Hearts of Iron Ⅱ Darkest Hour。


Darkest Hourは日本語版が発売されていないため、要日本語化。
ネットの有志が作ってくれた日本語化ファイルを当ててプレイ。




Hearts of Iron Ⅱシリーズは日本のみならず、海外でも根強い人気を誇り、戦術系シミュレーションゲームとして異彩を放つ。基本的にHearts of Ironシリーズは第2次大戦期を部隊としますが、Darkest Hourでは 第1次大戦もプレイすることができますね。




1914年シナリオ『大戦争』は、1914年7月1日から開始。

大戦勃発の1か月前です。



大戦の主役となったドイツ帝国(第二帝国)




パクス・ブリタニカの時代に力を養い、今や英国を超えて世界の一大工業国へと躍進したドイツ。

世界を征服しうる条件を兼ね備えながらも、国家の位置に恵まれず、フランスとロシアの2大陸軍国に挟まれているという、ある意味悲運な国。







そして、10を超える民族、言語の超多民族の帝国、オーストリア=ハンガリー帝国。


列強でありながら、他の列強と比較すると工業的にかなり立ち遅れている。

そのため、史実さながらに小国相手ですら、軍事的に苦戦は免れない。








当時の地図もきっちり再現。

世界情勢を手っ取り早く知りたい人にも便利かもしれない。


イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、オーストリア。

上記の国は、五大列強国と呼ばれていました。
このすべての列強が参戦し、また世界各国も巻き込んでの大戦争となったのが、第1次世界大戦です。








WW1の引き金を引いたのは、セルビアとオーストリア=ハンガリーの衝突でした。

オーストリア皇太子フランツ・フェルディナントが、ボスニアのサラエヴォでパレードを行っているさなか、セルビア人に暗殺されるという事件が起こりました。

いわゆる、サラエヴォ事件です。

これに激怒したオーストリアがセルビアに強硬的要求を突き付け、そのまま開戦に―――


と聞くと単純に思えますが、実はこれは非常に複雑な思惑が絡み合っており、サラエヴォ事件は100年たった今でも謎が残っています。








しかし、どのような意図があったにせよ、墺の皇太子に向けられた銃声が大戦の引き金を引いたのはまぎれもない事実。

宣戦布告の雨嵐になりました。


オーストリア→セルビア

ロシア→オーストリア

ドイツ→ロシア

フランス→ドイツ

イギリス→ドイツ

日本→ドイツ


てな感じで。

ドイツとオーストリア=ハンガリーが属する、中央同盟国。

イギリス、フランスを中心とした協商国(のち連合国)。


この2つにわかれて、世界を巻き込む大戦争になってしまったのでした。






メインは欧州ですが、アジアやアメリカもいろいろイベントが起こったりします。

特に、中国はめまぐるしく変化します。

中華民国が倒れ中華帝国ができたかと思うと、奉天軍閥ができたり北洋軍閥ができたり、まさに内戦に明け暮れる中国の内情を再現しています。われら日本は、そこに付け込んで大陸進出をしようとしました。


日本は大正時代。元首は大正天皇です。





メキシコは当時、革命の真っただ中です。

メキシコ合衆国が誕生する以前の状態ですね。





セルビアとオーストリアの戦線からは、もう矢継ぎ早にイベントが起こります。

オーストリアはセルビアに対し、10カ条からなるあり得ないほどの強硬的要求を突き付けます。


セルビアは涙をのんで、1つだけ除いて全て承諾する旨を表明しました。

これで戦争は回避された、と欧州は安堵したといいます。






ところが、オーストリアは無条件受諾以外は認めないとの態度。

回答期限を過ぎると、即日宣戦布告を行います。



オーストリアは、セルビアごとき問題にはならないと思っていました。

ロシアが動くことは計算外にせよ、後ろにはドイツがいます。ドイツさえいれば、ロシアも一緒に倒せるとでも思っていた節が見え隠れします。



ドイツとロシアの戦争も招き、中央同盟はオスマントルコも味方につけます。

これで、中央同盟は3カ国になりました。








ドイツとロシアの戦争がはじまると同時に、ドイツはフランスに対し、今次大戦の態度を明確にしろと要求。ドイツは中立を求めるも、結局フランスは仏露同盟に基づき、対ドイツ戦争に参戦。






フランスとロシアを同時に相手に闘うという愚の骨頂。

ビスマルク体制の崩壊、外交上の戦略的失敗です。






参戦か中立かで割れていたイギリスも、フランスとロシアの側に立って参戦。

とうとう、欧州5大列強が全て参戦するという事態になります。


そしてイギリスが参戦したということは、世界中の植民地もドイツの敵になったということです。

大英連邦諸国は軒並みドイツに宣戦。




ドイツに追い打ちをかけるかのごとく、日本の最後通牒が。

WW2で日本とドイツが同盟を組んでいたのは割と有名ですが、WW1で日独が敵対したということは割と知られていないです。



ドイツにとっては、西でイギリス&フランス連合軍、東でロシア軍と戦うという無茶な事態に。

これを打破するために考案されていたのが、俗に言うシュリーフェン・プランですね。


要は、電撃的にフランスに攻勢をかけて短期決戦を狙い、西がひと段落したら返す刀でロシアを倒す、という一極集中の作戦です。


しかし、これはフランスの予想外の抵抗、予想を上回るロシアの動員の早さも相まって失敗。

結局2正面作戦を余儀なくされます。



『ヴェルダンの血液ポンプ』と揶揄されたファルケンハインが参謀総長に。





しかし開戦初期のドイツは、まさに史実を思わせる快進撃でフランスに迫る。

パリまで王手に迫ったが,,。



史実でも、不可解極まるいわゆる『クルックのターン』によって勝機を逃し、マルヌの奇跡と呼ばれたフランスの大反撃が始まったが...。

そしてヘタリアイタリアが1915年2月、連合国の側で参戦。

イタリアは一応、オーストリアとは同盟関係にあったのですが、大戦がはじまると日和見を始めています。


この当時、兵の質の低さではルーマニアといい勝負だったヘタリアはどう動くか...。




アジアでは、袁世凯が中華帝国を宣言し、みずから皇帝に。

中華民国は、雲南へ逃亡。



史実ではきわめて短命だった中華帝国は、はたして...?