フランス共和国 (第三共和制)

第一次世界大戦中のフランスの戦死者は、人口に対する比率が主要参戦国の中では最も高く、人口構成の破綻は戦後の徴兵数の不足となって現れた(いわゆる“中空の世代”)。
当時のフランスは、復活を果たしたドイツと領土拡大政策をとるイタリア、そして不安定の度を増すスペインに囲まれていた。その様な中で、フランスもドイツ・イタリアにならい、再び確固たる大国としての地位を取り戻すべきだという思想が国内で大きくなっていた。それを実現させるために、1930年代初めにはドイツ国境地域の大規模要塞化と、大西洋・地中海の沿岸地域の整備に力を注いだ。
第一次世界大戦でイギリス・イタリアと同盟を結んだとはいえ、かつての植民地戦争や、百年戦争を忘れてはいなかったのである。また、右派勢力が議席を得ようと反イギリスキャンペーンを展開すると、フランス国民はいっそう反英感情を強め、フランス陸海軍を増強するための大増税を喜んで受け入れた。一部の過激的な国民は、イギリスを叩き潰すべしと声高に叫んでいる。
だが実際はジブラルタルとスエズを握られ、フランス主力艦隊は地中海から出ることも出来ない。もしイギリス本土に上陸をしようとするならば、難攻不落のジブラルタルか、アフリカ大陸を一周することになるスエズを占領する以外にない。そしてイギリスも、フランスの一連の動きに危機感を強め、軍の強化を進めている。古からの決着が着くかは、全く不明だ。
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フランス陸軍の総司令官、モーリス・ガムラン。
その評価は、無能の一言に尽きます。
女遊びが過ぎたのか梅毒を患っており、その治療の副作用によって思考能力が著しく低下していたそうです。ナチスドイツ侵攻の報せを聞いたとき、総司令官でありながら寝室へ向かって寝始めたのですから、どうしようもありません。
フランス降伏後、その責任を問われ投獄されてしまっています。
そして、ガムランフランスMODのシナリオは、『もしもガムランが超優秀で、フランスがめっちゃ強くなったら』というIFシナリオで、もはやネタMODの領域です。
他のシナリオだと、大体、というか十中八九ドイツに敗北して欧州から叩き出されるフランス。
アメリカやイギリスの助力でフランスを解放してもらうという、基本的に良いところなし。
しかし、このシナリオのフランスは反則レベルの強化がされていくので、大戦が始まるまでで、フランスは確実に欧州最大の大国になります。
1936年の状況。
フランスは近代でも陸軍大国でしたが、第1次世界大戦にて100万人以上の若者が死にまくったために、弱小化。その影響から厭戦気分も非常に強く、ナチス政権のもとで復活を果たすドイツには到底かないませんでした。イギリスら連合国とのつながりがあって、なんとか列強の地位を保つフランスですが、その基盤は脆弱だったと言えます。
ただし、戦車性能などの兵器性能を見ればドイツを上回っていたため、弱体化したとはいえども、世界は依然フランスを陸軍大国として見ていました。
開始直後、ガムランがクーデターを起こして政権を奪取。独裁政権を成立させます。
ガムランは『強いフランス』の復活を目指し、富国強兵を開始。
ヴィシー政権の成立イベントがOFFになるため、ペタン政権にはなりません。というか意図しない限りほぼ100%負けることはあり得ないのでヴィシー政府など関係がないかも。
工業力の平和時補正は開始早々に解除され、全力全開のフランス。
そして上昇する工業力を賄うための資源収支は往々にしてマイナスになってしまいますが、それも補われます。しかし石油は不足気味になるため、陸軍の完全な機甲化は難しく、これを解消するには中東の油田を確保するほかありません。
陸軍補強のため、労働力もあがります。

欧州の危機もそうなのですが、フランス目線でいえばアジアで影響力を増す日本も脅威そのものです。
フランスにとって重要な植民地、仏領インドシナを防衛するには非常に離れ過ぎており、日本は攻めやすくフランスは守り難い、という厄介な地域。それでいて、仏領インドシナから産出される資源は重要なため、ここを喪失するわけにはいきません。
ガムランはフランスの戦略として、内戦を続ける中国の広西派は支持し、防波堤にしようと考えます。
フランスからの積極的な援助は広西派の強化につながり、結果、広西派は国民党との抗争で勝利します。フランスとの関係も非常に良いものになり、広西派の基盤も盤石なものになりつつあり、仏領インドシナの安定につながりました。
この段階で、広西派と軍事同盟を結ぶことすら可能です。
