今は死語と化してしまいましたが、上~中級乗用車、とりわけトヨタのクラウン・マークⅡ・チェイサー・クレスタ・ソアラを指す車のことです。
なお、ハイソカーとはhigh society car(社会的地位が高い人が乗る車という意味の造語)の略であり、特定メーカーの車種のことを特に指すわけでもないので、この記事では、トヨタや日産の上~中級乗用車のことを取り上げたいと思います。
一般的にハイソカーブームが起きたのは1980年代半ば~1990年代初頭とされています。当時はバブル真っ只中であり、高額な車がバンバン売れた時代でした。その中にあって、トヨタや日産といった“二強”の出したハイソカーも当然ながらバンバン売れました。とりわけ、1987年にはクラウン・セドリック・グロリア(セドリックとグロリアは以後セドグロ)が、1988年にはマークⅡ・チェイサー・クレスタ・ローレル(マークⅡ・チェイサー・クレスタは以後マークⅡトリオ)がフルモデルチェンジしました。加えて、1988年にはセドグロの最高級版のシーマが登場しました。また、毛色の違う車として、初代セフィーロも登場しました。当然ながらバブル真っ只中でしたので、凝った装備や凝った内装のオンパレードでした。ただしトヨタと日産では考え方が若干異なり、トヨタはとにかく豪華絢爛、日産はトヨタほど豪華絢爛ではないものの“くすぐり”テイストを入れるものでした。しかもセドグロやシーマは走りを強調した車となっており、“チョイワル”系の人に支持されました。しかし、バブルが崩壊すると当然ながら売れ行きがガタ落ちになってしまいます。確かに1991年クラウンやセドグロがフルモデルチェンジした時はまだバブルの頃であり、豪華絢爛な内装や装備は継承されましたが、クラウンもセドグロも先代ほどには売れませんでした(※)。そして、追って1992年にフルモデルチェンジされたマークⅡトリオは、車体こそ大きく立派になったものの、内装の質感は明らかに落ちてしまいました。さらに1993年にフルモデルチェンジされたローレルに至っては、日産内部の混乱もあって、コンセプトの定まらない中途半端な車に成り下がってしまいました。またセフィーロは、1994年にフルモデルチェンジするものの、どちらかと言えば北米向けの大型FFセダンだったマキシマと統合された大型FF車となってしまい、ハイソカーではなくなってしまいました。とは言え、皮肉なことに、ローレルからセフィーロに乗り換える人も多くいました(大きさの割に車両価格が安かったゆえでもある)。ただ、1998年にセフィーロはフルモデルチェンジするのですが、1997年にフルモデルチェンジしたローレル同様広範囲な支持を得られず、2003年に事実上ティアナに統合されてしまいました。皮肉にも、セフィーロの後継車はローレルの後継車でもあるゆえか、再びハイソカーに近くなってしまいました。またセドグロは、その後に二回フルモデルチェンジしますが、クラウンほどの支持は得られず、中途半端な存在となりつつあったので、ついには2004年にフーガに統合され消滅しました。そして2009年にフルモデルチェンジしたフーガは、事実上シーマも統合してしまいました。
話を再びトヨタに戻すと、1991年にフルモデルチェンジしたクラウンには、マジェスタやアリストといった派生車種が存在したものの、いずれもクラウンとの差別化を図りきれなかった面があります。ただし、マジェスタやアリストは当時のクラウンとは違ってモノコックボディを採用しており、次期クラウンのモノコックボディ化の実験、という意味もありました。実際1995年にクラウンがフルモデルチェンジした時には、初代から代々受け継がれてきたセパレートボディではなく、モノコックボディとなりました(但しクラウンのモノコックボディ化はコストダウンという面もある)。追ってフルモデルチェンジされたマジェスタはクラウンとの差別化を図るべく更なる高級路線を採用し、またアリストはボディの小型化(但し1995年にフルモデルチェンジしたクラウンは先代より若干小型化されている)と走りに特化した足回りとエンジンでクラウンとの差別化に成功しました。
またマークⅡトリオも、1996年のフルモデルチェンジでボディを短縮し、走りのイメージを持たせたチェイサー、そして屋根高さを若干高くしたクレスタ、というふうに差別化を図るのですが、ハイソカーの低迷はトヨタも例外ではなく、2000年にマークⅡがフルモデルチェンジし、翌年にチェイサーとクレスタを統合する形でヴェロッサが登場しますが、わずか三年後の2004年にマークⅡよりも若干早く消滅してしまいます。そしてマークⅡも同じ年にマークXに引き継いで消滅しました。
確かにバブルの頃、ハイソカーがバンバン売れるのもそれはそれで変な話でしたが、今みたいにミニバンばかり売れるのも車を持つ喜びが失われているようで淋しい話です。恐らく昔ハイソカーに乗っていた人が今はミニバンに乗っている、という例も多いと思われます。加えて燃料代の高騰も、ハイソカー離れに拍車をかけているように思われます。
もっとも、いくら新車でハイソカーが売れなくなっても、中古車では未だよく売れているようで、マークⅡトリオやクラウン、セフィーロ(但し先述の通り、厳密にはハイソカーではない)は未だに中古車で買う人が多いです。実際20年選手の80系マークⅡトリオは、さすがに一頃よりは減ったものの、今でも現役で多く走っています。
