スケート界では、グランプリシリーズそしてファイナルが終わり、これから、各国のナショナル、そして、ワールドへと、いよいよ、ますます、面白さがましていきますね。


ファイナルでは、浅田真央選手が、みんなに、素晴らしい感動を与えて優勝してくれました。

本当に本当に、素晴らしいです。


ところで、この頃、巷で、”たら、れば”論議で、これほど素晴らしい演技をしてくれた選手達に対して、いろいろな批評があがっているようですね。


私は、この、たら、れば、が嫌いです。

もちろん、たとえば、子供達が、大事な大会で、転んだりすると、

「ああ、もし、あのジャンプで転ばなかったら・・・、ああ、あそこで、ポップしなかったら・・・」という思いは、自然と湧き上がってきます。

でも、私は、そのことを、娘達にしろ、お友達スケーターにしろ、滑った本人には、言わないようにしています。


セクショナルのあと、思ったようなスケートが出来なかったちゃーちゃんに、コーチをはじめ、たくさんの方から、

「いつもの滑りをしていたら・・・」

「あそこで、転びさえしなかったら・・・」「あそこでポップしなかったら・・・・」

勝てたかもしれないのに!


との言葉をいただきました。

どれも、好意的なもので、そうして、声をかけてくださるのは嬉しいのですが・・・・


でも、私は、いつも

「でも、あの時は、ちゃーちゃんにとって、あれが、ベストの演技だったと思いますよ。」

と答えるようにしています。


スケーターにとって、子供達にとって、どんなに小さな大会であろうと、チャンピオンシップであろうと、氷の上に一人で降り立って、多かれ少なかれの緊張感の中で、不安や自信のないジャンプでも跳ばなければいけない。

それが、成功しようと、失敗しようと、いつもだったら、簡単なジャンプなのに、転んでしまったとしても、滑っている本人達にとっては、、その状況の中で、ベストの演技をしようと、精一杯頑張った結果が、その日の滑りなのだと思うのです。


そんなとき、「もし、・・・・だったら、・・・・だったのにね。」と言われることが、スケーターにとって、慰めになるのかどうか。

私だったら、上手くいった子も、上手くいかなかった子も、精一杯、頑張って滑った、そのことだけを、「がんばったね、一生懸命やったね!」と褒めてあげたいと思うのです。


どんなに、考えられないミスをしたとしても、運も何もかも含めて、その場、その状況の中で、彼女達が滑った滑りが、彼女達にできる最高の演技だったのだと思うし、たら、れば、If は、ないと思うのです。

それに、たら、れば、は、もしあるとしたら、どのスケーターにも、あるのですしね。

全員のスケーターが、もっと、いい滑りをしたら、結局、結果は、同じ?(笑)


話しは、雲の上のスケーター達に戻して・・・


極限の緊張と、極限の技に挑んだスケーター達の競演を楽しませてもらった観客(関係者も含めて)は、どうして、彼女達の素晴らしい演技を、ただ、素晴らしいと、称えることができなんでしょうかね。

彼女達が、それこそ、血のにじむようなトレーニングを積んで、あの場に立ち、これほど感動を与えてくれた演技を、たら、れば、で批評するとは?


演技に関して、足りないところがあるとしたら、修正するべきところがあるなら、それは、今後の課題として、直していかなければいけないことだけど、ベストを尽くした演技を見て、こうだったら、ああだったら、と論議しても、何にもならないと思うのです。


娘達が、同じスポーツに足を突っ込んでいるせいで、とても、身近なこととして、思い入れが強くなってしまうのですが、反対に、あまりにレベルの違う世界のために、同じ視線で、感想を書くのが、おこがましくて、つい、躊躇してしまうのですが、あまりに、??だったので、つらつらと、思いを書いて見ました。