1944年10月より行われた捷号作戦。

この時点で日本の海軍は崩壊寸前であり、残る力を振り絞った、最期の攻勢作戦でした。



今流行の艦これで知った人も多いはずです。

でも、艦これのようなほのぼのしたものでは決してありませんでした。

なぜなら、この海戦から神風特別攻撃隊が編成されたからです。





レイテ沖、捷一号作戦は日本軍にとって最後の賭けで、もしもこれが成功したら捷二号、捷三号と発動していくつもりだったのです。しかし、それは成りませんでした。







神風特攻は、無理やり編成されたわけではないのです。志願兵でした。

これは何を意味するのでしょうか?





『死を恐れない』『喜んで死ににいく狂人』とでも思いますか?

特攻隊員はまだ10代の若者でした。

悟りを開いているわけではないし、死を恐れないなんてことはないはずです。

では、なぜ進んで特攻を行ったのか?




答えは一つ。

彼らには命に代えてでも護りたいものがあったからです。

想像できるでしょうか?10代の若者が、護るべきものの為に命をかけることを。

それが私たちと同じ日本人だということも。



勿論、私は特攻を美化しているわけではありません。







レイテ沖海戦では、日本軍なけなしの空母が出撃しましたが、全滅しました。

空の攻撃がありうる時代の戦艦は無力といっても過言ではありません。


制空権なき戦艦の艦隊行動など、生身の人間が蜂の巣に突っ込むようなものです。

第2次世界大戦では、戦艦は空の援護があって成り立つ存在でした。



なんにしても、レイテ沖で日本の連合艦隊は壊滅的被害を受け、ここに日本帝国海軍は事実上消滅したも同然の状態になります。戦史を見ればわかりますが、日本は主力艦のほぼ全てを失っています。






レイテ沖より半年後の、硫黄島の攻防。

これまで、突撃戦法をとってきた日本軍と異なり、栗林中将率いる硫黄島守備隊は、長期自給戦法をとりました。


これは米軍の流血を大きくして、硫黄島の占領を大きく遅らせる効果があったといいます。



硫黄島で、栗林中将はこのような訓示を行ったといわれています。






栗林 忠道 陸軍中将(大将)


予が諸君よりも先に、先陣に散ることがあっても、諸君の今日まで捧げた偉功は決して消えるものではない。

いま日本は戦いに敗れたといえども、日本国民は諸君の勲功をたたえ、諸君の霊に対し涙して、黙祷を捧げる日がいつかは来るであろう。



安んじて諸君は国に殉ずべし






硫黄島の攻防と同時期の、米軍の本土空襲も忘れてはなりません。

民間人を多く巻き込んだ空襲は、明確な国際法違反でした。



1945年の4月末、ナチスドイツ総統ヒトラーは自殺しました。

後任のデーニッツは即座に無条件降伏を受け入れ、ナチスドイツはここに降伏。


これ以降、戦っているのは日本ただ一国のみとなります。







沖縄戦。

日本軍最期の隠し玉、戦艦『大和』も米航空機の雷撃と爆撃の雨嵐にあい、てあえなく撃沈。

建造当初、無敵と信じられたわが日本の超弩級戦艦『大和』は、大した活躍もなしに海に沈んでしまったのです。



ちなみに、大和沈没は終戦までひた隠しにされています。





米軍の沖縄上陸作戦。彼らはこれを氷山(Ice berg)作戦と呼びました。

沖縄は日本本土で唯一、米軍と交戦した場所でもあります。



また、沖縄戦は非常に凄惨な戦いであったと伝えられており、米軍の圧倒的火力による攻撃は、日本軍が『鉄の爆風』『耕す戦法』と呼ぶほどの、地形が変わるほどの熾烈な砲撃があったといわれています。











沖縄陥落を持って、日本政府は降伏を決意しますが、しかし政府内でも降伏と抗戦の真っ二つに分かれており、中々意見がまとまりませんでした。





ポツダム宣言が出される前、日本軍が降伏をためらった理由として


①降伏したとして、日本国は存続を許されるのか?

②天皇陛下が処刑されてしまうのではないか?

③抗戦派による内乱が起こってしまうのではないか?


という懸念がありました。だから易々無条件降伏できなかったのです。

さっさと降伏すれば良かった、という人がいますが、そんな簡単なものでありません。

そうこうしているうちに落とされたのが、原子爆弾リトルボーイです。

アメリカの許されざる大犯罪です。これを有耶無耶にするために、日本軍の南京大虐殺がでっちあげられたことを理解しなくてはなりません。


忘れがちですが、私たちの国は、世界で唯一核を落とされた国です。二発も、です。








原子爆弾ファットマンが投下されたのち、日本は天皇陛下の身柄保障を条件としてポツダム宣言受諾を申し入れます。米国はこれを受け入れ、日本の降伏は認められました。



降伏か、継戦かで分かれる政府は結局、昭和天皇の御聖断を仰ぐという情けない自体になっています。

この中で、私たちにとっての先帝陛下が降伏を望まれたことから、政府でも軍部でも降伏でまとまったのです。





阿南陸軍大臣は、戦争継続の声を抑えるために自らの腹を斬って自決しました。

陛下の御聖断に合わせ阿南陸相の割腹によって、大規模な内乱もなく、降伏することができました。






降伏文書調印をもって、大日本帝国の4年8カ月にも渡った戦いは終わりを告げました。





日本の歴史上、最大にして最後(現状)の戦争だった大東亜戦争。
この4年間という短い中で日本人の命は300万も失われました。
私たちは、この戦争から一体何を教訓とすべきなのでしょうか?