イタリア王国の侵略は、エチオピア帝国と大日本帝国の協力によって退けられた。

日エ両国は、より親密な連携をするべく、相互防衛同盟の締結と長期にわたる経済協力を約束します。

 

 

 

 

エチオピアは港を手にしたことで、海軍建造に着手します。

日本の全面的協力のもと、エチオピア帝国初の空母建造にも取りかかる。

 

 

第二次エチオピア戦争の勝利に先立って、満州国皇帝・溥儀の訪日。

 

 

実際、満州国は独立国という体でありながら日本の関東軍による強い支配、統制下にあり、

およそ主権国家とは言い難いものがありました。

 

そんな中、満州国の国務院総理にして、溥儀の片腕とも言ってよい老臣・鄭孝胥(てい・こうしょ)はあろうことか関東軍を批判。関東軍の圧力によって追放を余儀なくされました。

 

 

鄭孝胥はあくまで満州の復興、復権に尽力し、皇帝・溥儀に忠義を尽くした人物として知られています。さて、今回の歴史ではどうするべきか...?

 

今回は

『満州の完全なる独立を認めよう!』

を選択。

とりあえず、満州の共産化、敵対化を阻止できるならば、日本が引き上げてもよいでしょう。

日露戦争の権益を放棄するのかと強烈な暴動がおきそうですが、あくまで満州との友好は維持し、満州国の将来については『我が国の』脅威にならない限りは満州の自由意思に拠るものとするという方針で行きましょう。

 

 

..これで満州が共産化して、ソ連や中共軍と一緒に南下してきたら最悪の流れではありますが。とにかく、満州国は日本の傀儡ではなくなり、鄭孝胥が望んだとおり、満州族による自治、民族自決が実現したのです。

 

ゲーム的には満州が傀儡ではなくなると、将来列強ともいえる国力を持つに至ります。

最終的には満州と組んで、満州族による清朝復興を夢見るのも良いかもしれません。

 

 

 

これより1939年になるまでの約4年間は、ひたすら軍拡です。

軍国主義と揶揄されつつも、ナチスドイツとソ連の両国に対する為、

とにかく陸軍の装備を更新、さらに増員。

 

1939年9月の時点で、日本帝国陸軍は220万人の兵力を持つに至りました。

海軍の拡充は控えめであり、正規空母はわずか2隻。赤城と加賀のみ。

大戦勃発の時点で、空母建造はいまだ完了せずでした。

 

 

39年10月、史実よりひと月送れてナチスドイツがポーランド侵攻開始。

イギリスもこれを見過ごすつもりはなく、英仏ともにドイツに宣戦布告。

 

ドイツとソ連の挟撃にあったポーランドはあえなく降伏。昔の如く分割され、地図から消滅します。

 

ちなみに英仏との関係ですが、ファシストイタリアとの対決、満州国の自治実現などなど、

史実とは異なる道を歩んだ日本に対し、英仏は極めて好意的になっています。

 

禁輸もされていないために、このまま大戦に関わらず傍観していても、日本は問題はないでしょう。フランスが敗れ、アメリカがドイツを倒すいつも通りの結末になるかと思います。

 

 

しかし、この大戦の中で国家社会主義と共産主義の両者を葬り去りたい。

そのためには日本も積極的に大戦に介入します。

 

1939年10月半ば、建造していた空母5隻が就役。

『翔鶴』『瑞鶴』『雲龍』『飛龍』『蒼龍』です。

 

赤城と加賀を含めて7隻。

これで二つの機動艦隊を編成し、一つは地中海の、もう一つは日本海とオホーツク海の制海権確保を目指します。

 

 

 

第1機動艦隊。この艦隊は、地中海へ向かわせます。

地中海は主にイタリア海軍が活動しており、なおかつイタリア空軍による攻撃もあるため、激戦区となる。

イギリス海軍、フランス海軍と共同し地中海の制海権確保を目標とします。

 

 

その他空母は日本近海の防御に当たりますが、基本ソ連の海軍は脅威とはならないので、

ある程度安全が確保されたら、地中海の援護へ向かわせることにします。

 

 

イギリスに対し、同盟参加と対枢軸参戦を要請。

第2次日英同盟とも呼ぶべき、同盟復古。

 

 

日本と同盟関係にあった、エチオピアと満州両国も連合国に入る。

史実のチャーチルは、ドイツを倒すために悪魔(ソ連)とも手を結ぶとしたわけですが、この世界はでは日本と手を組んだため、ソ連を当てにする必要はなさそうです。

 

地中海のイタリア海軍を撃破し、まずはアドリア海にあるサルデーニャ島の占領をします。

 

 

行けるかなーと思い旧サルデーニャ王国、ピエモンテ地方への上陸を図るものの、

流石にこれは跳ね返される。まだ欧州上陸は果たせませんでした。

 

日本がイタリア方面で戦う最中、フランスはドイツの電撃戦を防ぐことができず停戦。

ドイツへ降伏してしまいます。

 

 

これにより、共闘していたフランス軍の消滅という危機に陥りますが、ドゴールの自由フランスが継続して戦う模様。

 

史実ではイタリア軍とイギリス軍の激戦となった北アフリカ戦線。

こちらは、インド軍とエチオピア軍の協力もあり、あっさりカタがつきました。

 

北アフリカのイタリア軍は全面降伏。