2014年10月27日追記補足
――――
1937(昭和12)年に起きた支那事変は、日本軍の迅速な出兵により蒋介石ら国民党軍の大軍を包囲殲滅。半年で決着がつきます。
支那事変終結後、日本は衆議院の解散をして戦時内閣の一新を図りました。
国民党軍は支那奥地で降伏し、中国大陸の東半分が日本の軍政下に置かれました。
これを見て黙っていなかったのが、中国共産党です。
国民党の降伏を認めない共産党勢力は、国民党勢力を飲み込み抗日を継続すると表明。
蒋介石は国民党内に紛れ込んだ共産党スパイによって射殺された...という脳内解釈にしときましょう。
蒋介石はもう歴史の表舞台には出てこないので。
1938年初頭より、対共産党の第2次支那事変の開始となります。
共産党はそれ単独では脆弱ですが、ソビエト連邦の間接介入を受けて大幅に戦力増強されるため、侮れません。新疆軍閥や西北軍閥はソ連の圧力の元、中国共産党の勢力下になってしまいます。
雲南軍閥は唯一ソ連から離れているためこれを逃れますが...。
支那に駐屯し、本土へ引き上げなかった帝国陸軍を総動員して、これの掃討にかかります。
支那事変を通して活躍した精鋭パイロットたちに爆撃を実行させ、進軍。
数では互角ですが、質では日本軍が一枚も二枚も上手です。
ただし中国共産党は山岳や高地を要塞化しているため、大変攻めにくい。
上手く誘いこんで各個撃破していくほかありません。
加えて、少数ながらソ連製の戦車を保有しているため、歩兵主体の日本陸軍では少々部が悪い面もある。
局地的優勢を確保し、支那の共産勢力を押し返す日本軍。
第2次支那事変は、約4か月ほどで決着がついた。
毛沢東はソ連に亡命した...ということにしておきましょう。
このときすでに1938年5月。
中国全土(モンゴルやチベット除く)は日本の軍政下。
この劣悪なインフラの中国を、日本が整備していきます。出所は多分税金。
多分消費税30%ぐらいじゃないと賄えないに違いない。
また、将来的には中国には独立してもらうつもり。
思惑としては雲南派と山西派で分ける感じに。

支那事変終結後、英国は日本に対し、雲南軍閥の独立を相互に保障しようと持ちかけてきます。
これの意図は言うまでもなく、日本統治下の中国と英国領インド間の緩衝国としての役目を雲南軍閥に持たせるためです。
雲南地方を通れば、英国領ビルマからインド帝国に直行できますが、戦線が増えて負担も増すので望ましくない。従って日英雲南独立保障条約に調印します。
支那事変後、奥地へ移転していた工業が復帰する。
1939年9月
ドイツのポーランド侵攻。
これを受けて、イギリスやフランスはドイツに宣戦布告。
↓
第2次世界大戦
ならば戦争だ!!
・
・
・
ところでこの世界は不思議なことに
オーストリアが併合されず枢軸同盟に入っている
チェコスロバキアが生き残っている
という謎の状況。
それでもポーランドはドイツに屈服はしてしまいました。
スウェーデンはあくまで不介入の中立を堅持する模様。
賢明な判断と言えるでしょう。
ヨーロッパでの大戦勃発ですが、日本は冷静に内政を整えます。
困りどころなのが、首相がやたらめったら変わること。
日本と言えば総理大臣がやたら変わることで有名ですが、戦前も例外ではないので気にすることはありません。
ころころころころ変わる様は、もはや誇るべき伝統芸と言えます。
★1940年8月
ドイツがフランスを完全に制圧
ドイツはフランスを傀儡のヴィシー政権に任せました。史実通りですね。
ちなみに、アメリカの圧倒的な工業力を少しでも再現するため、ちょっぴりデータをいじって強くしています。
目安としては、東欧を手中に収めたドイツの2倍以上の工業力を誇ります。
フランスの影響力低下を見て、我が帝国はインドシナ進駐を要求。
南進の為の足掛かりとして、インドシナ半島は必要です。
東アフリカの島、マダガスカルの割譲も要求できますが、そこまで欲を出さなくともよいでしょう。
ついでに、史実っぽくするため、中立のフランス領インドシナ政府を成立させておきます。
★1940年9月
日独伊三国同盟の締結
結果、日独の2国同盟になった。
ドイツのユダヤ人迫害が勢いを増す中、日本は満州へのユダヤ人移住計画を立案し、これを実行に移します。河豚計画です。
史実でも、もしこれが成功していたら満州にユダヤ人自治区ができていたことでしょう。
ドイツの方針は日本とは関係がない。従ってユダヤ人を保護する方針を示します。
これによって世界世論、とりわけユダヤの影響力が強いアメリカを味方につけることができれば、戦争は回避できるはずです。
しかし...
