北野武監督のことだから、たぶん歴史的事実を忠実になぞるようなことはないだろうな。観る前からだいたい予想はできていた。 



北野武監督の大ヒット新作映画『首』 すると実際、2023年11月25日から公開されている『首』を観て、やっぱりなと首を縦に振ってしまった。北野監督が時代劇で描きたかったテーマとは。 

「イケメンと映画」をこよなく愛するコラムニスト・加賀谷健が、お笑いとしか思えない本作の描き方を解説する。

 冒頭からボケる北野武監督 「あのぅ、あ、初めまして…」 世界的巨匠が何やら改まりながらこうボケた。「ジャニー北野川です」。

会場は大ウケである。

これが権威ある日本外国特派員協会での記者会見なのだから驚く。

同協会の会見に集まる記者たちに忖度はない。

 それを百も承知の上で冒頭からボケをかましてみせる北野武監督はさすがとしか言いようがない。すると司会者が、話題の文脈から、エンタメ史上空前の大スキャンダルであるジャニーズ問題について一応言及する。

 北野監督はいたって冷静に答える。

おそらく北野監督にしか知り得ないことを平易な言葉で実情として伝えてくる態度には、

単なる貫禄以上の凄みが感じられた。 

「その人に命を賭けるという意味での男色」 するとにわかに気になり始めるのが、

北野監督の最新映画作『首』のテーマとなる描写についてだ。

ジャニーズ問題に言及した司会者が自分の質問として最後に作品紹介を促した。

「その人に命を賭けるという意味での男色」を描いたと北野監督は滔々(とうとう)と答える。 

まさかジャニーズ問題をフックにしながら、

自らの作品内での男性同士の関係性を紹介するとは。本作の男色描写については、

もっと根源的な人間同士のつながりのことだときちんと説明されてもいる。 

俺の背中はお前にあずけた。

よし、俺もお前に……。という具合に背中を合わせて、お互いの命を共有する。

そして同じ敵めがけて銃を向ける男たちをアクション映画の世界でよく目にする。

北野監督が言う男色はこれに近いと思う。



お笑いとしか思えない設定 ここで絆という一言を持ち出すこともできそうだが、

そうした男同士の絆は同時に儚く、

もろい。北野監督はそこを重点的に描く。 

織田信長(加瀬亮)と森蘭丸(寛一郎)の結構エグくてディープな男色関係も特筆すべきだが、

本作ではそれ以上にまず織田信長に謀反(むほん)を起こした荒木村重(遠藤憲一)と明智光秀(西島秀俊)との関係性が重要だろう。 

でもこれが予想以上に間が抜けているというのか、お笑いとしか思えないのだ。

明智光秀を演じる西島秀俊は、

何とも精悍な表情で、色っぽさもある。

一方、荒木村重役の遠藤憲一は、ありえないくらいムッツリに見えてしまう……。

 光秀と村重が実は惚れた腫れたの男色という設定なのだが、

エンケンさんには失礼だけどこれはちょっと無理があるなと感じたのは筆者だけではないだろう。 

北野監督はもちろんこうした観客の反応を明らかに意図している。

重視しながらも戯れ、笑い飛ばす。

それが北野流の描き方である。 

男色があぶり出す“脆さ” 遠藤が西島に甘えるような眼差しを度々送る。

何だかむず痒い。

一応戦国の世ののっぴきならない関係性だから、笑っていいものかと思うのだが、

明らかに遠藤が逆に笑わせてくる。 

命乞いのため、信長に心を許すふりをした光秀に対して、村重が嫉妬する。

「俺妬くぞ」と遠藤が真顔で言う瞬間は、

思わず吹きそうになった。

おそらく、撮影中の北野監督もこの場面の演技を見ながら、ケラケラしていたのでは。 

光秀を鼓舞して本能寺の変までこぎつけるのだが、土壇場になって光秀は村重を切り捨てる。

そのとき、村重は捨てられた子犬みたいな顔して「絆」の一文字を発する。

これが本作の男色があぶり出す脆(もろ)さなのだ。 

「殿、お逃げください」の意味合い 光秀は自分たちの絆よりも天下統一のほうが重いと言う。

本能寺へ向かっていざ出陣するときは説得力があるが、戦況が悪くなってもなお、光秀は果たしてそう言えるのか。

北野監督自ら扮する羽柴秀吉勢に圧倒され、

光秀は敗走する。

 敗走中、次々家臣は光秀をかばって敵に切られる。

その瞬間、家臣たちは口を揃えて言う。

「殿、お逃げください」。

主を逃すためには、自分の命をなげうつこともいとわない。 

家臣の忠義とは言え、主の人間そのものに惚れていなければそんなことできるはずがない。

それが本作がテーマとする男色の本質なのか。

構想30年。

と言うことは北野監督が、

大島渚監督による男色映画の傑作『御法度』(1999年)に出演する7年前くらいか。 

その前後で構想を断片的にでも始めていたのだとすると、同作からの影響は明らかではないか。

天下人になれなかった明智光秀の首をめぐる本作を、この「殿、お逃げください」の意味合いからもう少し検証し、考える必要があるように思う。