★楊素秋氏の著書「日本人はとても素敵だった」にあるコラムをほぼそのまま引用しています


20世紀の中で、台湾は中国に存在した清の領土でした。


清統治時代では

台湾の識字率はたったの2%だったと言われています



識字率とは、字の読み書きができる国民の割合です。

この台湾は、1895年に結ばれた下関条約において日本の領土になります。



日本の統治によって、第2次大戦の終戦時には

台湾の識字率は約93%にまで上昇



日本の50年間の台湾統治で、識字率が飛躍的に上昇したということです。
対外統治でこの数字は前代未聞であり、日本の統治以外ではあり得ない上昇の仕方です。

何故、これほどまで上昇したのでしょう?



日本統治は有体にいえば植民地ですが、その統治方法は他国と一線を画す特徴がありました。



それは

台湾人を日本国民として扱う

と言うものです。

当時の言い方では日本臣民ですが。


かつての帝国主義の蔓延る世界の中で、植民地人を本国人と同等に扱うなど全く考えられないことであり、日本の統治がどれほど異質なものだったか、想像に難くないのではないでしょうか?



しかし当初、台湾は日本の統治に反対し、日本の進駐に対し武力蜂起をおこします。

唐景崧(とうけいそん)と言う人物が抗日組織をまとめ上げています。


既にこの時点で国際法上は日本領土だった台湾は、自らを台湾民主国と名乗り、独立国となるべく抗日闘争を開始しました。

ところがこの唐景蓀は汚職によって権威を失い、組織を置いて早々と清に逃亡します。

抗日活動の指導者を失った反乱軍は、瞬く間に瓦解し日本の統治が始まることになりました。

誤解してほしくないのが、日本はこの後、恐怖による支配を行ったわけではありません。





台湾民主国の国旗。大きな歴史の流れの中であっという間に消滅しました。




清統治時代の台湾の教育施設は「書房」と呼ばれ寺廊などに子弟を集め漢文の読み書きや習字を教えると言う、日本の寺子屋と類似しています。

修学年限は決まっていないので、経済的に余裕がある子弟は比較的長く就学できました。


3年、長いものは10年学ぶ者もいて、また科拳(官吏登用試験)の受験勉強も行われていました。

ですが、これらの普及率は極めて低く、台湾総人口の約1%(!)程度だったと言われています。





さて、日本の統治が始まり、最初に行われた教育は芝山厳に代表される国語伝習所での日本語教育でした。


それまでの台湾では、閩南語、福健語、客家語など複数の言語が存在したために意思の疎通がままならなかったのですが、統一言語として日本語を導入したため、部族間の意思疎通が可能になったと言われています。