私はこれまでも、そして現在も、右派だったことはない。私の政治的姿勢は左派だった。そして現在は中道なのである。

――オズワルド・モズレー―




欧州は、ドイツ、イタリア、イギリス、フランス、オーストリアの5大列強がサンディカリストの支配下となり、自由と民主主義は風前のともしびとなっている。

アメリカ合衆国は内戦の末に崩壊し、アメリカ連合国が成立。


アメリカ連合国はカナダ率いる協商連合に加盟するも、内戦終結したばかりで新大陸外の戦争に参戦する余力はない。














1941年

カナダでは陸軍兵力190万が配備済。空母15隻+護衛空母20隻が就役。

今こそグレートブリテン島を取り戻すべき時。


協商連合はイギリス連合に宣戦布告。


この時の合わせて、ウェールズ西部に展開しておいた輸送艦隊で強襲上陸を図る。

イギリス連合は当然に水際阻止を図るが、護衛の機動艦隊で防衛する。







一番痛かったのが、爆撃機の飛来です。

カナダ軍は、アイスランド島を拠点としてブリテン島を攻めていますが、いかんせん距離がある。

したがって、攻勢も防衛も、後手に回りがちになってしまいます。

そこをついて、イギリス連合、フランス・コミューン、ドイツ連合の3国は、大量の爆撃機を送り込んで、カナダ海軍を苦しめてきました。








戦艦は航空機の攻撃に対して脆弱、艦隊決戦など時代遅れ、航空支援の届かぬ距離で戦艦は行動すべきでない、これは第2次大戦後の常識となったのですが、カナダはとうぜん戦艦、巡洋戦艦など1隻も建造していません。代わりに全力で空母と航空機の生産に努めました。


しかし、インターナショナル軍の航空機の数が多すぎて、空母の戦力値がガリガリ削られる始末。

艦隊決戦ならば、ドクトリンでわずかに勝るカナダ海軍は優勢のまま、イギリス連合の海軍を撃破したのですが、問題は空軍だったのでした。







イギリス本土での戦いが長期戦となれば、カナダ海軍はもたない。敵航空機の攻撃で全滅してしまうことは間違いない。そう判断し、輸送艦隊を総動員してブリテン島へ強襲上陸しました。


上陸してしまえば、こっちのもの。

機甲師団でイギリス連合軍を包囲殲滅していきます。





ロンドンの解放。

これで、ブリテン島から悪しき革命家どもを一掃することに成功。

アイスランドなどからでは届かなかった、空軍の援護が可能となり、敵爆撃機の迎撃が可能になりました。さらに、ブリテン島をカナダ軍の新たな拠点として、次はフランス・コミューンをせん滅することにします。


フランス南部、オクシタニアのほうから上陸を図り、カナダ軍150万を上陸させます。







約半年の戦いで、フランス・コミューン軍の包囲殲滅を繰り返し、フランス西部を完全に掌握することに成功します。フランス・コミューンの背後に控える、ドイツ連合やイタリア社会主義共和国、オランダ、フランドルの軍隊は、東部のロシア戦線に配備されている模様。


この時点までで、対峙したのはフランス・コミューン軍だけでした。














苦戦にもめげず、パリをサンディカリストから解放。

反対側、東欧では同盟国のロシア帝国が頑張ってドイツ連合の大軍を引き受けていました。

まさに一進一退の攻防。



ところが、カナダ軍がフランス・コミューン軍を撃破して、いよいよドイツ領に入り込もうかという状況で、ドイツは西部にも兵力を大幅に割いてきました。その結果、東欧の戦力バランスが崩壊。

ロシアはドイツ領へ一気に進撃します。



進撃の最中、カナダ軍はサンディカリストの支配下にあったオランダとフランドル、ルクセンブルクを占領。

まずはオランダを解放します。

さすがドイツ人というべきか、最後の意地を見せるドイツ連合はなかなかに手ごわい。

ドイツ本土の会戦で約20万近い兵士が死傷しましたが、最終的にベルリンはロシアが占領。


史実のアメリカとソビエトの挟撃さながら、カナダとロシアの挟撃によりあえなくドイツ降伏。






約3年もかかって、ようやくイギリス連合、フランス・コミューン、ドイツ連合の3国を幸福に追い込むことができました。カナダとロシアの分割統治にあるドイツは、ロシアの意向もあって傀儡ながらも即時独立をさせることに。

そうなると、サンディカリストによって追放されアフリカに亡命しているウィルヘルム2世ではなく、ボリス大公が新たな皇帝に就きます。



第1次大戦の勝利後、ドイツは中国に大きな特殊権益をもっていたのですが、今回のドイツ降伏でそれを大幅に失った模様。







ちなみにオーストリアも、ロシア帝国の傀儡ながら独立が許された。

史実で、東欧のほとんどの国がソビエト連邦の衛星国家になりましたが、この世界でも大元がロシア帝国なだけで、大勢は変わらない。



イギリス、フランス、ドイツ、オーストリアからサンディカリストを追放し、残りはイタリアだけなのですが、ここまでくればイタリア社会主義共和国ごとき大した問題にはなりません。

しかし、ドイツ、オーストリアを始め中欧と東欧の多くの国をロシア帝国の衛星国家にされた手前、イタリアまでもロシアに握られるわけにはいかない、としてある種の占領競争に。



結果、なんとかロシアに先んじることができた。

イタリアからサンディカリストを追放。新たにイタリア連邦が成立します。







1943年11月
待ちに待った、連合王国の復活です。

カナダの英王室と亡命政府、ロンドンへ帰還。

連合王国解放を宣言。








革命家たちの夢は17年で潰え、栄光あるイギリス帝国が名実ともに復活したのでした。

残るはフランスなのですが、イギリス主導の西欧体制を目指す意味で、フランスを分割する(小国家群にする)という選択肢もあります。


しかし、中欧と東欧はロシア帝国の影響圏。それに対抗する意味で西欧はフランスとは密接に協力していくべきでしょう。なので、フランスは復活させます。



アフリカのフランス国粋派と、復活したフランス共和国は統合イベントがあるかと思いましたが、ないらしい。






サンディカリストたちを追放した後の新地図。




イギリス、フランスの2大国が約20年ぶりに復活。同盟国のロシア帝国と、その傘下とはいえドイツ、オーストリアとも、協商連合の旗の下に一つになり、良好な関係が続いている。

この平和は、当面続くに違いない。