【アメリカ連合国の歴史情報】

 

1861年1月、アメリカ南部州はエイブラハム・リンカーンが大統領になれば、奴隷制度は廃止されるであろうと考えた。それに対抗するため、南部州は暫定政府を創り、ミシシッピー州の議員ジェファーソン・デイヴィスを大統領に据えた。(史実では最初にして最後のアメリカ連合国大統領)

 

 

1862年4月、南北戦争が激化する中、北部のリンカーンは奴隷解放宣言を行う。『現在、奴隷の身分におかれている人々は全て自由人となる』。しかし、その宣言とは裏腹に奴隷は解放されず、結局は戦争に大義を与える為の道具に過ぎなかった。

 

 

デイヴィスはこの宣言に対抗し、国務長官などを兼ねたジュダ・ベンジャミンを英仏両国に送り、軍事・財政の支援を求めた。ベンジャミンは、戦争遂行の大義名分を奴隷制度の維持ではなく、私的財産の自由という観点から説明し、この『自由』という大義名分は英仏両国の支援を引き出すことに成功した。

英仏の支援を受けた南部州は1863年ゲティスバーグの戦いで大勝した。英仏軍と南部州の連合軍の攻勢の前に、北部はなすすべなく敗走したのである。

 

この勝利は南北戦争の帰趨を決定づけた。やがて南部州の軍隊は北部の首都ワシントンを攻略し、ホワイトハウスを占拠。しかし、そこに大統領リンカーンの姿はなかった。

大統領なきまま、1864年4月ワシントン郊外の小さな家で、ユリシーズ・グラント将軍がロバート・リ-将軍に降伏し、血みどろの南北戦争は終わった。

 

南部州は逃げたリンカーンを追跡した。リンカーンは奴隷解放論者のハリエット・タブマンを頼り、黒人に変装して逃亡を続けたものの、カナダに到達する前にデトロイトで逮捕される。

逮捕されたのち、首都ワシントンで開かれた裁判で、リンカーン〔元〕大統領は戦争犯罪で有罪となりモンロー砦に収監。リンカーンは2年間収監生活ののち、赦免されてカナダに追放された。故郷に戻ることは許されず、カナダで余生を過ごした。

デイヴィス大統領は北部を併合、こうして全てはアメリカ連合国に統一された。

 

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映画、CSAより

 

通常シナリオのアメリカ合衆国を、設定を変えてアメリカ連合国にしてみました。

イベントなどは作ってない(そもそも作れない)ので、CSA独自のイベントなどはありませんが、

南北戦争で南部州が勝利したIFの世界、ということでプレイしていきたいと思います。

 

 

 

 

合衆国が左派民主制だったのに対し、連合国は右派独裁です。

名目的には、選挙で選ばれたロング大統領が元首。

 

目標1:中南米征服

目標2:ドイツの行動を『黙認』。大戦勃発後は機を見て枢軸側で参戦し、英仏の完全なる屈服を目指す。⇒米独による分割支配。

 

目標3:アジアの征服。日本に対し奇襲攻撃を仕掛けて屈服させる。アジア人は主にCSAの管理下に置く。

 

 

 

 

シナリオは『1933年 決断の日』

アメリカ連合国の工業力は、開始時点で650

初めからソ連の3倍、イギリスの4倍ほどあります。

合衆国はモンロー主義で最初は低い工業力ですが、CSAは最初から覇権主義と帝国主義を隠しもしないので、この数字なのだと脳内保管します。

 

 

北米は、大西洋と太平洋の二つの壁に守られているので、安心して外地侵略できます。

第2次大戦がはじまるまでの軍備拡張計画は以下の通りです。

 

陸軍⇒400~450万人

海軍⇒空母30~40隻を主とした機動艦隊整備

空軍⇒戦闘機と軽爆撃機を2000機ずつほど

 

 

初期は軍事力も乏しいので、ひたすら生産、生産の日々。

外国の挙動に目を向けつつ暇をつぶします。

 

南米の2大国のひとつ、アルゼンチンはランシマン協定で英国の半傀儡国家に。

 

 

英国とは良好な関係を維持してますが、ドイツの行動を黙認する以上悪化は避けられない。

ならば初めから敵対する方向で行きましょう。

史実の合衆国よろしく、CSAも大西洋と太平洋の2正面で、充分に戦える戦力が整うはずです。

 

