HOI2のシナリオ、『アビス』でスウェーデンを選択してプレイ。
アビスのシナリオは、1936年から始まるのですが、いわばパラレルワールド。
我々の知る歴史とは異なる道を歩んできた世界となっています。
世界は極めて少数の国で分割されており、史実と同じなのは連合国と枢軸国、共産国の枠ぐみだけです。
本シナリオはどちらかというとマルチプレイ、つまり対人向けのシナリオであり、国力や人的資源、技術などは、全ての国家で大差がない状態から始まります。
マルチ向きのシナリオですが、敢えてシングルプレイで進めていきたいと思います。
国家は【スウェーデン王国】で開始。
スウェーデン・バルト帝国は、大北方戦争でロシアに敗北。バルトとフィンランド地方を失い、権威を大きく失墜しますが、後イギリスがデンマーク王国の併合を果たすと、ノルウェーに対する支配力を強め、併合。
第2次大北方戦争において、ロシア帝国を打ち破ったスウェーデン王国は、失地回復を果たし、大国の座を取り戻したのです。
スウェーデンにとって仇敵、ロシア帝国。
プロイセンやスウェーデンなど、周辺国に悉く敗北し欧州から中欧にまたがる影響力を失う。
しかし、第一次日露戦争で日本を打ち破り、満州への支配力を強めていった。だが続く第二次日露戦争では日本に敗れ、極東の支配圏も失った結果、帝国は大きく動揺し、ウクライナの独立を許した。
とはいえ反乱を鎮圧し、崩壊を免れたロシア帝国は少しずつ傷を癒し、復讐の機会を虎視眈々と狙っている。
ドイツ諸侯の中でも随一の力を持っていたプロイセンは、19世紀に対ロシアとの戦い、普露戦争に勝利し、ポーランドを領有した。
同時期、民衆革命によって崩壊するオーストリアに介入し、ロシアとの間にオーストリアを分割する。オーストリアの滅亡で徐々に力を増したプロイセンは、ドイツ諸侯を支配下におさめ、プロイセン王国主導によるドイツ統一を果たす。
イギリスとイタリアの2大国家が共産主義革命に呑まれる中、危機に立たされたプロイセン王国がとったのは、ロシア帝国との関係改善、普露同盟の道であった。
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スウェーデンに隣接する国は、ひとつ残らず敵対的であり、対立しています。
戦争には至らないまでも、緊張状態が続き、一触即発。
つづいて、西欧情勢を見てみます。
欧州ソビエト連邦
イギリスもどき、欧州ソビエト。
19世紀、ヴィクトリア朝のイギリスはデンマークとの同君連合を敷き、果てにデンマークを完全に併合。後、オランダ王国の支配権を得たものの、チャーティスト運動が激しさを増す中、イギリス国王エルンスト・アウグストは運動を武力で鎮圧。
この行為により大英連邦諸国に見限られ、続々と離反を招く。
オーストリア革命の波及を恐れたイギリスはベルギーを武力併合するが、英国領インド帝国の独立を招き、大英帝国の政府は民衆の信頼を完全に失ってしまう。
そして社会主義者は1人の指導者の下に結集し、革命を成功させる。
新政府は王政の廃止を宣言し、欧州ソビエト連邦として再編された。
18世紀末、辛くも革命成立を防いだフランスは、ブルボン王家の断絶を招き、フランス王位はスペインのブルボン王朝に引き継がれ、広大なブルボン連合王国が成立する。
連合王国に反対する勢力は、主にカルリスタ派を中心として反乱を起こすが、結局は連合派が勝利し同君連合は守られたものの、代償として海外植民地をすべて喪失した。
ブルボン王国は内政改革を重視し立憲君主制へ移行するが、旧植民地の回復を果たすことはできなかった。
広大なフランス植民地帝国を夢見るブルボン王国は、失地回復を目指してオスマン帝国やローマ共和国、コサック連邦との対立を深めている。
1848年、ハプスブルク家のオーストリア帝国が革命により滅亡した。
ピエモンテ王はこれに乗じて北部の制圧を果たし、イタリア北部の支配権はピエモンテ王が握った。
後、徐々に支配権を強めたピエモンテはイタリア全土を統一する。
ピエモンテ王はイタリア統一に満足せず、衰退するオスマン帝国との戦いの末にアフリカ北部など、植民地を多数獲得する。
だが、代償として甚大な犠牲を払い、国民の不信は決定的となった。
そして国内に社会主義勢力の影響力が強まると、いよいよ革命は不可避となり、クロアチア出身のヨシップ・ブロズ・チトーによるローマ社会主義共和国が成立した。
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われらがアジアも見てみましょう。
People's Republic of the Rising Sun
日本もどき、PRRS。
