無事に、ドイツで独裁体制を確立した伍長閣下。

 

今次プレイのドイツは、史実に比べてかなり諸外国、諸民族に寛容な態度をとっていますが、

あくまで、目的は英仏らへの復讐ではなく、正当な権利を取り返すことです。

 

 

 

オーストリア併合、は行わず、再興したハプスブルク帝国と同盟を締結します。

独墺同盟です。同じドイツ民族同士、そして第1次世界大戦の敗戦国同士、利害は一致しているので、あらゆる面で協力します。

オーストリア=ハンガリー帝国における主権の侵害なども行いません。

 

 

遠く極東では、勝勢は決し大日本帝国が中華民国へ講和を打診するも、

中華民国はあくまで拒絶し、戦争を継続するらしい。

 

 

 

ミュンヘン協定。

ズデーテンラントはドイツの利害が絡み、決して譲歩することができない問題です。

この正当な主張を受け入れるよう、軍事力をちらつかせてチェコスロバキアに迫った結果、

英仏の仲介によって、ドイツに返還されました。

これに便乗し、ポーランド・リトアニア第二共和国はティシェン地方の割譲を迫る。

 

 

 

そして、チェコスロバキアはドイツの同盟国であるハプスブルク帝国へ回帰するよう迫ります。

しかし、同国はこれを拒否。やむなく、ドイツとオーストリアは宣戦布告しました。

この問題に対し、列強諸国は静観。あくまで『内政』問題であると主張し諸外国の介入をけん制します。


 

実際のところ、チェコスロバキア軍は大した強さはなく、再軍備したドイツ軍と、

オーストリア=ハンガリー軍を動員すれば、苦も無く併合できます。

チェコとスロバキアを東西に分断し補給を絶つとあっさり降せます。

見かねたイギリスは、ポーランド・リトアニア第二共和国の独立保証を声明。

同国の独立を侵すことがあれば、然るべき措置をとることを宣言します。

 

 

ちなみに、この世界ではスターリンによる大粛清が発生しておらず、

その結果トゥハチェフスキー元帥が権力を握ります。

 

 

史実より多少遅れ、MR協定をソ連と締結。形式上、非難声明を発するオーストリア=ハンガリーですが、同盟関係に揺るぎはありません。

なんの気がかりもなくなり、ポーランド・リトアニア第二共和国を心置きなく攻めることができます。

 

ポーランドとリトアニアがくっついたところで、ドイツの脅威たりえません。

1週間足らずで勝勢は決し、同国は降伏。

もはや見過ごすつもりのないイギリスとフランスは、ドイツとオーストリア=ハンガリーに対し宣戦を布告してきます。

 

 

 

ポーランド・リトアニア第二共和国を処理したら、時期を待たずに即座に転身。

冬が来る前に対フランス戦に移ります。

その間、北海~ドーバー海峡へ向けて爆撃機を飛ばし、イギリス海軍の力をそぐ。

 

 

対フランス戦は特にみるべきところなく、いつものプレイと同じように降伏させたので、

省きますが、しかし1939年のドイツ陸軍のドクトリンは圧倒的に優位で、

大した苦戦もなくフランス軍を敗走させることができます。

 

第1次世界大戦であと少しまで手が届きながらついぞ到達できなかったパリへ。

マルヌの悲願を果たし、シャンゼリゼ通りを勝利の行軍です。

 

 

パリが陥落すれば、フランスは降伏します。

今回も史実通りの要求をフランスへ行い、休戦協定を成立させます。

同時に、イタリア王国の枢軸加盟は拒否。第1次世界大戦の裏切り者であり、日和見のイタリアは必要ありません。

復活したオーストリア=ハンガリー帝国はイタリアに比べ各段に強く頼りになるので、独伊同盟は全く必要ないのです。

 

すでに、北欧はスウェーデン・デンマーク・ノルウェー・フィンランドによる北欧相互防衛体制が成立しており、さらにバルト諸国も抱き込み同盟を拡大しています。

 

 

 

 

ソ連、バルト諸国への軍事介入を諦めました。

スウェーデンら北欧諸国の後ろ盾があるから...というわけではなく、

同時期に始まった日ソ戦争が最大の理由でしょう。

 

すでに中華民国を下した大日本帝国は、共産主義の脅威を取り除くため、

大陸の中国共産党とソ連に対し決戦を挑んでいます。

そのため、バルト諸国にかまう余裕がソ連にはなくなったのでしょう。

 

ドイツにとって、この戦争は最大の好機です。

中国さえも屈服させた大日本帝国は名実ともにアジアの最強国となり、極東ソ連軍の規模では防衛しきれないために欧州の精鋭軍も移動を始めているからです。

 

 

 

ソ連に目標を定め、戦争準備を始めるも、時すでに1940年1月。

ロシアは冬将軍しているので攻めることはせず、ドイツ軍は息を整えることにします。

 

防寒装備もぬかりなく行っているため、冬季戦争も史実ほど苦戦はしないでしょうが、人的資源に限りあるドイツとしては、万全を期します。

その間、相変わらず爆撃機を飛ばしてイギリス海軍への攻撃を継続していました。