ふりーむ!にて配信中のフリーゲーム、『影廊』の大型アップデートがされていたので、プレイしてみました。

verは1.05になり、新ステージ、新徘徊者などが追加されたようです。

 

その他、途中で死んでも、回収した勾玉1個と引き換えにコンティニュー(回収したアイテムそのままに)することができるようになりました。

従来のステージを、ノーコンティニューでクリアすることで、次のステージ、『深淵』へと進められるようになっているみたいです。

 

 

 

ステージ、『深淵』は以下の特徴があります。

 

●スタート地点およびその周辺の地形は固定。それ以外の地形はランダム生成。

 

●光源となる燭台は存在しない。

 

また、徘徊者に関しても影廊とは異なり、まず神楽鈴が徘徊していません。

徘徊しているのが3種。

 

 

①走り回る徘徊者...従来通り。大きな足音で走り回ります。こちらの発する音では探知されない(ただし爆竹は例外)為、足音が聞こえたら光源のない物陰に隠れることで回避可能です。全徘徊者の中でもっとも移動速度が速いですが、足音が大きい分探知しやすいです。あせらず逃げましょう。

 

 

②泣き声の主...影廊ではランダム配置でしたが、深淵では固定配置のようです。近づきすぎる、ハンドライドを当てるなどすると襲いかかってきます。

また、うずくまっている者とは別に、初めから徘徊している泣き声の主も存在し、『何処にいるの...?』という声、『ペタ......ペタ...』という足音をもとにその接近度合を図ります。光を当てたり、近くで歩いても襲いかかっては来ませんが、光源・足音をもとにこちらを探知し、ゆっくり近づいてくるため、注意が必要です。

 

基本的には、進行方向に徘徊する泣き声の主がいたら、引き返すのが無難と言えます。

 

 

③忍び寄る徘徊者...神楽鈴などとは異なり、徘徊する際に一切の音を立てない無音の徘徊者です。しのびよる徘徊者の接近時にはライター(ハンドライト)が激しく明滅すると同時に、鼓動音が強くなるので、この2点で忍び寄る徘徊者が近くにいるのがわかります。

 

何も聞こえなかったのに、近くでふすまや扉をあける音がした場合、忍び寄る徘徊者が接近している可能性が高く、注意が必要です。

最大の難点は、まったく音を立てないために『どちらの方角に去って行ったか推測しにくい』点。

過ぎ去っていったかと思い、物陰から出るとすぐそばにいてゲームオーバー...なんてこともありえます。

 

※補足...神楽鈴の徘徊者も、ある条件で徘徊するようになります!そうなると難易度が急上昇。

 

 

 

 

 

深淵では、スタート地点で手鏡を入手することができない上、入手頻度がきわめて低くいので、影廊と比べてかなり貴重です。やすやすと使えません。

 

代わりに、水晶(仮)のような新アイテムが登場。

これを使用すると、約10秒の間、時が停止し、全ての徘徊者の動きが止まります。

手鏡と合わせ、追いつめられた際の選択肢の一つとなります。

 

私は主に、勾玉を5個集めゴールを目指すだけになった場合に、この水晶(仮)を使用してゴールの方向目指して一気に走ります。途中、時が止まった状態で徘徊者とすれ違うことも多いです。

 


 

深淵をノーコンティニューでクリアすると..。

神楽鈴の案内で、さらに奥へ...。

ちなみに、この神楽鈴は襲ってこないので、近くでじっくり観察することができます。

神楽鈴はどうやら女性のようではありますが、能面のせいで素顔は見えません。ただ、首元を見ると、肌が腐っているかのように見える為、もはや人ではないのかもしれません。

 

 

 

 

神楽鈴の案内によって連れてこられた部屋には、謎の人物が横たわっています。

近くに拠って話しかけても反応がない。しかし、その後に振りかえると、謎の少女が...。

横になっているのは、どうやら少女のお母さんのようです。

 

ノーコンティニューの褒美として、3つの選択肢から好きなものを選ぶことができるので、『永遠の命』を選択してみました。

 

 

その後の少女の台詞から察するに、あの徘徊者たちも、主人公と同じように影廊に迷い込み、

そして永遠の命を得た者たちだったようです。しかし、永遠の時を過ごすうちに狂い、化け物のような姿に代わり、襲いかかってきたということみたいです。

 

主人公も、いずれその仲間入りをするのかも...。

今回は永遠の命を選択しましたが、それ以外選ぶとどうなるのかも気になるので、あと2回、ノーコンティニュークリアを目指します。

 

 

 

 

※以下、追記補足。

【命をささげる】を選択して見た場合です。

 

 

 

 

仕えるにしても、命をささげるにしても、何のためなのか?と言うのが気になりますが、何らかの理由で命あるいは生命力を欲しているのかもしれません。