。願ってもない話として、これを承諾します。

 

 

ドイツの防御が充実する前に、一気に川沿いまで進軍し、防御の優位性を保持します。また、初期段階で一気にミュンヘンの占領を果たしました。これ以降、川を挟んでドイツとイタリア連邦軍が睨みあう状態が、しばらく続くことになります。

 

イタリア連邦軍では不足している兵力は、エチオピアからの遠征軍15個師団超で補填しました。

 

 

ドイツのベネルクス侵攻は、戦力分散により実行不可能に陥り、やむなくデンマーク侵攻を先に行いますが、同線域に展開していた大規模な英仏軍の反撃によりドイツ軍は後退。シュレースヴィヒ・ホルシュタインおよびハノーファーが連合国に占領されました。

 

ドイツ軍の機動防御により、デンマーク側の連合軍が徐々に後退を始めたころ、バルト海の沿岸部より、スペイン軍が上陸作戦を展開。ゲリラ的なスペインの大規模上陸により、持ち直した連合軍は再びドイツに対し攻勢を開始しました。

 

この戦線の構築で、やや薄くなったイタリア連邦側でも、攻勢を開始。包囲殲滅を繰り返します。

 

 

北部戦線は、連合軍の攻勢によりドイツ軍の防衛は崩壊。ドイツは一気に首都ベルリンを失いました。その結果、ナチスドイツは200万人の犠牲者を出し降伏。ポーランド領ダンツィヒにて講和条約が結ばれました。

 

 

ドイツ政府はナチスが追放され、新たに共産主義の【ドイツ社会主義共和国】が成立。連合国が占領した北部、北西部ドイツ領は分割され、地方政府が成立しました。

 

ドイツと同じように、ルーマニアにも傀儡政府を成立させローマ評議会に加盟させます。