HOI2のユーザーMOD,アフリカ独立闘争のシナリオです。
もしも、アフリカ独立闘争が始まるのが10年ほど早かったら?
もしも、アフリカに統一国家ができたら?
というIFシナリオです。

ガーナ共和国
「ガーナ共和国(通称ガーナ)は、ガーナの独立運動を指揮し、アフリカ独立運動の父と呼ばれるクワメ・エンクルマによって建国された国家である。
もともとゴールドコーストと呼ばれたこの地方の出身であるエンクルマは留学先であるアメリカ合衆国からの帰国後、地元の自治組織の重要人物として迎えられるが、組織は宗主国イギリスを恐れ穏健的であった。
そのためエンクルマは会議人民党を結成。イギリスからの即時独立の要求を掲げ、ストライキなどの強硬な政策を打ち出した。
その政策が国民に支持された結果、選挙で会議人民党は第1党となり、ゴールドコーストはトーゴランドと共にガーナとしてイギリスより独立、エンクルマは初代首相に就任した。
この激動の時代の中でエンクルマはアフリカに今なお蔓延る植民地制度の打倒を目指し、また欧米の影響力をアフリカ大陸から駆逐するべく難しいかじ取りを迫られることになる
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このIFシナリオでの主役はガーナ、ひいてはアフリカです。
アフリカでは近代まで、列強の侵略によってアフリカに存在した王国や帝国は悉く滅ぼされ、アフリカはさながら列強による草刈り場と化しました。
アフリカに存在した国々は軒並み滅ぼされるか従属を強いられるかの結末を迎えています。
ですが第2次大戦の終結後、世界的に高まる独立の機運で、徐々にアフリカ諸国は自治を獲得して独立を果たしていきました。
その時、独立を主導した中心人物の一人がガーナの政治家、クワメ・エンクルマです。
エンクルマがアフリカの独立・解放を志すようになったのが、
第2次エチオピア戦争だそうです。
この戦争はエチオピア帝国とイタリア王国の戦争で、イタリアに敗北したエチオピアはイタリア領東アフリカ帝国へとその姿を変えることになります。
アフリカ最古の独立国として、欧米列強のアフリカ分割を逃れてきたエチオピアが植民地へと転落してしまったことは、エンクルマに怒りを覚えさせ、アフリカ独立に身を投じる決意を与えることになりました。
以下はゲームの進行です。
プレイヤー操作国はガーナです。
近代においてガーナは英国の侵略によって植民地となりました。
英国領ゴールドコーストと呼ばれたこの地は、野口英世が黄熱病で命を落としたことで知られています。
史実では1957年(昭和32年)に独立して国名をガーナに改めましたが、この世界では属国という形で半独立国家となっています。
国力はイギリスの約30分の1。軍備の差など言うに及ばず、列強には到底敵いません。
無計画に独立戦争でも起こそうものなら、簡単に捻り潰されてしまうでしょう。
海軍など国力的に持てるはずもないので、海に出ることも論外です。
開始してから、エチオピアがイタリアの植民地に。
これによってアフリカ人の怒りが爆発。
史実でも起きたパン・アフリカ会議。
いわゆる汎アフリカ主義です。
つまり、アフリカ人のためのアフリカを!という考えだと思えば間違いはないと思います。アフリカの独立、解放を志す人物が集結した会議です。
史実の中では、第2次大戦後に疲弊したイギリスやフランスから独立を勝ち取っていったアフリカ諸国ですが、この世界では高まる枢軸の脅威によってアフリカに構っている余裕がなくなった為に、英仏などの国々はアフリカ独立の機運を押さえこむことができないようです。
会議人民党の与党躍進で、英国からの完全なる独立を果たします。
この独立で満足するか、アフリカの解放を牽引するかで、立ち回りは大きく変わってきます。
ところで、独立を果たしたガーナの体制は急進的左翼。
漸進的に改革をしていくほどの時間はないため、国内をまとめるには多少の独裁は仕方がない面もあるでしょう。
ちなみに、政権が社会主義陣営に近いため、ここから死ぬ気で頑張れば共産陣営に入ることもできます。アフリカ解放のためにソ連の助力を請うのも一つの選択かもしれません。
独立を果たしたガーナには、多くの強化イベントが存在します。インフラ整備、モノカルチャー経済からの脱却などなど。
アコソンボダムの建設などは1950年ごろに実際にあった計画ですが、この世界では10年以上早く発生します。
欧米列強に対抗していくためには、近代的軍隊の練成も必要です。
