日本がドイツやイタリアと手を組んでいたことも少しふれる必要があります。
日本とドイツ、イタリアは非常に遠く離れています。
同盟を組んだとして、戦争になった時に、お互いに援護しあえる位置にありません。
戦争のために同盟があるわけではないですが、一見すると全く無意味に見えるこの同盟は、なぜ締結されたのでしょうか。
その理由は、日本とドイツの置かれた境遇が似通っていたからです。
●少し古いですが、世界地図です。
赤枠で囲ったのが、当時のソビエト連邦です。
黒枠内がドイツ、イタリアです。
こうしてみると、ソビエト連邦の巨大さが際立ちます。
日独の共通点とは、
①資源に乏しく、それを生み出す植民地を保有していない
②ソビエト連邦と共産主義の脅威
の二つです。
1は、日本もドイツも、石油や鉄鉱石など、国家の生存に必要な資源を自活できません。
結局アメリカやイギリス、フランスに頼る必要があり、いずれ自給自足できる体制を求めました。
日本とドイツが技術大国である理由は、ここにあります。
資源を得るために、高い技術の輸出が求められるからです。
特に、ドイツのそれは今も昔も飛びぬけています。
2は、社会主義国「ソビエト連邦」が極めて近い位置にあるという問題です。
昭和11年、日本とドイツの間で締結された「日独防共協定」は、共産主義への対策です。
当時のソ連は、コミンテルンという、いわば世界革命組織を世界中で暗躍させていました。
「日本共産党」や「ドイツ共産党」はこの傘下です。この動きを封殺する狙いもあったと思われます。
●当時、共産主義の脅威は重大でした。ロシアで起きたような革命を自分の国でも起こされる可能性があったからです。そしてソ連に近い日本とドイツの安全保障は危急のときでした。
●当時の日本のポスター。日本、ドイツ、イタリアの各首脳の写真を並べ「仲良し三国」と謳っています。
(それぞれ日本の近衛文麿首相、ドイツのアドルフ・ヒトラー総統、イタリアのベニート・ムッソリーニ首相)
昭和15年には「日独伊三国同盟」が締結されました。
これは日本とドイツ、イタリアの同盟締結です。
ドイツは、日本と挟撃すればソ連を倒せると考えました。
ヒトラーはもともと日本に懐疑的でしたが、日独の交流が増えるにつれ、日本は利用価値がある国と判断するようになります。
日本は、アメリカとの外交交渉で、なんとか妥協を勝ち取ろうとするためにこの同盟を組みます。
しかし結果として、世界は日本がナチスとを手を組んだと判断。
アメリカによる日本叩きの格好の材料として扱われることになりました。
日本の意図は当初から頓挫していたことになります。
●アドルフ・ヒトラー。もはや説明不要の独裁者。戦前は大不況のドイツ経済を立て直した救世主として崇拝されます。
一方で、ドイツ至上主義を掲げ、ヨーロッパを戦争の渦に巻き込みました。
●当時のドイツは、国家社会主義と言う名の独裁体制に陥っていました。
しかし、民主主義の名のもと、選挙によって選ばれた体制こそが、ナチスドイツだったのです。
戦後、民主主義の自殺を阻止するため、「戦う民主主義」という体制がつくられました。
余談ですが、昭和16年6月にドイツがソ連を奇襲し、いわゆる
独ソ戦が始まりました。
ヒトラーは明言こそ避けますが、日本にも参戦してほしい節を見せたと当時の駐独大使が報告しています。
「日本とドイツで一緒にソ連を倒そう」というよりは
「ソ連を倒すために日本を利用する」という方がヒトラーの考えに近いです。
実際の所ヒトラーは
ヨーロッパの覇者になったドイツ帝国は、東洋の覇者である日本と対決しなければならない時が来る
と語っています。勿論これは夢想に終わりました。
●こんな感じで、アジアとヨーロッパの二つでソ連を挟撃することを、ヒトラーは望んでいました。
ただし日本が参戦したことでソ連が屈服するかというのは、別の話です。
私達の歴史では、昭和16年4月に締結された「日ソ中立条約」に基づき、日本はあくまで中立を貫きましたが、ヒトラーはこれを破棄してほしかったそうです。
それからもう一つ。
なぜ「アメリカ合衆国は戦争を望んだのか」
という問題です。
まず戦争を望んだのは、アメリカ政府です。
当時のアメリカ国民は強い不戦主義で、ヨーロッパの戦いでアメリカ人の血を流すなという意見が主流でした。
そして政府が戦争したがった理由を、なるべく簡潔に、いくつかに分けて書きましょう。
1.ヨーロッパでドイツが拡大主義をとっていたから
2.イギリスがドイツに敗北すると思われたから
3.戦争は非常に儲かる
4.目障りな日本を叩きつぶす
まず1と2です。
