オブリビオンに出てくる闇の信徒(Dark brotherhood)。

コンシューマでは〈闇の一党〉と訳されていますが、闇に生きるこの集団は多くが謎に包まれています。


闇の信徒を率いるのは〈夜母〉と呼ばれる女性で、教義の中で『常闇の父』と称される神シシスを崇拝しています。



五つある教義のうち、一つでも犯せば死をもって償わなくてはなりません。











-闇の信徒 五教義-


教義その一:決して夜母を侮辱するべからず。するはシシスの怒りを呼び覚ますことなり


教義その二:決して闇の信徒とその秘密について話すべからず。するはシシスの怒りを呼び覚ますことなり


教義その三:決して闇の信徒上層部よりの命令実行するを従わぬか拒否するべからず。するはシシスの怒りを呼び覚ますことなり。


教義その四:決して闇の同胞より富を盗むべからず。するはシシスの怒りを呼び覚ますことなり


教義その五:決して闇の同胞を殺めるべからず。するはシシスの怒りを呼び覚ますことなり。



-闇の兄弟-

著者:ベラルネ・アッシ


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その名前が暗示するように、闇の信徒の歴史は曖昧性に包まれている。

彼らの流儀は、その結社の兄弟でない者たちにとっては謎である。(兄弟は包括的名称である。すなわち、彼らのうちでも最高位の暗殺者の幾人かは女性であるが、彼女たちも、しばしば兄弟と呼ばれているのである。)


如何にして闇に隠れ続けて、しかし、彼らに依頼するほど切羽詰まっている人々には容易に見つけられるのかは、彼らの周囲を取り巻く謎の中でも決して小さいものではない。


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第二紀の間に於いて、宗教的結社であるモラグ・タングから闇の信徒は生まれた。

モラグ・タングは、彼らに儀式的殺人を促すようなデイドラロード、メファーラに対する信奉者である。その初期、彼らの組織は混乱していた。何故ならば、(それらしい崇拝者が少しは居たかも知れないが)一団を統率する指導者は存在せず、その一集団として名士を殺害するような勇気はなかったからである。夜母の出現によって、これは変わった。


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モラグ・タング、そして後の、闇の信徒の指導者全員は、夜母(Night Mother)と呼ばれてきた。同一の女性(本当に一人の女性であるならば)が第二紀から闇の信徒に命令を下してきたのかは不明である。元々の夜母が、モラグ・タングの重要なる教条を作り上げたと信じられている。すなわち、その御名の下に殺人が犯される度にメファーラは強大となるけれども、ある種の[メファーラの御名の下の]殺人は他の[メファーラの御名の下の]ものよりも優れている、という信念である。


すなわち、――憎悪に由来する殺人は、貪欲に由来する殺人よりもメファーラを喜ばせる。有名人に対する殺人は、彼らよりも知られていない人々に対する殺人よりもメファーラを喜ばせる。


(デイドラロードの一人【紡ぐもの】メファーラ)


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モラグ・タングによるものとして知られている最初の殺人に、この信念が採用された時点を我々は大まかに推定できる。第二紀の324年に、〈実力者〉ヴェルシデュ=シャイエは彼の宮殿(今日では、エルスウェイル地方のセンチャル王国の宮殿である)にて殺害された。

軽率にも、〈実力者〉自身の血液でもって壁面に『モラグ・タング』と描くことによって、夜母は殺人の張本人を大々的に知らしめたのである。


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その以前には、魔女の集会(ときには迫害されたが、大抵は無視されていた)のように、モラグ・タングは多かれ少なかれ比較的に穏便であった。特筆するべきは同時期に、アリーナタムリエルが分裂の地となった時点から、モラグ・タングは大陸全土で無法者と化した。あらゆる支配者は、この教団の根絶を最優先事項とした。公式には、この100年間、もはや彼らの噂は聞かれていない。


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闇の信徒として、とりわけ、タムリエルの歴史を通じて散発的に現れた他の暗殺ギルドとしてモラグ・タングが再出現した日付を記すことは非常に困難である。

闇の信徒に関する最初の言及は、ヘガーセの〈血まみれ女王〉であるアーリマヘラの日記から私が見つけたものである。それによれば、自身の手によって、あるいは必要ならば『夜母と彼女の闇の信徒という、祖父の代から私の一族が手駒にしてきた秘密の"武器庫"の助力によって』彼女は敵を葬り去ってきた。


彼女の祖父が実際に闇の信徒を利用していたならば、彼らは少なくとも第二紀360年から存在していたと推定が可能である。



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闇の信徒とモラグ・タングの重要なる相違点は、闇の信徒は信仰というよりもビジネスのために動いているということである。支配者と富裕層は、この結社を暗殺ギルドとして利用してきた。もはや支配者は闇の信徒を積極的に迫害できなくなったという二次的利益に加えて、その依頼によって彼らが大きな報酬を得てきたことは明白である。


つまり、彼らは必要とされた。

欠かせない必需品の調達人であった。


極めて高潔なる指導者でさえも、信徒を重用するほどに無分別であるだろう。



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アーリマヘラの記事からして対して時を経ない頃に、恐らく闇の信徒の歴史上で最も有名であるだろう一連の処刑が引き起こされた。コロヴィアの皇帝である〈実力者〉サヴィリエン・チョラクと彼の後継者の全員が、第二期430年暁月(2月)の血ぬられた一夜に殺害されたのである。

その敵対者の歓喜したことに、二週間のうちにコロヴィアの帝政は崩壊してしまった。


四百年以上に亘って、『戦士皇帝』のタイバー・セプティムが到来するまで、混沌がタムリエル全土を支配していた。これに匹敵するほど印象的である処刑は記録されていないが、その空位期間に信徒は金銭で持って肥え太ったに違いない。



-終わり-