
「『みなさん、おはよう。わたしがきょうからみんなの先生ですよ』と新しい先生が言った。
時間はちょうど九時だった。その女教師は、”最初の授業”でいったい何を教え、そして子供たちは、23分間でどう変わったのか――?
自由とは、国家とは、教育とは何か、読者ひとりひとりに問題を提起する」
著者はイギリス人のジェームズ・クラベルです。
クラベルは1923年生まれで、第2次世界大戦の時、日本軍の捕虜となった経験があるそうです。
クラベルの著書「23分間の奇跡」は僅か80ページ程の短い本です。
表向きは児童書です。
訳を担当した青島幸男氏のあとがきにもありますが、
「物語は午前9時に始まり、9時23分に終わる。一つの国が敗れ、占領され、新しい教師がやってくる。そのクラスでの23分間のできごとがこれである
〈中略〉
クラベル(著者)は、ここで古い教師のマンネリズムを摘発すると同時に、子供たちの集団心理というものが、教職に当たるものの手によって、いかに簡単に誘導されてしまうかというサンプルを提示し、教育問題を改めて考えさせるよう、問題を提起している」
23分間の奇跡は、『世にも奇妙な物語』で放送されたので有名ですね。
あれは日本風にアレンジしたものでした。
日本で革命が起き、独裁国家となった。
ある小学校のクラスに、新しい教師がやってくる、という筋書きでした。
最後のシーンで、『平等、自由、平和』と書かれた額を子供たちが窓から投げ捨てるシーンがありますが、私は得体のしれない恐怖心を感じたのを覚えています。
書籍『23分間の奇跡』はこんな感じです。
戦争に負けて~というくだりは先に書きましたから省略するとして、ある小学校のクラスの朝礼から始まります。
クラスにはもといた先生の代わりに、新しい先生がやってきます。
新しい先生が来たけど、とりあえず朝礼はいつも通りやろう、ということで
まず出席をとりその次に国旗に忠誠を誓い、歌(国歌?)を歌うのが毎日の流れです。
新しい先生は、生徒のことは全員覚えているから出席は取らなくていいと言いました。
だから最初に、国旗に忠誠を誓うところから始めることになりました。
子供たちは手を胸に当て、先生もそれに倣います。
そこで先生が言います。
『ちょっとまって』
『ちかう...てなんのこと?』
『ちゅうせい...ってなんのこと?』
子供たちは戸惑い、誓うの意味をなんとなく答えますが、忠誠とはなにかという問いには答えられません。
『意味もわからずにむずかしい言葉を使ったりするのはよくないわ』
『前の先生はおしえてくれなかったの?良い先生はなんでも教えてくれるのにね』
子供たちはしどろもどろになりながら先生の説明に耳を傾けます。
『それはね、こっきのためにつくすって、やくそくすることなのよ。そしてこっきというものは、とても大事なものなのね。
だから、みんなは、こっきはみんなの命より大事ですって、そのちかいのなかでいってるのよ。
でも、こっきのほうが、人の命より大事なんて、そんなことあるのかしら』
子供は国旗が国の象徴だから言いますが、先生は反論します。
『でも、自分の国をすきになるのに、こっきがなければだめかしら。
たとえば、みんなはいい子でしょ。みんな、自分をおもいだすのに、こっきみたいなしるしがいるのかしら』
子供たちは考えた末、頭を横に振ります。
かねてより疑心的な一人の子供は
『こっきはぼくたちのものだ!』
と怒った声で言います。
『ぼくたちは、毎日ちかいをやっているんだ!』
先生は国旗の方を見て、うっとりしたような声で言います。
『そうね』
『きれいな旗ね』
『こんなきれいな旗なら、すこし、わけてもらいたいわ。それに、こっきが大事なものだとしたら、みんなで少しずつ、もっていたらどうかしら』
一人の子供が言います。
『あたし、こっきの小さいのもってるから明日持ってくる』
先生は
『そう、うれしいわ。でも先生はこのこっきが少しほしいのね。なぜって、このこっきはこの組のだいじなこっきでしょ』
別の子がこう言います
『はさみがあれば、先生に切ってあげるよ』
また子は
『うちからはさみ持ってくるよ』
更に別の子が
『ワーデン先生(前任)の机にはさみがはいってるよ』
――――――
こうしてクラスにあった国旗は切り刻まれ、旗竿だけになりました。
なんとも不格好な旗竿だけになってしまったから、窓から投げ捨てることにしました。
子供たちは投げ捨てる役につこうと、我先にと旗竿を持ち上げ外の運動場に投げ捨てます。
そしてワッという、子供たちの喜びの歓声が上がりました。
この後ももう少し続きますが、ここでは省略します。
こうして朝礼が終わり、新しい先生は腕時計を見ます。
丁度9時23分でした。
私はこれを始め読んだ時、背筋が冷たくなりました。
前の先生は恐らく解任され、収容所送りなのではないかと思いますが、代わってきた新しい先生は極めて巧妙に子供たちの心を国家から切り離しています。
私は、これこそまさに『洗脳』であると感じました。
ですが、教育とはプロパガンダである、という考えがあるように、教育と洗脳は紙一重であると私は思います。
子供たちの純粋な心は、いとも簡単に教育者の思想に染まるからです。
この本は児童書ということで、内容はほぼ平仮名で書かれていますが
しかしこれは紛れも無く大人向けの内容です。
教育と洗脳は、一体何の違いがあるのか?
私にとって、深く考えさせてくれる本でした。