士気の粗末な軍隊では、いくら先進的な装備を揃えても張り子の虎にすぎませんし、逆もしかりです。国民国家としての軍隊組織、近代的装備。これを揃えてこそ、欧米列強に軽視されない軍事力を身につけることができるでしょう。
これによってチュニジアがまず独立を果たします。
史実でもチュニジアは真っ先に欧米列強から独立をして、21世紀には「アラブの春」のきっかけとなるジャスミン革命を起こしました。
イギリス領エジプトも、イタリア領東アフリカ帝国になっていたエチオピア帝国も、独立を恢復。続々と、アフリカ国家が誕生または復活していきます。
20年以上早い『アフリカの年』。
多くのアフリカ植民地が、欧米列強から独立を勝ち取った大変喜ばしい年です。
このころ、すでに1939年を回っていました。ナチス・ドイツの拡大はとどまることを知らず、時を経ずにチェコスロバキアが世界地図から姿を消しています。
ハンガリーはドイツと同盟締結を表明。枢軸陣営最初の同盟国となりました。
ナチス・ドイツが次に目を付けたのがリトアニアのメーメル。
ドイツ系の多いこの都市をドイツに『返還』するよう圧力をかけますが、リトアニアは何と拒否。
ドイツは現時点でリトアニアに軍事行動を起こすのはリスクが高いと判断した模様で、おとなしく引き下がっていました。
欧州では高い緊張状態のために、イギリスやフランスはアフリカ植民地の独立に介入できないようですが、全く何もしてこないわけではありませんでした。
ベルギーの植民地になっていたコンゴは無事独立を果たしますが、欧米列強の卑劣な工作によって分離独立を招きます。
独立を達成したアフリカ諸国に応援を要請します。恐らくコンゴが当てにしているのは独立したばかりの新興国ではなく、主導してきたガーナだと思われます。
ガーナがこれに応えることで、アフリカ諸国は同盟を結ぶことができますが、これは大変危険が大きい。
これを口実に、欧米列強の軍事介入を招く可能性があります。
確かに、イギリスやフランスは、ナチス・ドイツの勃興によって現在余裕がないでしょう。しかし、アフリカの利権を『全て』失うならば、と考える可能性も否定できないのです。
従って、この応援要請には応えられない。
ガーナが同盟を拒否したことで、他のアフリカ諸国も中立を表明します。
1939年9月1日
第2次世界大戦勃発。それに合わせ、今後のアフリカ諸国の方針を話し合うべく、アフリカ主要国首脳が集まって会談を行います。
その中で、大戦勃発を機に、欧米列強の勢力排除を目指してアフリカ統一国家をつくろうとする主張。欧米列強とは良好な関係を保ち、アフリカは緩やかな連合を組もう、とする主張に分かれてしまいます。
この中で、緩やかな連合を~を選択すると、史実通りアフリカ統一機構が成立します。アフリカ統一は成りません。
今回はアフリカ統一を強弁するを選択。
その結果、ガーナは軍事行動に訴えてでもアフリカ統一国家を形成する方針を表明。その他アフリカ諸国は反発し、エチオピアを盟主とするアフリカ統一機構と戦争状態になります。
☆アフリカ統一戦争☆
ガーナ VS アフリカ統一機構
こちらはガーナ一国、相手方はその他アフリカ諸国全部。
多勢に無勢に思えますが、独立したばかりの新興国は指して問題ではありません。
手強いのが、エジプト、エチオピア、マダガスカルの3国です。
エジプトは、イギリスの海軍技術を僅かながらに継承しており、海軍を保有しています。従って、駆逐艦はおろか輸送船の1隻も持っていないガーナにとって、エジプト海軍は大変な脅威となります。
はじめから海上作戦のフリーハンドを与えることになり、水際防御を行わないと、エジプトには勝てません。
そしてエチオピア。アフリカ最古の独立国として、アフリカ諸国の中でも陸軍の規模が大きいです。分散作戦を行っている場合、エチオピア本土には中々侵攻できません。なるべく他の国を片付けたあと、最後に全軍を差し向けていくほうが楽かもしれません。
最後にマダガスカルです。マダガスカルも海軍を保有しており、エジプトと同様の脅威があります。さらに、マダガスカルは島国です。
上陸作戦を行う必要があるのですが、それには最低限海軍を整備する必要があります。少なくとも、マダガスカル近海を哨戒する軍艦に劣らない程度の護衛艦、輸送艦を揃えなければなりません。
その他の国はサクサク攻略していきます。首都を占領することで、ガーナに対し降伏。降伏した国は、アフリカ合衆国への加盟を承諾します。
なにぶん時間がかかる戦争ですが、勃発から約1年。
ガーナは西アフリカから中央アフリカへと、その占領地を拡大。
アフリカ統一へ向け大きく前進します。