「我々は倒されるかもしれない。もしそれが成されるとき、我々と一緒に炎の世界に引きずり込むつもりである。」

We may be destroyed, but if we are, we shall drag a world with us - a world in flames.


アドルフ・ヒトラー

(1889-1945)
(ドイツの政治家・独裁者)


「総統が存在する限りドイツはまだ健在である。このような美しい日に、我々は総統の誕生日を祝うことができる。」

It is on this beautiful day that we celebrate the Führer's birthday and thank him for he is the only reason why Germany is still alive today.

1945年4月26日


ヨーゼフ・ゲッベルス
(1897-1945)
(ドイツの政治家・宣伝相)











一気にテンポ上げていきましょう。




1940年5月

ドイツの対ソ宣戦=独ソ戦の開始。


1941年3月

ソ連降伏

冬季を挟みましたが、この世界のヒトラーは冬の備えをしっかり考えていたとでも脳内保管しましょう。





ちなみに史実よりも宣戦がはるかに速かったため、エストニア・ラトヴィア・リトアニアのバルト三兄弟が生き残っている。この3国をほっといて独ソが争うという、なんとも珍しい光景。

のちに、枢軸参戦要請をしてきたのがラトヴィア。この国に、バルト統一を任せることにします。

エストニアとリトアニアは、どちらにせよ消える運命となりました。







ソ連を倒した結果、ドイツにとって念願だった東方領土を獲得することができました。

ウラル方面のロシア、ウクライナ、ベラルーシ、カフカースがドイツの管轄区に。



この後の統治政策を考えることになります。






ソ連はどうせ死んだも同然ですから、緩衝国など必要がないでしょう。

従って、直接統治を選択します。






1941年10月

ナチスドイツ、ブリテン島上陸





100隻以上の輸送艦隊で、強引に大規模上陸。

上陸作戦にはラトヴィアとスカンディナヴィアの協力を取り付け、共同作戦を行って占領しました。







ブリテン島占領後、アイルランドに対し枢軸への協力を要求するも、拒否される。

戦わずして従うよりも、戦って滅びることを選んだようです。お望み通り、ドイツの直轄統治を行います。








最終的に、ブリテン島の統治政策はこのようになりました。





アイルランドは全土がドイツの植民地に。

スコットランドはドイツの傀儡として独立。



イングランド&ウェールズは、ドイツ&スカンディナヴィア&ラトヴィアによる3国分割統治政策をとります。

かつて大帝国を築いた大英帝国はもはや存在せず。





イギリスの屈服によって、亡命していた自由フランスは死に体となります。

ドイツが占領していたフランス領を、ヴィシー政権のフランスへ返還し、見返りとして枢軸への協力を取り付ける。


ペタンのヴィシー政府を正当なフランス政府として承認。







イギリスとフランス、ソ連の屈服によって、世界のどこにも敵はいなくなったドイツ。

アメリカがいかに強大だろうと、1国では枢軸が支配するヨーロッパに手を出すことはできません。

ドイツによる新秩序を邪魔する勢力は実質的にもういないのです。




そして、永世中立を謳うスイスに対し、枢軸への協力を勧告。

やはり拒否されました。従属するより、戦って滅亡する道を選択したということです。


実際、史実でもスイス攻略は考えられていましたが、『割に合わない』ため結局戦争に巻き込まれることはなかったのです。






とにかく、ドイツ、フランス、イタリアの3国共同作戦によってスイスを占領。

3国分割統治します。


1945年までで、ヨーロッパはこのようになりました。


イタリアがなんか5世紀ごろのローマ帝国みたいな版図になってますが、とにかくドイツも東方に中央アジアまで広がる広大な領土を獲得。北欧はスカンディナヴィア、バルトはラトヴィアが管轄し、中東はアラブ首長国連邦に一任しています。



社会保守主義、自由経済派のナチスドイツという、世にも珍しいものが見られました。

閣僚では元首がヒトラー→ウィルヘルム3世に。

ちなみにドイツ第2帝国の最後の皇帝がウィルヘルム2世でした。



終了時の枢軸勢力。

というか、欧州に残った国は全て枢軸であり、枢軸に加盟していない国など最早存在しません。