
★1941年12月
日米開戦
日本が枢軸国に入っても、ソ連とは条約に則り中立を守ります。
ていうか、重ねて言いますが米英と戦いつつソ連と戦うとか無理です。
そもそも陸軍が足りませんし、進撃できてもシベリア手前で攻勢限界を迎えるはず。
冬季の山岳越えとか八甲田山になってしまいますから、断固として対ソ戦はやりません。
ヒトラーは日本の対ソ戦不参加を残念がりながらも、日本の参戦を歓迎したとか。
☆開戦時の軍規模☆
●陸軍
多少の自動車化師団は用意しましたが、基本は歩兵主体の浸透戦術です。
守備隊は89師団ありますが、この半数は朝鮮半島の要塞線にいるので、実質40ほど。
第2次大戦での海上の主役は空母と潜水艦でした。従ってこの2つを中心に編成します。
空母構成は『赤城』『加賀』『蒼龍』『飛龍』『翔鶴』『瑞鶴』『天城』『信濃』『雲龍』『沖龍』です。軽空母は『鳳翔』『千歳』『千代田』『龍鳳』。
太平洋での作戦はすべてが海上行動になるため、輸送艦も多めに建造しています。
史実における日本軍の失敗は補給の軽視もありましたから、シーレーンはきちんと確保しましょう。
開戦後ですが、即座にハワイ占領を実行します。
機動部隊に護衛させた太平洋輸送艦隊にて、カウアイ島やオアフ島を占領。
中心となるは阿南将軍率いる朝鮮人師団、栗林将軍率いる台湾人師団。
ハワイの占領、これが意味するところはアメリカ西海岸への上陸です。
ハワイを確保しておけば、西海岸へにらみを効かせておける。
実際に上陸できるかどうかは別として、これが重大な意味を持ちます。
また、ハワイ方面は満州軍の協力も借りました。
やはり陸軍が不足する状況になるので、なるべく駐屯させる兵力は減らしたかった。
ハワイ占領の過程で米機動艦隊と交戦。
●ハワイ沖海戦●
☆日本軍 損害☆
喪失
空母1(天城)
巡戦2(伊吹、筑波)
輸送6
大破
空母1(信濃)
輸送14
☆米軍 損害☆
(日本軍 戦果)
撃沈
空母4
(レンジャー、エンタープライズ、ヨークタウン、エセックス)
重巡9
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アメリカの空母を4隻葬り、かつ重巡洋艦を約10席も海に沈めたのはまさに大勝利という他ないでしょう。天城を失ってしまいましたが、戦果と比すれば瑣末なことです。
もちろん大本営発表ではありません。
これに続き、アメリカ空母を少なくとも10隻は海に沈めたので、太平洋方面で米艦隊はほぼ見かけなくなりました。よく月刊空母と言われるアメリカの生産体制ですが、実際は改装によるもので、いくらなんでも1カ月で空母が作れるわけがありません。
とにかく、これで当面の間アメリカ海軍は無力化。
一時的にとはいえ、太平洋の制海権掌握に成功しました。
次に東亜戦線。
中国全土を支配下においているので中印国境沿いからインドを侵攻します。
英国領インド帝国の攻略は、戦争終結のための絶対条件です。
とりあえず、英国領香港を攻撃し、占領する。
東南アジア一帯に戦線を構築するとさすがに陸軍が不足しがちになるが、しかしアジア諸国民が協力してくれるため、多少の戦力補強にはなる。
世界最強の傭兵集団と名高い英国の王立グルカ連隊と互角に戦ったと言われる台湾の高砂族。
また、史実においてもインドの協力は極めて大きく、日本が『今こそインド独立の好機である』と呼びかけた結果多数のインド人が投降、日本軍側に寝返りました。
マレーの戦いでは、日本に対する英国は3倍以上の兵力があったにもかかわらず、2か月足らずで英国が敗れたのにはこのような理由がありました。
実際、19世紀に英国はインドを直轄統治しますが、英国の搾取により現地民は計2500万人以上が餓死したと言われます。中世近代における英国の外道ぶりは語りつくせませんが、とにかく酷い話。
非道な英国からインドを解放する日本の意図は大成功。
開戦から半年足らずで英国領インド帝国の首都デリーを占領しました。
チャンドラ・ボース(ネタジ)率いる自由インド仮政府は即座にインド共和国の樹立を宣言。
日本とともに対英戦争を行うことを表明しました。
この時点で、インドは正式に日本の同盟国となります。
大東亜新秩序への大きな一歩です。
大英帝国の至宝と言われたインドを失ったのは、英国にとって痛恨のはず。
これからインド方面はインド軍に任せることができる。
インド方面の安定により余る陸軍を太平洋に回していきます。
アメリカ海軍殲滅の結果、海上作戦のフリーハンドを得ているので、輸送が楽になりました。
オーストラリア海軍、オランダ海軍など何の問題にもなりませんし。
1942年も夏を迎えるころ、朝鮮人将校の洪思翊陸軍中将(史実の階級)率いる機甲師団で、フィリピン上陸。機械化歩兵での上陸作戦は困難だが、何とか成功させた。
以降、フィリピン方面は洪思翊中将を総指揮官として攻勢を進めました。
太平洋に差し向けた日本機動部隊も聊か手持無沙汰なので、『赤城』『加賀』『蒼龍』『飛龍』を中心とした南雲中将率いる第1機動艦隊をインド洋へ派遣。
スエズ運河からアラビア湾を通ってくるであろう連合国海軍を迎え撃ちました。
これが比較的順調に連合国の輸送船を沈めていたのですが...。
アラビア湾に張り付く日本空母艦隊を葬るため、英国が精鋭空母艦隊を差し向けてきました。
●アデン湾海戦●
☆日本軍 損害☆
喪失
空母4(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)
大破
多数
☆英国軍 損害☆
撃沈
空母1(アーガス)
他不明
『赤城』が仇とばかりに英空母アーガスを沈めるも、やはり力尽きる。
南雲中将率いる第1機動艦隊の空母は全滅し、『金剛』『比叡』『榛名』らの巡洋戦艦は沈みこそしなかったものの、軒並み大破。これによって第1機動艦隊は壊滅。
『勝利しました』とか出ていますが、まぎれもない大敗北です。
先の『天城』喪失と合わせ5隻の空母が失われてしまいました。
しかも空母建造をするのを忘れていたので、これから建造すると2年近くかかります。
後で思い返してみると痛恨のミスでした。
当面は『翔鶴』『瑞鶴』『信濃』の正規空母3隻を中心に頑張るほかありません。
空母『満州』と軽巡洋艦の『鳳城』。
凄い意外でびっくり。戦力になるのだろうか...?
空母喪失を伴いつつも、アジア解放が比較的順調に進む中、アラビア半島の先、スエズ運河方面を見てみる。英国の保護領だったイエメンとオマーンを占領して足場にしました。
北アフリカ戦線では、ヘタリア王国...もといイタリア王国が英仏連合軍に包囲されて風前の灯となっていた..。が、日本と同盟を結んでいたトルコがイタリア救援に向かっていました。
トルコの奮闘すさまじく、息を吹き返したイタリア軍と合わせ、北アフリカの枢軸軍は米軍が到着してもなお互角、というより連合軍を押していました。
しかし、いくらなんでも米英仏相手に、伊土が長きにわたって優勢を確保できるとは思えない。
我が帝国は、イタリアとトルコの援護を兼ね、陸軍10個師団を北アフリカへ派遣することを決定しました。
手始めに、英国領キプロス島を占領。
ここから、日本の大戦離脱のために欧州作戦を始めることにしました。