フランスはドイツの軍門に下り、西欧はほぼドイツの影響下となりました。
史実では、まさにこの時点がドイツにとって、ヒトラーにとって運勢の頂点だったと言えると思います。
フィリップ・ペタンのヴィシー政権は親独的中立国家。
駄目もとで、連合国に対して和平を提案します。
『現在の国境線を新たな領土としよう』というドイツの無茶苦茶な提案は受け入れられるはずがなく、
英国首相チャーチルは『ドイツが全ての占領地から軍隊を撤収し、原状復帰するならば和平を考えてもよい』と、強気に返答するのでした。
イギリスは、この時点では決して負けを認めることはありません。
なれば、アシカ作戦を実行し、英国本土を蹂躙。
力づくで屈服させるほかありません。
1世紀前、無敵を誇った女王とて、今や斜陽の帝国。
グラーフ・ツェッペリン級空母4隻はすでに就役済み。
空母『グラーフ・ツェッペリン』『ペーター・シュトラッサー』『ザイトリッツ』『クラウゼヴィッツ』を主力としたドイツ機動艦隊です。
充足率100%の空母航空隊も合わせ、すでにイギリスと決戦を挑むことも可能でしたが、先にソ連を片付けておきたいので、後回しにしました。
フランス降伏後、イベリア半島を味方につけるべく動くヒトラー。
アンダイエ会談です。
イギリス領ジブラルタルを占領し、地中海の入り口を封鎖したいドイツは、何とかしてスペインを引き込みたかったのです。
スペインの指導者フランシスコ・フランコ・バアモンデは、フランス降伏当時は将来の戦争参加を約束しますが、情勢を冷静に見極めて建前的にドイツに資源供給などを行いつつも、同盟を結んでの大戦参加は行いませんでした。
今回は、スペインに対し何も要求せず。代わりに和平を欧州各国に要求しますが、芳しいものではありませんでした。
戦争継続を訴えるイギリスとその連邦諸国は放っておいて、フランスとの間に講和条約を結ぶことにしました。
この条約によりエルザス、ロートリンゲン(アルザス、ロレーヌ)以外の全てのフランス本土は、新たなヴィシー政権に返還されます。
ヴィシー政府はその首都機能をパリに戻し、もはやヴィシー政権ではなく、目実ともに新生フランス国が成立したのです。
代わりにフランス国内へのドイツ軍駐留とドイツ軍通行権を獲得。
新たに誕生したヴィシー政権のフランス国は、あくまで中立国であるためにドイツにとって重要な壁となります。防衛しなければならない範囲が大幅に狭まるために、東側への兵力の抽出が可能となるのです。
アンダイエ会談の結果、フランコは枢軸に加盟することを承諾。
イベリア半島への進出が可能に。
ドイツ軍の支援を得たスペイン軍は、英領ジブラルタルの占領をします。
スペイン悲願のジブラルタル奪還。これにより、地中海の入り口は枢軸のものとなり、連合国の通行が不可能になった。英国は実質的に、中東ならびにアジアとの連携が不可能に。
英国に亡命していたド・ゴールは自由フランス軍を結成。
徹底抗戦を主張する。
中東では、ハバニヤ事件が起きる。
イラクが連合国に反旗を翻した出来事を利用し、イラクを枢軸に勧誘。
世界情勢を見て枢軸優勢と判断したのか、ブルガリアとルーマニアも枢軸に加盟。続々と増えていく。
西欧から東欧にまたがる、偉大なるドイツ帝国。
レーベンスラウムを広げるが、国境沿いに終結しだすソ連軍。
この状態でイギリスを責めるのは大変リスクが高く、万が一に東欧国境沿いを破られると、一期にベルリンまで走られる可能性があります。
というわけで、不可侵条約を破棄して対ソ連侵攻を開始。いわゆる独ソ戦です。
開戦直後、全ての戦線でソ連軍を撃破。ベラロシア、ウクライナを占領します。
しかし、ソ連軍はドイツをはるかに上回る強大な動員力を誇り、長期戦になればなるほどドイツは不利となります。
仮に、ドイツ軍で50万の兵力を喪失すれば戦線が崩壊するほどの大打撃となりますが、ソ連では大きな痛手にはなりません。
次々と前線に新兵、戦車が運ばれてきて、ドイツの前に立ちはだかります。
補給はほぼ連合国のレンドリースに頼っていたソ連軍。
アメリカの支援が始まります。
史実で果たせなかったレニングラードを陥落させ、その兵力を全てモスクワへ向ける。
ソ連の工業基盤を完全に破壊せしめ、決戦を図ります。


モスクワを包囲したのちに守備隊を殲滅し、モスクワ入城を果たすドイツ軍。
少し前に、軍事パレードを行ったモスクワに対し、今度はドイツ軍の入城が行われました。
モスクワを失ってもなお降伏を認めないソ連軍。追撃して工業都市スターリングラードを攻略する。
モスクワ、レニングラード、スターリングラードを喪失したソ連は、とうとう対ドイツ講和を要請してきます。ドイツとしては無条件降伏を要求。
ウラル以西を全て割譲することを要求します。
ソビエト連邦は、これでお終いです。もう2度と立ち上がることはないでしょう。
西欧のみならず、東欧にも覇権を築いた大ドイツ帝国。
もはや誰もが、欧州の支配者として認めざるを得ないでしょう。
史実では足を引っ張りまくった挙句に裏切ったルーマニアですが、この世界ではそれなりに働いてくれたので、報酬として大ルーマニアの成立を許します。
東方での勝利、その3か月前にウィルヘルム2世が死去。
偉大なドイツ帝国の復活を目にしてこの世を去るが、ドイツが支配者になった姿を見ることはなかった。