フリーゲーム『デンシャ』は少年が不思議な電車を探索しながら、一人の少女の記憶を辿っていくお話です。


このゲームは車両を移動するのですが、車両番号が少女の年齢とリンクしています。

9号車なら少女が9歳だったときの記憶、3号車ならば3歳のときの記憶が語られるのです。


0号車には何もありません。

車掌がいますが、なぜ何もないのか聞くと『無だから』としか返ってこないのです。

0歳の記憶は全くない、ということでしょうか?




また、触れる記憶の順番は年齢に沿ってではなく、だいぶ前後します。


3歳のころは戦争中の記憶。


『最初の思い出は、湿った森の中を歩いている場面です

特に大好きな赤い花を見つけると 一日嬉しかったものでした』


『私の父は南方で取引をしていました

祖父の事業を引き継いで、手広く色々やっていたそうです。』


『よく父に手をひかれて港へやってくる船を見に行きました

遠い遠い海の先、その船は本当の私の国から来るのだと聞きながら』



これは日本が大戦初期に占領した東南アジア諸国のどこかでしょうか?

マレーか、フィリピンか、あるいは委任統治領だった南洋諸島か。






15歳。中学を卒業し軍需工場で働く少女の記憶。

青い目をした兵隊さんのために金の卵を生産する。

これは朝鮮戦争時代で、アメリカ兵の為に銃弾をつくる、ということなんでしょうか。






『どこかで大きな爆発』

『天に尾を引く星』

『誰かが世界が終るのだと言っていた』


これは1986年のハレー彗星でしょう。
おそらく1930年代生まれの少女は、このころは熟年になっているはずです。

車両番号からして51歳。逆算すると、1935年(昭和10年)生まれということになります。



途中で推測できますが、これは主人公のおばあちゃんの記憶を辿っています。





62歳=1997年(平成9年)


『そこでの私は観客で 決して主役にはなれなかったけれど

私は知った 私は感じた

私はいなくなっても世界は続いていく

私はいなくなってもつながっていく』



これは孫が生まれた=つまり主人公の男の子が生まれたことを指しています。




25歳。1960年(昭和35年)に結婚


鏡台の上にあるのは、真珠の首飾りですが、真珠が一つ欠けています。

主人公が途中見つけた真珠を足すことで、少女の記憶が始まります。




『母が遺してくれた真珠の首飾りをつけ 私は式に臨みました

家からどうにか持ち出せた首飾りは、いつの間にか一粒欠けていました。

それを首の後ろに回して 目立たないようにして 私は彼の元へ嫁ぎました』


『球が全て綺麗にそろっていたならば

私は躊躇することなく 彼女にそれを譲れたのでしょうか

同じようにつけてもらえれば、きっととても嬉しかったのに』



25歳で結婚した女性。

51歳のとき、結婚する娘に自分がかつてした首飾りを渡そうとするも、真珠が一つ欠けていたために躊躇してしまった、ということでしょうか。



29歳。逆算すれば昭和39年。

1964年。そう、東京オリンピックの年です。


『頼る親がいなかった私は入院してその時を待ちました

見舞いに来る者もいない部屋の花瓶はいつもからっぽで

私はあの花があればいいのにといつも思っていました。

子どものころ、いつも見ていたあの赤い花。私の大好きだった赤い花』


『誰それがメダルを取っただの どの競技が始まっただの

行きかう人々はそんな話ばかりしています。

彼も取材に忙しく、ほとんど顔を出しません。

秋の日差しを受けながら、私はひとりお腹をさすります』



父親は南方の戦いで命を落とし、母親はマラリアで亡くなったから、親がいない。

花瓶を見て思い出すのは3歳のころ南方で見たあの赤い花。
そんなことを思いながら、静かに出産の時を待つ、ということでしょうか?





37歳。1972年=昭和47年。

『どうしてその日、あなたはそこにいたのか

どうしてその時 あなたはそこにいたのか』


『ばらばら ばらばらと人が

ばらばら ばらばらと人が』


『黒ずんだ建物はずっと放置された後、ようやく新たなビルになったそうです

何もかもが忘れ去られていきます』




ちょっとわからなかったですが、これは千日デパートビル火災でしょうか?

約200名が死傷した、最悪の火災事故だったそうです。



52歳。1987年=昭和62年。

娘が結婚。


『私はとても浮かれていて、同時にとても寂しくて

彼女が気に入らないことを きっとたくさんしてしまった』


『私が赤い花を好きなように 彼女はそれが好きな訳じゃない

よく考えれば すぐに分かることだったのに』


『世の中もその時の私のようにひどく浮かれ始めていて

私は一人置いていかれるような気分になったものでした...』




この時期はおりしもバブル時代ですね。

『お立ち台』『ジュリアナ東京』という語句がなんとなく思い浮かびます。



終盤、2つの鍵を入手してやっといけるようになる10歳の記憶。

1945年=昭和20年。

日本が戦争で追い詰められた年です。

『それが終わりの日。夏のニオイがする日でした』

『世界は終わったのでしょうか』


2つの鍵の入手が本当に終盤で、鍵二つ必要にもなっている記憶の扉、というのは少女にとって思い出したくない記憶なのかな、とか思います。



10歳の記憶は、BGMがなし。空襲警報と昭和天皇の玉音放送が流れています。

日本にとって帝国の終わりとなった年。

『夏のニオイ』とあり玉音放送が流れているところからも、間違いなく8月の記憶でしょう。



そして最後。71歳の記憶の車両に入るには、謎ときが必要です。

これまで手にいれたアイテムをきまった形で配置すれば、最後の車両に入れる。

その合言葉とは『サヨナラ』。




71歳の記憶。

妙な格好をした人物が踊っている仮装場=火葬場。





ゲーム的にはここで、これまでたどってきた記憶は主人公のおばあちゃんのものだったのだと分かります。途中で推測はできますけどね。


おばあちゃんは今亡くなった、ということでしょうか?

合言葉からもわかるように、少年に別れのあいさつをしたかったのかもしれない。




2006年ときはすでに平成。

享年71歳。

おばあちゃんの走馬灯を見てきた、ということかも。





これでエンディングとなりますが、エンディングもまた凝っています。


おばあちゃんが亡くなり、次に進むのは少年の人生に沿った車両。

例によって車両番号→年齢。







おばあちゃんの生涯の記憶を見た少年は目を覚ましました。

そこは元の電車。お父さんと一緒におばあちゃん家に向かっています。






おばあちゃんが亡くなったことを直感的に悟った少年。

サヨナラ..と静かに呟き、電車が終点に到着したところで物語は終わります。