季節は晩春…4月5日は二十四節気の「清明(せいめい)」
清明とは「清浄明潔」の略で「万物ここに至りて皆潔斎にして清明なり」という意味があります。

清明は万物清く陽気になる時期という意で、簡単にいえば、「気候もすっかり温暖となり、桃やスモモの花が咲き、柳が緑にけむって、まさに清明(すがすがしい)と呼ぶにふさわしい。」ということ…。

4月5日といえば、「ヘアカットの日」
1872(明治5)年4月5日、東京府(1868年から1943年までの間に存在していた日本の府県の一つ。現在の東京都の前身に当たり、府庁所在地は東京市)が女子の断髪禁止令を出した。

 明治維新以降、生活の様々な面で、西洋化を進めようとして1871(明治4)年、散髪・脱刀勝手たるべしとの「散髪脱刀令(さんぱつだっとうれい)」が出され、男性はそれまでの「丁髷(ちょんまげ)」から「ざんぎり頭」とするのを奨励された。

それと同時に、文明開化に乗り遅れまいと競って、断髪をする女性が続出したため、東京府は「男性に限って許可した断髪を女性が真似てはならない」とする禁止令を発布されました。

「女子は柔順温和を以て主とするものなれば髪を長くし櫛を用ゆるこそ万国の通俗」という考え方が根強かった時代、男性の断髪を真似して髪を切った若い女性が登場したことを快く思わなかった役人がたくさんいたのでしょうね。

今では「理容師」といわれていますが、昔は「髪結い」と呼ばれ、江戸時代から明治にかけての理髪業に従事する人を総称する言葉。

男性の髪を手がける男の髪結いで「髪結い床」という自分の店を持つものは床屋とも呼ばれたが、女性の髪を手がける女髪結いは遊郭(遊女は上得意だった)や顧客の家を訪問していたといいます。

美容師はパーマネントウエーブ、結髪、化粧等の方法により、容姿を美しくする者のことで、日本においては、厚生労働大臣の免許を受けた美容師でなければ、美容を業としてはならないとされています(美容師法第6条)。
髪結床として女性の髪結や男性の丁髷(ちょんまげ)などを結ってきたが、明治4年8月9日に発布されたいわゆる「断髪令」より「近代理容業」として生まれ変わり、1957年主に女性客のために理容師法から美容師法が独立したのがはじまり。

美容師と理容師の違いは…?
美容師とはパーマネントウェーブ、結髪、化粧などにより容姿を美しくする美容をつかさどるものと、美容師法第2条第2項で定められている。

 理容師とは頭髪の刈込、顔そりなどにより容姿を整える理容をつかさどるものと理容師法第1条の2第2項で定められている。

美容師と理容師の違いは、容姿を美しくする美容と容姿を整える理容の違いなのです。

美容師法は『美容とは「パーマネントウェーブ、結髪、化粧等の方法により、容姿を美しくすること」とされ、コールドパーマネントウェーブ等の行為に伴う美容行為の一環としてカッティングを行うことは美容の範囲に含まれます。

また、女性に対するカッティングはコールドパーマネントウェーブ等の行為との関連を問わず、美容行為の範囲に含まれるとなっていて、カットを含め、化粧・マニキュア・ヘアーエクステンションなど女性のための業となっているのです。

時代の流れにより、実際には男性のカットをする店も多く、男性にコールドパーマネントウェーブを行うこともあります。

2015年7月17日に厚労省から新たな通知が出され、性別に関係なく理容師のコールドパーマネントウェーブと美容師のカッティングが認められたという、つい最近の法改正がありました。

理容師は「先生」と呼ばれないが、美容師は時として「先生」と呼ばれることがる。
山野愛子さん(山野美容専門学校の創始者であり、山野美容芸術短期大学を設立)が、美容師という職業の地位向上のために「先生」と呼ばせる風習を定着させていったことが始まりのようです。

最近はどうなのかな、美容師は未だに「先生」って呼ばれているのかな?
一時、カリスマ○○なんて呼ばれていた時があったけれども…。

ん?

なんでこんなに美容師の話に詳しいのかって…それは…

美容師免許を持っているからですよ、一線から退いて(辞めて)からだいぶ事案が経ちますが、今でも時々、ハサミやロッド(パーマに使うやつ、竿ではありません)を持つことがありますよ。

もちろん、自分の髪は自分で切っていますけど…なにか?