ただ現状結ぶことのメリットは少ないため、それはしませんが。
1937年中期にはじまった支那事変では、国民党は統一戦線をつくらず単独で日本軍とぶつかる。
結果、敗走に次ぐ敗走、その隙をついて共産党、広西派の参戦もあり、国民党は支配権を大きく失っていきました。
この時点ではまだ、フランスにとっては極東情勢はあまり関係してこないため、広西派への肩入れはここまでです。
ガムランが政権を掌握したフランスでは、猛烈な富国強兵が開始。
工業力の急上昇、軍備の急速な拡大が始まり、名実ともに欧州最大の陸軍国になります。
強いフランスの復活を果たし、もはや連合国の権威に頼る必要はなくなった為、フランスは連合国を脱退します。
このアクションはMOD作者も想定の範囲内らしく、脱退の際にイベントが発生。
フランスが連合を抜けたことで、イギリスは大陸への影響力を急速に失い、
また連合の影響から抜けて独自に動き始めたフランスに対し、イギリスは警戒を強めます。
通常のシナリオと同じように、共和派、国粋派どちらかに援助か不介入かを選択します。
傍観しててもいいんですが、ここは間接介入ではなく直接介入を選択。
すなわち、スペイン国粋派に対し宣戦布告しました。
戦争開始によって、刷新した新生フランス陸軍の成果を今こそ見せるとき、ということで強化イベントが発生します。この強化はどうやら半永続的らしく、戦争が終わっても強化は解かれませんでした。
そして、フランスのスペイン内戦介入は共和派を助けるためではなく、イベリア半島にフランスの版図を拡大するためのものです。従って、フランス占領区は共和派へ返還するつもりはありません。
一つ失敗したのが、宣戦が早すぎたために、国粋派があっというまに死亡してしまったことです。
これによって、イベリア半島への入り口部分を獲得するに終わりました。
共和派は同地域の返還を求めてフランスに抗議してそうですが、フランスは知らぬ存ぜぬで通す。
バルセロナがスペイン本国と断絶され、飛び地としてスペイン領に。
ドイツのアンシュルス。
フランスはこの出来事に対し、ドイツへの警戒を強めます。
領土問題もあるし、前大戦の強い因縁があるドイツとは、どうあろうとも衝突する運命。
イギリスにとっては、独仏の両方に対し警戒を強めなくてはいけないため、さぞかし頭が痛いでしょう。
そして1938年10月のミュンヘン会談ですが..。
ひと波乱が起きた。
ドイツのズデーデン割譲を、チェコスロバキアが拒否。
ドイツは力づくでの強奪を図る→イギリス、ドイツに宣戦
思ったより早く、世界大戦がはじまってしまいました。
連合国が宣戦したとて、イギリスはそもそも陸軍国ではありませんから、質でも量でもドイツに敵いません。
ポーランドは、チェコスロバキアが倒れれば次は自分たちの番だと思ったのでしょう。
それは正解なんですが、しかしチェコスロバキア相手に、ポーランドの戦線が増えた程度ではドイツの勝利は揺るぎません。
イギリスも、自分たちでは事態はどうにもならないことを百も承知でしょうから、
矢継ぎ早にフランスに参戦要請を送っていそうです。
この時点で、フランス陸軍は約180個師団。
アフリカとアジアに割いている分その他を差し引けば、対ドイツに動かせる陸軍は半分の90個師団です。そのうち戦車師団がおよそ30。1戦車師団が戦車100両ほどの構成と考えれば、3000両の戦車をドイツに差し向けることができるわけです。
1939年前のドイツならば、これだけで十分片付けることが可能です。
独仏国境にあるドイツの要塞線、ジークフリート線ですが、これは奇襲イベントで即座に攻略できます。
そののちは、機甲師団による機動戦術で包囲殲滅を繰り返す。
ちなみに、チェコスロバキア、ポーランドが死亡したのを見てから宣戦したので、ポーランドからの亡命者イベントが発生しました。これによってポーランド亡命師団が編成されます。
まあ、この師団はアフリカにでも送っておきましょう。ポーランド解放軍でありながら、フランス植民地のアフリカ防衛にでも役立ってもらいます。
史実でも、独ソ戦で存在したロシア解放軍は、ロシア人でありながら反共産主義を掲げドイツと一緒に戦った軍師団です。が、ロシア解放軍はユーゴスラビアのパルチザン鎮圧に送られ、ドイツの手駒になっていました。そんな哀れな軍隊があります。
ドクトリンでも、機甲師団でも勝るため、多少の平押しでも十分ドイツに勝てる。
フランスがベルリンを占領するという世にも珍しい光景が見れます。
滅びに彩られる、ドイツの黄昏。ポーランドの首都ワルシャワに逃げるナチスを追撃し、これを撃滅しました。