「尊敬に値する殺し方も、穏やかな破壊手段もない。戦争に善は存在しない。その終結を除いては。」
There's no honorable way to kill, no gentle way to destroy. There is nothing good in war. Except its ending.
エイブラハム・リンカーン
(1809-1865)
(アメリカ第16代大統領)
「我々が日本人をぶちのめし終わる前に、日本語をしゃべるやつらは地獄にしかいなくなるだろう。」
Before we're through with them, the Japanese language will be spoken only in hell !
ウィリアム・ハルゼー
(1882-1959)
(アメリカ海軍)
1941年シナリオ『恥辱の日』
アメリカ合衆国の歴史情報
1939年の時点で、アメリカほどヨーロッパでの全面戦争に参戦することに消極的な国はなかった。20年間の孤立主義により、ヨーロッパでの出来事は自分たちとは関わり合いがないとする考えは、アメリカ国民の間に広く浸透していた。
1940年の夏に、衝撃的なナチスの快進撃を目にしても、少数の活動家が西欧民主国家へのさらなる援助を訴えるにとどまっていた。ルーズベルト大統領はヒトラーと戦うイギリスへの支援をしたかったが、大戦への深入りを嫌う世論に阻まれた。そこで“レンド・リース(武器貸与)”をはじめとする多くの巧妙な策略を用いてイギリスを援助するとともに、将来参戦する場合に備えて、みすぼらしい装備しか持たないアメリカ軍の増強に着手した。
1941年を通じて北大西洋では連合軍の貨物船を護衛するアメリカ海軍艦艇がドイツ軍の攻撃を受けていた。ドイツとの緊張は高まる一方で、両国は開戦の瀬戸際に達している。またアジアでも、アメリカ政府はまもなく枢軸国との戦争に巻き込まれると承知していた。
1941年半ばには、アメリカと日本の国際的緊張が極限に達し、フィリピンの防衛が緊急の課題となった。フランスがヒトラーに降伏すると、日本軍はただちにヴィシー政府の承認の下、仏領インドシナに進駐した。1940年9月になると日独伊三国同盟が結ばれ、翌年4月には日ソ不可侵条約が結ばれ日本の南方への拡大を妨げるものは何もなくなった...
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(ドイツプレイと並行して進めてたAAR=プレイレポートです)
1941年シナリオを米国でプレイし、なるべく史実通りに日独を打倒してみることを目的としました。
1945年を迎えたら冷戦シナリオにシフトします。
つまり、1945年までに日独を撃破しないといけないので、猶予は4年とちょっとなわけですが、米国ならばスーパーイージーモード。
そのまんまでも強いですが、圧倒的なGNPを少しでも再現するため、イベントその他の設定をいじって米国の強さを桁はずれにしています。
1941年スタート時の、米国の工業力は約420。
マイナス補正が全て解かれると、900を超えるようにしています。
参考までに比較していくと
米国 930
英国 350
フランス 40 (亡命政権)
ソ連 480
ドイツ 550
イタリア 120
日本 185
中国 60 (国民党)
そして軍備ですが、アメリカ合衆国は1939年シナリオまでは非常に貧弱で、海軍のみかろうじて日英に次ぐ規模です。しかし陸軍が全くいないので、どうしようもない。
米国は両面作戦を余儀なくされるので、各方面の方針は考えておきます。
西は世界でも有数の海軍大国・日本。東は世界最高レベルの陸軍を有するドイツを相手にするのですから、準備はしっかりとしましょう。
大西洋方面の方針
1941年。いまだナチスの支配する西欧に乗り込むのは無謀なので、もう少しの陸軍の補強が必要になります。
史実を再現するならば、1943年にシチリアに上陸し、1944年にD-DAY=ヨーロッパ解放を行います。
ナチスドイツの海軍は大したことなく、潜水艦隊を駆逐していけば良いはず。
一応、制空権の確保は前提になりますが、ブリテン島という良い拠点があるので、攻勢基地として活用します。
太平洋方面の方針
離島が点々とあるため、史実通りに飛び石作戦で日本本土を目指すことになりますが、
しかし、言うまでもなく日本海軍は非常に強力なので、しっかり準備しないと近づく前に艦隊もろとも海の藻屑にされます。
日本陸軍は中国大陸並びに東南アジアにばらつくため、さほどの規模はありません。