昭和14年9月、ドイツのポーランド侵攻が始まります。
これに対し、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、第2次世界大戦が始まりました。
ドイツはひと月足らずでポーランドを占領しました。
さらにドイツは、昭和15年6月、フランスへの本格的侵攻を開始。
フランスはドイツの新戦術の前に手も足も出ず、約一か月でドイツに降伏します。
(ここでフランスは、ドイツに降伏したフランスのヴィシー政権と、イギリスに亡命した自由フランス政権の二つに分裂しました。戦後、自由フランス政権が正当な政権となります)
●上.自由フランスを率いたシャルル・ド・ゴール将軍。戦後はフランスの英雄となります。
下.ヴィシー政権を率いたフィリップ・ペタン。第1次大戦の英雄ですが、第2次大戦後、売国奴として厳しい非難を受けます。
●当時のフランスは、ドイツとの国境に「マジノ線」と呼ばれる協力な防衛線を張っていました。ドイツはこれを迂回したことで、フランスは僅かひと月で敗れたのでした。
中小国であったポーランドがひと月持たなかったのは分かるにしても、欧米列強の一国であるフランスがたった一カ月で敗北したという事実に、アメリカもイギリスも驚愕します。
このままだとイギリスも屈服し、ヨーロッパはドイツの手に堕ちてしまうだろう、というのが当時の見方です。
そうなれば、イギリスに金を貸していたアメリカも困ります。
ドイツの手で欧州統一なんてされたら、アメリカの手が届かない地域になりますから、イギリスを助けるという名目で参戦したがっていました。
3は至極単純な理由です。人的資源の損失を除けば、戦争は非常にもうかります。
企業に兵器製造の依頼が矢継ぎ早に届くのですから。また、同盟国への武器賃与の稼ぎも馬鹿になりません。
少し前に起きた世界的な大恐慌から立ち直りつつあるとはいえ、今だ苦しい財政のもとにあるアメリカにとって戦争経済は非常に魅力的でした。
4はそのままの意味です。
実はアメリカにとって日本はおまけにすぎず、主眼はヨーロッパでした。
日本と戦争になれば、日本と同盟を組んでいるドイツと戦争できる。
そして日本もたたきつぶせば、念願の中国へ手が届きます。
ですが、フランクリン・ルーズベルトは戦争をしないことを約束して大統領になったのですから、もしこれを破ったら強い非難に晒され、次の選挙に勝てないでしょう。
戦争をしたいけど、民主主義の世論が許さない、ではどうしたらよいでしょうか。
答えは
「相手に先に手を出してもらえばいい」
です。
当時のアメリカは
「日本かドイツを挑発し、
アメリカを攻撃してもらおう。
そうすればアメリカは戦争をする大義名分ができる」
と考えました。
平和を望んでいたアメリカ人が、突如流血の事件に巻き込まれれば、アメリカ世論は激怒し180度意見が転換するでしょうから。
実際の所、アメリカはドイツに対し幾度となく戦争誘発行為をしかけました。
大西洋でドイツ海軍に対し、アメリカ潜水艦を嗾けるなどして、偶然アメリカが被害を被ったかの様に見せかけようとしています。
しかし、このアメリカの意図を見抜いていたヒトラーは、決して手を出すなと厳命しており、アメリカはやきもきします。
そこでアメリカが目を付けたのが日本でした。
1.満州国建国で国際的に孤立している
2.中国に侵攻している
3.フランス領インドシナに進駐した
4.ドイツと同盟を組んでいる
これらの理由を口実として、アメリカは日本を追い詰めました。
最大の問題は、日本の工業はアメリカの資源輸出によって支えられていることであり、これが断たれれば、日本は重大な危機である、という点です。
アメリカは、日本への石油輸出を止めれば、日本は最終的に戦争に訴えてくると分かりながら、禁輸措置をとり、日本が一刻の猶予も無い状況を見計らってハルノートを突きつけたのです。
日本はアメリカの意図通りに真珠湾攻撃を行い、4年間にわたる大戦争に身を投じたのでした。
アメリカとしては
「間抜けな日本は、まんまと我々の思惑通りに動いてくれた」
と思ったでしょう。
日本が真珠湾を攻撃したことで、アメリカ政府もイギリス政府も大喜びしました。
アメリカは、遂に戦争の口実ができた事。
イギリスは、アメリカ参戦で戦争に勝てると思ったからです。
日本は、アメリカの意図がなんであるかということと、日本の外交暗号はアメリカに筒抜けであることの二つに気づけませんでした。
これは紛れもない外交的敗北であり、現代において教訓としなければならない問題です。
私達日本は、「戦争をする前から敗北していた」と言うことを覚えておかなければなりません。