(※)クラウンの場合、後ろを丸っこくしたのも失敗の原因だった。マイナーチェンジで丸っこい後ろ姿を止めている。
なお、ハイソカーとはhigh society car(社会的地位が高い人が乗る車という意味の造語)の略であり、特定メーカーの車種のことを特に指すわけでもないので、この記事では、トヨタや日産の上~中級乗用車のことを取り上げたいと思います。
一般的にハイソカーブームが起きたのは1980年代半ば~1990年代初頭とされています。当時はバブル真っ只中であり、高額な車がバンバン売れた時代でした。その中にあって、トヨタや日産といった“二強”の出したハイソカーも当然ながらバンバン売れました。とりわけ、1987年にはクラウン・セドリック・グロリア(セドリックとグロリアは以後セドグロ)が、1988年にはマークⅡ・チェイサー・クレスタ・ローレル(マークⅡ・チェイサー・クレスタは以後マークⅡトリオ)がフルモデルチェンジしました。加えて、1988年にはセドグロの最高級版のシーマが登場しました。また、毛色の違う車として、初代セフィーロも登場しました。当然ながらバブル真っ只中でしたので、凝った装備や凝った内装のオンパレードでした。ただしトヨタと日産では考え方が若干異なり、トヨタはとにかく豪華絢爛、日産はトヨタほど豪華絢爛ではないものの“くすぐり”テイストを入れるものでした。しかもセドグロやシーマは走りを強調した車となっており、“チョイワル”系の人に支持されました。しかし、バブルが崩壊すると当然ながら売れ行きがガタ落ちになってしまいます。確かに1991年クラウンやセドグロがフルモデルチェンジした時はまだバブルの頃であり、豪華絢爛な内装や装備は継承されましたが、クラウンもセドグロも先代ほどには売れませんでした(※)。そして、追って1992年にフルモデルチェンジされたマークⅡトリオは、車体こそ大きく立派になったものの、内装の質感は明らかに落ちてしまいました。さらに1993年にフルモデルチェンジされたローレルに至っては、日産内部の混乱もあって、コンセプトの定まらない中途半端な車に成り下がってしまいました。またセフィーロは、1994年にフルモデルチェンジするものの、どちらかと言えば北米向けの大型FFセダンだったマキシマと統合された大型FF車となってしまい、ハイソカーではなくなってしまいました。とは言え、皮肉なことに、ローレルからセフィーロに乗り換える人も多くいました(大きさの割に車両価格が安かったゆえでもある)。ただ、1998年にセフィーロはフルモデルチェンジするのですが、1997年にフルモデルチェンジしたローレル同様広範囲な支持を得られず、2003年に事実上ティアナに統合されてしまいました。皮肉にも、セフィーロの後継車はローレルの後継車でもあるゆえか、再びハイソカーに近くなってしまいました。またセドグロは、その後に二回フルモデルチェンジしますが、クラウンほどの支持は得られず、中途半端な存在となりつつあったので、ついには2004年にフーガに統合され消滅しました。そして2009年にフルモデルチェンジしたフーガは、事実上シーマも統合してしまいました。
話を再びトヨタに戻すと、1991年にフルモデルチェンジしたクラウンには、マジェスタやアリストといった派生車種が存在したものの、いずれもクラウンとの差別化を図りきれなかった面があります。ただし、マジェスタやアリストは当時のクラウンとは違ってモノコックボディを採用しており、次期クラウンのモノコックボディ化の実験、という意味もありました。実際1995年にクラウンがフルモデルチェンジした時には、初代から代々受け継がれてきたセパレートボディではなく、モノコックボディとなりました(但しクラウンのモノコックボディ化はコストダウンという面もある)。追ってフルモデルチェンジされたマジェスタはクラウンとの差別化を図るべく更なる高級路線を採用し、またアリストはボディの小型化(但し1995年にフルモデルチェンジしたクラウンは先代より若干小型化されている)と走りに特化した足回りとエンジンでクラウンとの差別化に成功しました。
またマークⅡトリオも、1996年のフルモデルチェンジでボディを短縮し、走りのイメージを持たせたチェイサー、そして屋根高さを若干高くしたクレスタ、というふうに差別化を図るのですが、ハイソカーの低迷はトヨタも例外ではなく、2000年にマークⅡがフルモデルチェンジし、翌年にチェイサーとクレスタを統合する形でヴェロッサが登場しますが、わずか三年後の2004年にマークⅡよりも若干早く消滅してしまいます。そしてマークⅡも同じ年にマークXに引き継いで消滅しました。
確かにバブルの頃、ハイソカーがバンバン売れるのもそれはそれで変な話でしたが、今みたいにミニバンばかり売れるのも車を持つ喜びが失われているようで淋しい話です。恐らく昔ハイソカーに乗っていた人が今はミニバンに乗っている、という例も多いと思われます。加えて燃料代の高騰も、ハイソカー離れに拍車をかけているように思われます。
もっとも、いくら新車でハイソカーが売れなくなっても、中古車では未だよく売れているようで、マークⅡトリオやクラウン、セフィーロ(但し先述の通り、厳密にはハイソカーではない)は未だに中古車で買う人が多いです。実際20年選手の80系マークⅡトリオは、さすがに一頃よりは減ったものの、今でも現役で多く走っています。
(※)クラウンの場合、後ろを丸っこくしたのも失敗の原因だった。マイナーチェンジで丸っこい後ろ姿を止めている。