 

そして、驚愕したのが、オーストリア。

まさかの帝政復古。

二重帝国再建

 

いつも、大ドイツの一部として消滅するオーストリアですが、この世界では再び帝国に返り咲く。ただし、アウスグライヒも元通り、ハンガリーとの合邦によりオーストリア=ハンガリー帝国です。

 

 

1937年7月、支那事変勃発。

この世界では日本は一気呵成に攻め上げ、抗日統一戦線を粉砕した模様。

 

 

 

 

支那を支配下に置き、大帝国となった日本。この戦勝で国民は沸き立ち、恐れを知らぬ国家となった。

対支那を片付けた日本は、ノモンハン事件にてソ連に国家的軍事報復に出る道を選ぶ。

いくら支那大陸の大半を影響下に収めたとはいえ、いくらソ連が欧州情勢に気を取られているとはいえ、日本がソ連に敵うとは思えないですが。

 

 

 

 

 

翻って1939年9月

モロトフ・リッペントロップ協定後の第2次大戦勃発と同時に、CSAも動き出す。

初陣としてメキシコ合衆国へ宣戦布告します。

 

 

映画CSAでは南北戦争後に、中南米へ侵攻したものの中南米諸国の力を侮りすぎて手痛い被害を被った描写がありました。

それゆえ、現代もメキシコなどが残存していると脳内保管してみます。

 

その出来事から三四半世紀の時がたち。

彼我の国力を鑑みれば、50万人もの大軍を動員する必要があるようには感じられないものの、アメリカ連合国民の為に、まずは分かりやすい『戦勝』が必要であろうと思いますので、中米のメキシコを標的にしてみました。

 

 

 

1940年8月

アメリカ連合国、日本に対し宣戦布告。

 

この時点で日本は、対ソ戦争で押され気味であり、日本本土の防備はだいぶ手薄になっていました。満州中部までソ連は侵攻してきており、今こそ絶好の好機として対日参戦です。

 

 

日本といえば、言わずと知れた大海軍国。

まずは制海権を得ない限り、攻めようがありません。

 

従って、空母20隻を主とした機動艦隊を日本近海に展開し、奇襲。

この攻撃で日本機動部隊を壊滅させ、連合艦隊を葬り去る。

 

奇襲攻撃は大成功に終わり、日本は戦争初期段階で海軍が壊滅。日本近海の制海権は完全にCSAが握ります。

 

そうしたら、次はグアム島に待機させていた海兵を投入。

速攻のアイスバーグ作戦発動で、沖縄を攻略する。

 

 

 

 

1940年10月

沖縄本島の北部を占領。

 

 

 

1940年11月

九州に上陸。

 

1941年1月

広島占領。

 

1941年3月

京都占領。

千年の古都に翻るブラッド・ステインド・バナー。

 

 

1941年4月

長野の攻防。

阿南将軍率いる帝国陸軍との死闘。

CSA、日本列島西半分を占領。

 

かの広大な帝国も、すでに列島半分しかない。落日の帝国です。

 

 

1941年6月

東京攻略作戦。

1カ月続いた激闘の末、CSAは大日本帝国の帝都、東京を占領した。

 

この時までに、幾度か日本から和平交渉の打診が来ていたが、全て門前払い。

もはや延命する力しか残っていない相手と交渉する必要などありません。

完全に屈服するまで継戦します。

 

和平交渉が蹴られた日本政府、札幌を臨時首都として抗戦することを表明。

 

 

1941年9月

CSA、北海道を占領。

日本帝国政府、降伏。

全土CSAの占領下へ。

 

 

1年以上かかって日本を屈服させたわけですが、さて日本の処遇はどうしようか...。

まずは戦争で荒れ果てた日本本土のインフラ復旧と再工業化に着手することにします。

反乱がおきないように、各地に駐兵させることも忘れずに。

 

そのあとはアメリカ連合国の州に組み込むか、同盟国に分け与えて分割統治するか、あるいは独立させるか..。意外と悩む。

 

ちなみにこの対日戦で、軍全体で約20万人が死傷しました。USAだと政権が吹っ飛びそうな数字です。