河豚計画の成功から。
国号を正式に『大日本帝国』に変更する日本の図。
1939年9月
第2次世界大戦、はじまる。
日本は支那事変を終結させ、さらには河豚計画の成功によって世界世論を味方につけることに成功します。アメリカは依然、日本に対し禁輸措置を続けますが、ユダヤを保護する日本を敵視し続けることはできず。
これまで散々日本を敵視してきたアメリカ、それに続いてきたイギリスですが、河豚計画の成功によって関係は劇的に改善。
ハル密約、交付。
このイベントは発生条件をかなり変えているので、このタイミングでの発動になりました。
まさに驚くべき譲歩の内容で、三国同盟の破棄をするならば、アメリカは日本の連合入りを仲介する、というものです。満州も承認、支那からの撤退も棚上げしてくれる度量の深いアメリカ。
別にアメリカに仲介してもらわなくても、イギリスに頼めばもう連合入りはできる状況ですが、ここはアメリカの顔を立てて仲介してもらうことにしましょう。
結果、アメリカと日本は、ともに連合国に。
現在まで続く、世界最強の同盟ともいえます。
第2次日英同盟の成立です。
1940年8月
ソビエト連邦、ドイツに宣戦布告。
日本、アメリカの連合入りでドイツはもう長くないと判断したのか、不可侵条約を破りソ連がドイツに宣戦。
ドイツはちょうどフランスを制圧した時期で東欧は手薄だったらしく、東プロイセン、ポーランドを失陥していました。
ソ連の奇襲で始まることになった独ソ戦は、一時的にソ連有利に働くも、ドイツ軍主力の到着によって戦局は逆転。ソ連は押し返されていき、ベラルーシ、バルト三国を失ってなおも後退を続けていました。
日本はこれに乗じ、対ソ戦の準備を完整させるわけですが、ソ連と戦争を始めることに対しアメリカ、イギリスの同意を得られるのかが極めて疑問。ゲーム的には関係ないことですが、いったいどういう大義名分で、ソ連と戦争するのか、米英を説得する材料は、ハッキリ言ってない。
まあ、ソ連の助力を得てドイツを倒しても、戦後確実に共産主義が脅威になるし、ソ連に従属させられる中央アジアを『解放』するという目的だとでもしましょう。
1940年12月
連合国のトルコが降伏。
史実では大戦末期まで中立を維持していたトルコですが、この世界ではすでに連合国に入って
枢軸との戦争になっていました。しかしアフリカ植民地を失陥したイタリアは、トルコ方面へ力を注いだようで、あえなくトルコ降伏。
イタリアはドイツの了解も得ずに、勝手に戦線を増やし、ビザンチン帝国の復活をもくろんでいるらしい。
日本としては盟友トルコを助けたかったものの、あまりに遠すぎてどうにもならず。
☆1941年時点での各陣営
多すぎて全部は表示しきれず、アメリカ合衆国は枠外。
枢軸
ヴィシー政府成立で、日本は同政府よりインドシナ連邦の割譲を要求。
フランスとの関係は悪化するも、大東亜共栄圏、民族自決の原則を掲げる日本は、即日、インドシナ半島にラオス・ベトナムの独立政府を発足させています。
1941年8月
日本、対ソ宣戦。
すでに独ソ戦が始まって1年。ドイツとソ連はベラルーシ、ウクライナで小競り合いを続けていましたが、ドイツが息切れしたらしく、徐々におされぎみになっていました。
この機を逃せば、ドイツ戦を終わらせたソ連は全力を極東に向けてくるに違いない、と判断し対ソ戦開始。
極東側、ソ連の衛星国になっていたモンゴル、新疆軍閥、トゥバ共和国とも同時に交戦状態に。
極東に割かれている赤軍はさほどの数ではないため、さくっと沿海州を占領。
満州方面から攻め上がっていくのがいつも通りのやり方になりますが、今回それをやると、ゲーム的に占領地が満州国の領土になってしまうので、別の方法をとりました。
現在、中国全土は日本の統治下にあるので、新疆地方から攻め上がる。ソ連領までの通り道になる新疆軍閥、トゥバ共和国はサクッと倒し通過します。ソ連の衛星国は全く相手にならなかったですが、ソ連領に侵攻していくと、少ないながらもソ連の機甲師団が姿を見せ始める。
開戦からすぐには極東に戦力が割かれないだろうと思っていたものの、中央アジア前面にソ連のT-34/76(しかも旅団つき)3個師団・機械化歩兵が立ちふさがる。
山岳越え+冬期という厳しい状況に加え、機甲師団が相手では進むことができない。
ごり押しは中止して、やむなく進軍は停止。
一方、極東沿海州は、想像以上に赤軍の集中が早く、スパスクダリニーであえなく撤退。
しかし、ウラジオストックにイギリスが3個師団を派遣してくれた。
はしたものといえばそれまでだけど、陸軍の拡張をあまりしていない日本としてはだいぶ助かる。
そのイギリスに対し、もしかしたらいけるかも..と思って香港の購入を持ちかけてみたら、本当に応じてくれた。対価は決して安くないけれども、まさか本当に香港を売ってくれるとは思わなかった。
とにかく、これで中国のイギリス植民地はなくなった。
有効攻撃力300%を超えるソ連赤軍の図。
冬期のソ連の固さは半端じゃない。その広大さも合わせて、進撃は困難を極める。
1941年末の戦況。

モンゴルやトゥバ共和国を占領し、シベリアへ進撃する日本の図。
冬期の到来によってこれ以上の進軍が困難になったため、ここから戦線の整理に入りました。
この過程で、ソ連軍を30個師団は包囲殲滅したのですが、一向に減る気配がないどころか前線か固くなってくるのは流石といったところか。