現在の中国、すなわち中華人民共和国は、しきりに日本の戦争犯罪を声高に叫んでいます。
日本と中国はいつ戦争をしたのかを、もう一度考え直してみましょう。
まず、前提からして間違っていますが、日本は現在の中国と戦争をしていません。
日本が戦争をした相手は、「中華民国」であり「中華人民共和国」ではないのです。
どっちも同じ中国じゃないか、と思われるかもしれませんが、これは全く異なります。
国家が違うと言う以前に、中華民国を継承した国でもないのです。
日本と中華民国の戦争が始まったのは昭和12年(1937年)です。
当時、中国大陸には日本軍が駐屯していました。
日本人も住んでいました。
これは中国を侵略したために日本軍がいたのではなく、
日本と中国の間で合意し、国際条約に基づいた合法的な駐屯でした。
中国を脅迫していたわけではありません。
1912年(大正元年)、中国最後の皇帝国家である「清」が滅亡します。
変わって誕生したのが「中華民国」。
改革は中国人の孫文が主導し、日本の明治維新を模範にして中国を近代国家にしようという目的で行われました。
しかし、その試みは失敗。中国は長きにわたり、軍閥が割拠する内戦状態に陥ります。
●孫文。中国では国父として現在も尊敬を集めています。
日本と中国が力を合わせることを切望しますが、その夢も叶わず死去しました。
日本の明治維新が失敗し、日本各地に武士の国が乱立する状態、と思えば分かりやすいかもしれません。
中華民国は、奉天派・山西派・西北派・広西派・雲南派、新疆派
など、多数の派閥に分裂。
その他には中国国民党と中国共産党がありました。
これらは全て、「自らが中国の正当な政権だ」と主張しています。
非常に複雑で多様な民族が乱立しており、統一は困難を極めました。
中国の覇権をめぐる戦いで最大勢力だったのは中国国民党です。
日本の他、アメリカ、イギリスなどの国も、中国国民党を中華民国政府として扱っています。
国際的に、国民党政府こそが正当な政権として認知されていました。
1937年、日本との戦争が始まると、群雄割拠の中華民国は
一つの決断をします。それは
「侵略者日本を打ち破るために、
内戦を止めて、全中国は手を組もう」
というものでした。
これが抗日統一戦線と呼ばれるものです。
この団結に日本は大いに苦しめられ、
局地的には勝利を重ねていたものの、
結局中国を打ち破れないままに終戦を迎えたのでした。
さて、日本を追い出された後、内戦の再開が1946年です。
これまでの過程で中華民国は
中国国民党と中国共産党に二極化しており、
この二つの政権が中国大陸を巡って再び争い始めたのでした。
この戦いは、アメリカの援助が頼れなくなった中国国民党と、
ソ連の援助を受け取れる中国共産党と言う形となり、
中国共産党の勝利で終わります。
1949年、中国共産党は「中華人民共和国」の建国を宣言。
敗北した中国国民党は、中華民国の旗と共に台湾へ逃げ延びます。
●毛沢東の建国宣言。
ここから現在に至る、中華人民共和国の歴史が始まりました。
つまり、中華人民共和国が成立したのは戦後です。
国際的に見て、日本と中華人民共和国が戦争したというのは成り立ちません。
中華人民共和国なんて国は無かったわけですから。
今では中国を支配する中国共産党も、
第2次大戦期はちっぽけな一つの軍閥にすぎませんでした。
日本との戦争で国民党に協力はしたけれど、
中華人民共和国という国は存在しなかった、
ということです。それだけの話です。
故に、国際社会において、中華人民共和国が日本の戦争犯罪がどうのこのうと言える立場には無いし、資格もありません。戦争当事国ではないのですから。
ですが第2次大戦期のことで、中国人が日本に良くない感情を持つのはいたしかたない面もあるでしょう。
日本の都合で中国の満州地方に、勝手に国家をつくり、
第2次大戦で敵同士だったのですから
わだかまりがあるのは当然だし、中国人が「侵略だ!」というのも
やむを得ない面もあると思います。
とりあえず戦争の是非についてはここでは述べません。
日本人は誤解のないように。
くどいようですが、日本が戦争をしたのは現在台湾にある「中華民国政府」であって
「中華人民共和国」ではない事を理解しましょう。