作戦全てが海上行動になるので、輸送艦とその護衛は抜かりなく行います。
また、史実通りに行うならば2発の原子爆弾投下も行います。なので1945年までに2発完成させなくてはいけません。核研究と原発生産は優先して行います。
少なくとも1943年ごろまでには本格攻勢を行います。
史実でも、この年の秋ごろにアメリカ空母が20隻超も就役していますから、まさに戦局としては潮の変わり目だったといえましょう。
それまでは軍備拡張をしますが、意外と暇なのでアメリカの兵器を少しだけ簡単に解説します。
M3 リー/グラント
手さぐりの開発途上だったアメリカ戦車開発において、完成度の高さから運用されたのがM3 リー/グラント。この前に開発していたM2軽戦車の部品を運用し、中戦車として採用されました。
M2軽戦車に搭載されていた37mm砲では聊か火力不足となり、M3では75mm砲を搭載。
本戦車をイギリスは大量に発注しており、イギリスでは『ジェネラル・グラントMK1』として運用されました。
M3 リー/グラントは1943年には生産が終了しますが、合計で6300両ほど造られています。
欠点を挙げると、車高の高さゆえに被弾しやすい上、簡単に炎上したため、ソ連から『7人兄弟の棺桶』と揶揄されていました。
こののち生産されたM4 シャーマン中戦車の骨子が出来上がった戦車と言えます。
グラマン F4F
ワイルドキャット
日本の零は有名ですが、その零と幾度も格闘戦を繰り広げたのが、アメリカの戦闘機F4F、通称ワイルドキャットです。
グラマン社により設計された本戦闘機は、これ以降製造されるアメリカ戦闘機の、猫シリーズの最初機になります。
本機は、同じく航空機製造を担ったブリュースター社との製造競争に敗北し、幾度か生産中止、発注破棄がされていました。ところが、改良を繰り返した結果、3番目の型が当時の米国飛行機を凌駕する性能を見せました。
そして1939年8月にF4Fとして54機の生産発注がされ、愛称として『ワイルドキャット』と名付けられます。これ以降、グラマン社では戦闘機に猫の愛称をつける慣習となりました。
ワイルドキャットの性能はとりわけ真新しい、飛び抜けた性能があるわけではなく、機動力やパイロットの力量で勝る日本軍の零に苦戦していました。
そこで、1機の零に対し2機1組で戦う戦法をとり始め(サッチ・ウィーブ戦法)、零に勝る頑丈な機体などを有効に活用。互角の航空戦闘をするようになりました。
ワイルドキャットは総数で7000機以上が生産されており、1943年以降も、護衛空母発艦機として空で奮戦しました。
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と、悠長な解説をしていたかったですが、1941年シナリオはもう開戦間近なので、やることも増えてきます。特にスタート時はミッドウェー島やウェーク島、グアムなどが無防備なので、早急に守備隊を配置しなければいけません。
というか、今回それをすっかり忘れていて、グアムなどは早々に占領されました。
1941年11月、日本は連合国に宣戦布告。史実より幾分早いですね。
まあ、日本は事前にタイと協定結んでますから、これが合図になるわけですが。
『性根の腐ったブタ野郎の日本が宣戦を布告しました。』
・・・.酷い言われよう。日本人としては複雑な気分です。
まあ、一応海軍は再編成してますから、日本迎撃の態勢は整ってました。
アメリカ空母のエンタープライズ、ワスプ、ヨークタウンとレキシントンを軸に太平洋方面の防御を行います。大西洋へはレンジャーとホーネットの2隻を送り込む。
ちなみに、開戦と同時に空母生産を大量に行います。
これが完成してくれば、最早物量だけで圧倒することができるでしょう。
日本の宣戦布告に対し、アメリカは正式に連合国に入ります。
史実でも、イギリスとフランスはアメリカの連合入りに狂喜乱舞したとか。
ちなみにこのゲームでも、アメリカとイギリスの同盟確率は通常でほぼ100%で、余程の歪なプレイをしていない限り、自然と連合国に加盟できるでしょう。
対イタリアの北アフリカ戦線を見るに、イギリス優勢を保っている模様。
これならば、トーチ作戦を行う必要性はないか。
地中海の制海権奪取後、安心してイタリア本土へ上陸していきましょう。
北アフリカ戦線と言えば、砂漠の狐と称された名将エルヴィン・ロンメルを思い出しますね。
日本の真珠湾奇襲は、アメリカにとって痛いマイナスステートを付与するため、当面守勢に徹します。
体制を整え、新型空母による太平洋機動部隊を編成したのち、本格的な対日攻勢を開始していきます。