「モータリゼーション」は「自動車化」とも言い換えることが出来ます。
1960~70年代にかけて、名神・東名高速道路の全線開通を皮切りに、高速道路の建設が進んで行きました。
ほぼ同じ時期に、自家用車もまた爆発的に増えて行きました。
その結果、貨物輸送は鉄道からトラックへのシフトが進み、また自家用車を使う人が増えたため、特に地方の公共交通が大打撃を受けて、次々に廃止されて行きました。
とは言え、当時のモータリゼーションには、ある意味必然性がありました。
貨物輸送の場合、当時はまだコンテナ輸送による直行列車が主流ではなく、またトラックも高速性能が向上(※)したため、積み替えを要する鉄道貨物輸送から自動車輸送に変わるのは当然の流れでした。
また自家用車の方も、当時は3C(car、cooler、color TV)と呼ばれ、庶民の憧れの的でした。ゆえに自家用車が手に入ると、やはり自家用車に乗りたがるものですから…。
だからもしかすると、現在の過度のマイカー優遇を、モータリゼーションと同一視する向きがあるかも知れません。
しかし先に書いた通り、当時のモータリゼーションは、必然的にそうなって行ったものです。
近年の過度のマイカー優遇は、普段車に乗らない人を無理矢理車に乗せて、強引に自家用車へのシフトを図るものです。
早い話、これまで封印していた自家用車への強引なシフトを、景気対策の名目で実行したものに過ぎません。その結果、運転技術が未熟なドライバーがわらわらと路上に出て来て、その結果道路の混雑、もとい混乱に拍車をかけることになりました。
実際当時のテレビやマスコミ、自動車雑誌、果てまたはレジャー雑誌や週刊誌までもが「車乗れ」の大合唱でしたから。
(※)トラックやバスといった大型車の性能上の最高速度が、100km/hを超えるようになった。なお大型トラックの場合、現在では90km/hでリミッタが掛かるようになっている。
1960~70年代にかけて、名神・東名高速道路の全線開通を皮切りに、高速道路の建設が進んで行きました。
ほぼ同じ時期に、自家用車もまた爆発的に増えて行きました。
その結果、貨物輸送は鉄道からトラックへのシフトが進み、また自家用車を使う人が増えたため、特に地方の公共交通が大打撃を受けて、次々に廃止されて行きました。
とは言え、当時のモータリゼーションには、ある意味必然性がありました。
貨物輸送の場合、当時はまだコンテナ輸送による直行列車が主流ではなく、またトラックも高速性能が向上(※)したため、積み替えを要する鉄道貨物輸送から自動車輸送に変わるのは当然の流れでした。
また自家用車の方も、当時は3C(car、cooler、color TV)と呼ばれ、庶民の憧れの的でした。ゆえに自家用車が手に入ると、やはり自家用車に乗りたがるものですから…。
だからもしかすると、現在の過度のマイカー優遇を、モータリゼーションと同一視する向きがあるかも知れません。
しかし先に書いた通り、当時のモータリゼーションは、必然的にそうなって行ったものです。
近年の過度のマイカー優遇は、普段車に乗らない人を無理矢理車に乗せて、強引に自家用車へのシフトを図るものです。
早い話、これまで封印していた自家用車への強引なシフトを、景気対策の名目で実行したものに過ぎません。その結果、運転技術が未熟なドライバーがわらわらと路上に出て来て、その結果道路の混雑、もとい混乱に拍車をかけることになりました。
実際当時のテレビやマスコミ、自動車雑誌、果てまたはレジャー雑誌や週刊誌までもが「車乗れ」の大合唱でしたから。
(※)トラックやバスといった大型車の性能上の最高速度が、100km/hを超えるようになった。なお大型トラックの場合、現在では90km/hでリミッタが掛かるようになっている。