(明石書店より出版されている世界の教科書シリーズ33 世界史の中のフィンランドの歴史より引用した個所があります)


 

外国の歴史教科書は、その国の成り立ちから世界史の出来事に対する認識、見識が当然日本とは異なり、大変面白いです。その国の人たちがどのような教育を受けて、どのような歴史認識を持つにいたるのか。それがわずかでも理解できると感じます。


今回取り上げるフィンランドの中学校歴史教科書では、淡々と客観的に書かれていると感じました。民主主義国においては、教科書は往々にして1種類ではありませんから、それぞれ特徴があるとは思いますが。

 

近代の出来事に関してはこのような記述で始まります。

 

--第2次世界大戦---

世界征服を企てたヒトラーが1939年9月にポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が勃発した。

戦争が始まった年はドイツの勝利を祝う行進がなされたものの、3年後にドイツ軍がソ連赤軍に敗北したスターリングラードにおいて情勢に転換が起こった。ドイツの最終的な敗北は、1944年6月の連合国のノルマンディー上陸で確定した。

 

連合国がベルリンに進軍すると、ヒトラーは自殺し、ドイツは1945年5月に降伏した。

アメリカが投下した広島と長崎への原爆によって、日本の降伏は早まった。

 

1939年11月、ソ連はフィンランドを攻撃したが、征服するという企図は失敗した。

継続戦争期、フィンランドはドイツ側で対ソ戦を戦い、冬戦争で失った地域を取り戻そうとした。

しかし、継続戦争はフィンランドの敗北に終わった。ラップランド戦争でドイツ軍を国外へ追い出した1945年春にようやく戦争が終結した。


 

★次の点に注意して読みなさい

・なぜドイツは1939年秋にポーランドを攻撃したのか

・なぜソ連は1939年11月にフィンランドを攻撃したのか

・なぜフィンランドはドイツと協力関係に立ったのか

・第2次世界大戦の転換点となったのは、どの戦闘か

・戦時中、ユダヤ人や他の少数民族に何が起こったのか

 

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経緯、背景を解説したのち、注意すべき点が列挙されています。
 

フィンランドは冬戦争を通じて、第2次世界大戦へ深く関わることになりました。

1939年9月に第2次世界大戦がはじまると、ソ連は次第に周辺国へ侵略的な行動をとっていきました。バルト三国と呼ばれるエストニア・ラトヴィア・リトアニアを軍事的に恫喝して進駐し、果ては併合と言う手段で拡大していきます。


フィンランドもソ連の侵略を受けた国の1つであり、以下の要求を突き付けられています。
 

・レニングラード(現サンクトペテルブルク)より西方にあるフィンランドのカレリア地峡南半分と、最北のルイバチ半島を割譲すること

 

・フィンランドの首都ヘルシンキから南西にあるハンコ岬を、海上基地として貸与すること

 

・交換条件として、ソ連はコラ半島の一部をフィンランドに割譲する

 


交換条件にソ連が持ち出したコラ半島は工業的に無価値で、まったく釣り合うものではありませんでした。また、ハンコ岬を海軍基地として貸与する場合、ソ連軍を通行させる必要があるため、安全保障の観点からも非常に危険です。はっきり言って、フィンランドにとって一考にも値しない提案でした。

フィンランドにとってのカレリアは、日本に置き換えると大阪と京都を合わせたものに等しいです。それを差し出せるわけがありません。


当然ながらフィンランドはソ連の要求を拒否。これに対して1939年11月26日、ソ連は『フィンランドから砲撃を受けた』と内外へ宣伝し、大規模なフィンランド侵攻を開始しました(フィンランドから攻撃を受けたというのはソ連のでたらめだったことが、後世の歴史研究で判明しています)。

 

ソ連の立場からしたら、外交圧力でフィンランドが屈すれば手間が省けてよい。屈しないなら軍事力で無理やり従わせればよい。どちらにしてもフィンランドごとき小国は容易く片付く考えていた節が見え隠れします。

 

 

 

 

1939年11月30日に始まったフィンランドとソ連の戦争は、その時期から通称『冬戦争』と呼びました。ソ連はフィンランドの約5倍の兵力、7000両の戦車、航空機約5000機をもって侵攻。ソ連がそう考えたように、諸外国もフィンランドは持ち堪えることはできないだろうと判断していました。

 

イギリスとフランス、イタリアはフィンランドの支援に乗り出し、スウェーデンとノルウェーの領土通行交渉が始まっています。

 


この戦争はフィンランドの見事な戦いぶりを評して雪中の奇跡と表現されることがあります。


 

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冬戦争がはじまったとき、フィンランド軍は既に武装の準備ができていた。

全軍が1939年10月に臨時の軍事再教育訓練に召集されていたからである。

ソ連軍が攻撃すると、フィンランド軍は当初撤退したが、1週間後には敵の進撃を停滞させた。カレリア地峡は次の2ヶ月間、マンネルヘイムによって防衛線と名付けられた戦場となった。


 

敵は非常な大軍勢で、装備の良い赤軍であった。塹壕の軍隊生活は厳しかった。

その上、その冬は例外的に寒く、気温はマイナス40度を下回った。

フィンランド軍は1939年12月にラドガ湖北岸のトルヴァヤルヴィとスオムッサルミで最初の勝利を得た。

勝利は指揮を高揚させ、戦闘の意思を高めた。


 

フィンランド軍は戦闘において上手く戦った。彼らは軍事の学習を積んで地形を非常に上手に利用することができたからである。武器不足の為、フィンランド軍は補助としてスキー部隊や包囲戦術を用いなくてはならなかった。スキー部隊は森づたいに前進し、道路をやってくる赤軍を包囲した。

 

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諸外国の考えに反し、フィンランドは恐るべき底力を見せ、ソ連の侵攻を完全に停滞させたのみならず、一部撃退すらしています。これは、ソ連軍がもとから弱体化していたことも理由の1つですが、フィンランド軍が地形と気候を最大限に活用し極めて優れた戦術をもって戦ったからでもあります。

 

 

フィンランド軍の最高司令官、マンネルヘイム将軍は、非常に優れた戦術眼をもってソ連軍に対抗しました。彼が優れていたのは『フィンランドの限界』も正確に見極めていたからです。

 

冬戦争は大雑把に言って下記のような展開となりました。

 

・フィンランド領内の森林をスキーで移動してソ連軍の背後を取って奇襲する

・ソ連軍は神出鬼没なフィンランド軍に、常に攪乱された

・フィンランドのスキー部隊は、白い防寒服を着て景色に溶け込み、極寒の森を自在に動き回った

・フィンランドはソ連軍の銃、戦車、大砲などをいくつも奪い取り、戦争を有利に進めた


フィンランドは、世界で最も森林面積の多い国です。雪が積もり、氷点下40度を超す極寒の森を自在に動き回るフィンランド軍はソ連軍を逆に圧倒し、およそ世界のどの国も予想しなかったフィンランドの反撃にソ連軍は驚愕しました。

 

しかし、スウェーデンとノルウェーは、フィンランド援助を公式に拒否し、イギリスやフランスの領土通過も拒否しました。これによって孤立が確定し支援が望めなくなったフィンランドは、ソ連軍に譲歩をして戦争を終わらせることになったのです。