民主主義という衆愚政治を放棄し、パクス・ブリタニカの再興を目指してみました。
イギリスは、ファシズム化すると国名が『帝政イギリス』に変わります。英語版のBritish Empireを和訳した結果が、大英帝国ではなく帝政イギリスとなったものと思います。また、帝政イギリスの路を目指すと、そもそもフランスは連合国に加盟してきませんし、カナダやオーストラリアといった自治領諸国は離反します。
国家方針で、【方針転換】を選択。これを完了すると、ファシズムへの路を選択できるようになり、期間限定で民主主義の支持率が低下していく国民精神を獲得します。
オズワルド・モズレーが主導する黒シャツ隊の活動を徐々に拡大してファシズムの支持率を高め、体制を転覆させるのが帝政イギリスへの道です。
国家方針【黒シャツ隊を組織】を完了すると、ディシジョン(必要となる政治力さえあれば任意のタイミングで発動できるイベント)に黒シャツ隊を行進させるが追加されます。
グレートブリテン島と北アイルランドの各所を選択し、行進させることでファシズムの支持率が高まっていくという仕組みです。中央(ロンドン)に近ければ近いほど支持率の上昇幅が大きいですが、あまりにも急進的に行うと内戦が勃発するため慎重に進める必要があります。
イギリスの混乱を見て、フランスは独自の陣営形成による安全保障を探る。
『フランス協商連合』という名の民主主義陣営を立ち上げます。
それにしても全然スペイン内戦が起きないな..と思っていたら、おそらくMODの悪作用により政党支持率がバグっていたためか、なかなかスペインで内戦が起きませんでした。
アメリカ合衆国、史実通り中立政策を採る。イギリスによる覇権を目指す上で好都合です。
イギリス・ファシスト連盟の支持率が50%以上(過半数)を超えれば、ディシジョン【ダウニング街の行進】が選択できるようになり、これを実行することによりイギリスはファシズム化します。
黒シャツ隊の行進による混乱を収束させるため、国家方針【神よ王を守り給え】を選択。
帝政イギリスになったことにより、自治領諸国は本国との決別と独立を宣言。イギリスは、自治領に対し持っていたあらゆる影響力を喪失します。ANZACは太平洋での、カナダは北米での、南アフリカはアフリカ南部での支持が失われ、大英帝国の至宝であったインドさえも独立を一方的に宣言。帝政イギリスは力づくで従わせる力がないため、状況を見守るしかありません。
1938年9月。帝政イギリスに対し、フランスが突如として宣戦布告。
帝政に変更してさほど時間がたっていなかったため、フランス陸軍と戦う十分な戦力がありません。が、この段階でイギリスを指示しているイタリアを同盟に誘い、英伊同盟によりフランス協商連合に対抗します。
ナチスドイツは帝政イギリスへの支持を表明し、参戦こそしない者の義勇軍の派遣と不可侵条約の締結を申し出てきました。当然ながら受諾。
陸軍では分が悪いですが、海軍は帝政イギリスに優位性あり。
ドーバー海峡および地中海に王立海軍(すでに帝国海軍か?)を派遣。制海権を掌握後、片っ端から輸送船襲撃を行い、フランスのシーレーン破壊を目指しました。
フランスの輸送船が900隻⇒200隻になるころ、フランスの人的資源が枯渇。グラン・ダルメも聖なる団結も過去の話。充足率の切れたフランス陸軍に対し、サルディーニャより英伊連合が攻めあがる。一度前線を抜けたら、もはや無人の荒野を駆けるかの如くでした。
フランス協商連合にはチェコスロバキア、ルーマニアが加盟していますが、大勢に影響なくパリが陥落した段階でフランスは降伏。
植民地こそすべて放棄させ、ニースやグルノーブルといった土地もイタリアに割譲させますが、その他フランス本国の自治は許し、帝政イギリスに忠実な国家保護領としてフランスは新たに、ナシオン・フランセーズとして歩むことになります。