19世紀、開国した日本は改革の末に帝国主義政策を推し進め、衰退する隣国の中国を攻めて、領土を切り取り始める。
だが、徐々に増したロシアの圧力で日本の大陸進出を阻まれ、次に日本は南へと目を向けた。
しかし、英帝国から離反したオーストララシア連合との軍事的対立を招き、太平洋方面でも拡大は阻まれてしまう。
再び北へ目を向けた日本は、ロシアとの戦争に突入する。世に言う日露戦争の勃発である。
この戦争で日本は戦費をまかなえず、財政破綻になりかかるものの、日本にとって天恵とも言うべきロシア革命が勃発し、日本は全面的勝利を収めることとなった。
だが、政府が戦勝の栄光に喜ぶ中、国内は貧困に喘いでいた。結果、陸軍による共産主義革命が起きる。
軍部は、国内の状況を天皇に訴え、体制の転換を図ろうとしていた。
ところが、天皇はあまりにも保守的であり、体制転換を拒んだ。
結果、革命勢力は天皇を打倒し、日本に共産主義共和国が誕生した。
中華民国
19世紀、中華王朝は腐敗し、中国大陸は満州を奪い合う日本とロシアの主戦場と化した。
こうした中、革命の勃発で王朝が倒れ、国民党と共産党を初めとした各地の軍閥の内戦状態に陥る。
だが、毛沢東が急逝すると、中国の安定を望む鄧小平が国民等との間に和平を望み、国民党と共産党の連合は各地の軍閥を打倒した。
やがて両党は合併し、ここ数世紀の中でも、中国はもっとも強力な力を有することができた。
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最後に新大陸を見ていきます。
アメリカもどき、北米合衆国。
アメリカ独立戦争の中、ケベックを征服したアメリカは、講和でカナダ全土の領有を果たし、北米合衆国が成立した。
カナダでは王党派によるイギリス復帰が叫ばれ、内乱が立て続く。
これに乗じて南北戦争も勃発し、北米合衆国は北部と南部で両面作戦を迫られる。
北米合衆国は北部の鎮圧を優先し、南部はこう着状態に陥る。そんな中、大統領に選出されたジョージ・B・マクラレンは南部州と和平を結んだ。
だが北米合衆国が南部統一をあきらめたわけではなく、政治的工作による南部州切り崩しを繰り返している。
連合帝国
(メキシコ帝国+南部連合)
大フランス=スペイン・ブルボン連合王国にてカルリスタ派による反乱戦争が起こると、スペイン植民地住民の多くが、これを独立の好機と捉えた。
新たに誕生したメキシコは、中米とカリブ海のフランス植民地=ブルボン領を占領し、メキシコ帝国の樹立を宣言する。しかし、北米合衆国との戦争に敗れて、領土を失った。
南北戦争の勃発は、メキシコ帝国にとって領土回復の絶好の機会だったが、ブルボン王国がマクシミリアンを皇帝に擁立したために、戦争に介入できなかった。
マクシミリアン皇帝はすぐに処刑され、残ったのはメキシコ帝国という国名のみであった。北米合衆国と和平を結んだ南部連合も、北米の脅威に常にさらされており、隣国の帝国との連合を望んだ。
こうして、連合帝国が成立した。
両国国民は決して友好的ではないが、一致独裁国家を築いた彼らは、北米合衆国への復讐を狙っている。
国家紹介-終わり-
開始は1936年1月からです。
スウェーデン王国は極めて理想的な立憲君主制を敷いており、共産主義とファシズムが吹き荒れる欧州の中で、民主主義を守り通しています。
開始直後、最も倒しやすいのはプロイセン王国ですが、しばらくは経済重視で軍拡は2の次とします。
ちなみにプロイセン王国目線で言うと、東のロシア帝国以外はすべて敵対国に囲まれており、ほぼ確実に、真っ先に消滅する国がプロイセンだったりします。
開始直後、軍拡したところで編成できるのは時代遅れの装備を持った張り子の軍隊なので、しばらく師団編成は一切しません。装備・ドクトリンを近代的にしてから、軍拡を始めます。
ドクトリンは日本式、火力主義からの浸透戦術を選択します。
そして外交ですが、スウェーデンの周辺国は全て敵対国なので、今さら外交的接近などする必要はありません。
北米合衆国や、コサック連邦、オーストララシア連合、ブルボン連合王国とは非常に良い関係を築いています。
対欧州ソビエトのときはブルボン連合王国、対ロシア帝国のときはコサック連邦に接近するのも一つの手かもしれない。
とにかく、欧州ソビエトが支配するユトランド半島方面、ロシア帝国とプロイセン王国方面に部隊を配置し、国防を抜かりなく行います。
そして、いつのまにか欧州ソビエト&ローマ共和国の同盟がプロイセン王国を攻めていた。
南北から共産主義国家に攻められたプロイセンはひとたまりもなく、ベルリン包囲によって降伏。
やはりというか、プロイセンは真っ先に消滅しました。