肝心のアメリカがこれに強い拒絶の意を示す。これは成功の望みは薄いですね。
結局彼らは日本を叩く材料があれば何だっていいのでしょう。
やはり失敗に終わってしまいました。
ちなみに成功するパターンも存在し、その場合は米英との関係が劇的に改善されて禁輸も解除されます。
まさに日本にとって夢のような展開ですが..。
この世界では史実通り、それは夢想となりました。なれば戦争するほかありません。
★1941年7月
史実より多少遅れてドイツがソ連に奇襲攻撃。
不意を突かれたソ連は、緒戦を大敗北で迎えることになります。
日本とソ連は事前に中立条約を締結。
米英と戦争をしつつソ連と戦うなど到底不可能なので、日本は喜んで締結しました。
ただし、ソ連はドイツに勝利したのち必ず日本に攻めてくるでしょう。
日本にとって、これが米英との戦争終結のタイムリミットといえます。
とにかく禁輸が痛い。資源収支の日マイナスは当たり前のようになっており、独ソやその他中小国との貿易でやりくりするほかありません。
一応、データをいじって仏領インドシナ、マレー、蘭領インドシナの資源算出を増やしているため、ここに進出すればなんとかなります。とりあえず戦争まで我慢。
★1941年12月
ハルノート通告
架空戦記の紺碧の艦隊ではハルノートに対しこう返答しました。
1.大日本帝国は東南アジアにおける欧米勢力の排除を念願し、米英蘭に対しアジア全域からの撤退を要求する
2.帝国はこれを受けて東南アジア各国の民族自決政府を樹立させる
3.右の要求が貴国らによって受諾かつ実行されると同時に、我が国はハルノートの要求を受諾する
4.回答期限は日本時間本年12月7日午後12時までとす。回答なき場合は帝国は米英蘭3国に対し開戦するに決す
中々良い返し手だなぁと感じましたが、この世界でも同じように返したと仮定します。
我々は自らを守るため、アジア解放の為に戦争を辞さない、と強く表明することが大事です。
本当に厄介なのがソ連です。この国はどう転んでも日本に攻めてくる。
それまでに米英との戦争をひと段落させないといけない。
一応、朝鮮半島に要塞線を構築しているので、ソ連が攻めてきても食い止めることはできるでしょうが。
米英と戦いながらソ連とも戦うなど不可能なので、絶対に避けなければなりません。
日本が連合国との戦いを始めたのを見て、ドイツも動きます。
史実でも、そもそもドイツは三国同盟の条約上アメリカへの宣戦義務はないにも拘らず、ヒトラーは律義に対米宣戦しました。
単独講和を禁ずる、というのは『自国だけ敵と和平を結ぶことを禁ずる」と言うものです。
悪く言えば、同盟国もろとも死ぬまで戦いに付き合えと言うことですね。
日本の枢軸入りを見た満州は、やはり枢軸入りを表明。
事前に満州の傀儡政権を解体しておいたのですが、満州はどちらにせよ日本に追従するようです。
この日までに整備してきた海軍。
第1艦隊。
日本近海~東シナ海や黄海までを哨戒。
戦艦扶桑と山城を中心に軽空母の千代田、鳳翔(改装済)を護衛につける。
機動部隊。
史実通りの空母4隻を中心に太平洋で米艦隊と決戦を図る。
もうひとつ、空母打撃群を編成。
太平洋へ向かわせる。