1941年末、追いつめられた日本は米英蘭に宣戦布告。

希少金属やゴム、石油などの天然資源を求めて南進をしました。


しかし、日本にはもう一つの道がありました。北進です。

当時の日本は三国同盟によってドイツ、イタリアと同盟関係にあり、ドイツがソ連に宣戦布告したとき、日本もそれに乗じ対ソ戦争を始めるべきだ、という意見は少数ながら存在しました。

とくに、ドイツの対ソ戦当初の華々しい勝利を見るに、ドイツの勝利は確実とも言われたのです。



しかしながら、日本とソ連の間には日ソ中立条約があるために、これを破棄し宣戦するは国際信義に反すること、加えて対ソ戦のリスクがあまりにも高すぎることから、非現実的な案として北進論は立消えています。



日本が対ソ戦を避けた理由は中立条約のほかに

①北には目ぼしい資源がない

②日ソの陸軍の差はノモンハン事変で見せつけられた

という事情がありました。




その史実で実現しなかった北進、対ソ戦を実行していきたいと思います。

ただし米英と敵対したままソ連と戦うのはあまりにも危険すぎるため、今回は河豚計画の成功から、日本の連合入り→対ソ戦を行います。

河豚計画の成功後でもハルノートイベントが発動するようにしてはありますが、ここらへんもちょこっと改編済み。




シナリオは1934年『独裁者の台頭』から。

今回は太平洋の制海権掌握を必要としないので、海軍は最小限、つまり日本近海防衛できる程度に留めます。変わって陸軍の強化、装甲化を図る。



1934~1936年まで工場を作って工業力増加。




1936年中期から、日本帝国陸軍の増強をします。
中国戦線やシベリア方面では戦車は活躍しにくいが、なんだかんだで後々必要になってくるため、戦車研究は優先的に。






皇道、統制両派の対立ですが、昭和11年の2.26を起さないようにするため、永田解任を選択しました。


それから、1935年にフィリピンが仮独立。

今回は太平洋に攻め込まないので割とどうでもいい。





1934年から3年間の陸軍増強によって、およそ歩兵60個師団、山岳15個師団ほど揃える。

これをすべて投入し、支那事変を戦います。

サクッと行きたかったですが、今回はスタートした年数が早かった分、中華民国の歩兵もいつもより多くてちょっとだけ手こずる。


定石どおりに、山西、上海、広西方面からの多方面上陸作戦→戦線連絡→包囲の繰り返しで支那軍を追いつめます。







ちなみにこのゲームは南京大虐殺があった前庭のイベントがあるため、ここら辺は少しいじってあります。

『6週間にわたる日本軍による中国人大虐殺が始まった』とか根拠に基づかぬプロパガンダは願い下げ。








対伯工作はやはり失敗。これが成功すると、支那事変は和平で終わらせることができるのですが、めったに成功しません。安定した親日政権、というのは実に日本が悲願したことなんですが、残念なことに支那独力では不可能でした。


いつまでたっても内戦続き、日本が共産主義の膨張を必死で抑えている傍ら、支那は共産主義者が付け入る隙だらけでした。



支那事変終了後、中国共産党蜂起による第2次支那事変はいつも通り。

この第2次支那事変ですが、国民党政府のころに重慶付近に移転した工業はそのままなので、

支那奥地に進軍した日本軍で早急にそれを押さえます。

重慶付近の工業地帯を占領すれば、共産党など敵ではありません。




支那事変の途中に成立させた華北政府、蒙古政府。

この両政府には、共産党の征伐に協力してもらいました。

日本軍と比較すると質は劣るものの、匪賊レベルの共産党軍ならなんとかなるでしょう。

とはいえ、ソ連の快速戦車BTシリーズが出てくるとそうはいかず。

対戦車砲つきの日本軍を差し向けて対処する。





王克敏(おう こくびん)の華北政府は、後の南京中国と合併されるはず。



1938年10月

支那事変-日本の勝利で終結。

(国民党政府消滅)


1939年3月

第2次支那事変-日本の勝利で終結。

(共産党政府消滅)


これによって支那は一時的に日本統治下になります。諸々の事情ですぐに独立させるわけにはいきません。

ソ連討伐のため、しばし工業力を使わせてもらうことにします。



1939年9月

第2次世界大戦勃発。



この世界ではオーストリアとチェコスロバキアが消滅

欧州情勢は史実通りに動いています。しかし、ポーランド屈服に1カ月もかかっていたところは意外。






1939年10月
河豚計画、成功。満州にユダヤ人自治区誕生。

日本はドイツに迫害されるユダヤ人を保護したことで、世界世論を味方につけることに成功。

これによって、米英との関係は劇的に改善(米英のAIが日本に友好的になる)され、国の体制が国家社会主義やスターリン主義でない限り、連合国に加入できる可能性がほぼ100%となります。


禁輸が解かれるわけではないので相変わらず痛いですが、連合国に入ればその問題はないでしょう。

米英は有り余る資源で援助してくれます。








しかし、すぐに連合国には入りません。
2度にわたる支那事変が終結して、いろいろ忙しい日本としては、当面の間は連合国の戦争につきあう余裕がないからです。

将来的に連合国には加入しますが、それは先のこと。今やるべきはソ連との戦争準備です。

ドイツが対ソ戦を始めるその時を待ち、それまでに陸軍整備、戦線整理を行わなくてはいけません。