映画『声もなく』(公開中)の完成度の高さは、
手掛けたホン・ウィジョン監督の新人監督らしからぬ冷静で行き届いた目線もさることながら、
主演のユ・アインに拠るところが大きい。
日本の若手俳優からはここ最近、
韓国のショービズ界への羨望の声が止まないが、
そうした業界への信頼度を高めているのは、
ユ・アインのような俳優の存在である。
そこで今回は、芸達者がひしめく韓国芸能界の先陣にいるユ・アインのフィルモグラフィから印象的な役柄をピックアップし、
演技の真髄を考察したい。
■社会から疎外された青年の中に存在する幼い素顔、『声もなく』
【写真を見る】ユ・アインは『声もなく』(20)のために15キロ体重を増やし、髪も剃ることで田舎臭い見た目の人物を作り上げた
『声もなく』でユ・アインが演じているのは、人殺しも辞さない犯罪組織の下請けで、
相棒のチャンボク(ユ・ジェミョン)とともに死体処理を仕事にして生きる青年テイン。
彼は監督の求めに応じて15キロ体重を増やし、
髪も剃ることで田舎臭い見た目の人物像を作り上げた。
こうしたキャラクター造形のおかげで、
シリアスなシーンもどこかとぼけたものになる。映画の主なストーリーラインである、
誘拐事件に巻き込まれていくアウトサイダーの物悲しさには、
そこはかとないユーモアが加わったのだ。
この映画に登場する主要人物は、
みな社会の主流ではなく周辺で生きる者だ。
誘拐された少女チョヒ(ムン・スンア)でさえも、女の子だからと家族から身代金を払うことを渋られている。
そうした社会から疎外された彼らの中で、
ユ・アインが扮するテインが一層際立つのは、
口が聞けないという点だろう。
劇中、どういう理由で口が聞けなくなったのかは明かされないが、
ハンディで彼が背負った重みは、想像に難くない。
テインの仕事はハードなものだが、
トラックの中で眠りこけている顔だったり、
妹たちと遊びまわる姿は無邪気で、
テインの中に存在する幼い素顔を見ることができる。
口が聞けないせいで、彼は年齢よりも早く大人にならなければならなかったのではないだろうか。
このように、声で表情に変化をつけられない難しさは、
ユ・アインにとっては人物造形に厚みを持たせるファクターとなった。
同じく年齢の割に大人びているチョヒとの類似と絆が浮き彫りになるからこそ、
チョヒのため起こす彼にとって一世一代の行動が、
社会から疎外された人間たちが連帯する瞬間として、
観客の胸を熱くさせるのだ。
■ミステリアスな雰囲気から狂気に満ちた姿まで、
“韓国のディカプリオ”ならではの名演技
ワイルドとナイーブを兼ね備えた、
大人びた少年。
こうしたユ・アインのイメージは、
役柄というより、彼に宿るエッセンスではないだろうか。
たとえばNetflixオリジナルシリーズでヨン・サンホ監督によるドラマ「地獄が呼んでいる」では、
民衆を熱狂させる新興宗教の若き教祖チョン・ジンスを演じている。
彼の役割は前半がメインであるが、
登場によってドラマの方向性を決めたと言ってもよい。
妻を殺された刑事チン・ギョフン(ヤン・イクチュン)のような人間の心の隙間に入り込もうとする優しい声色を持ちつつ、
漆黒の瞳と座った目つきで、
他人を寄せ付けないキャラクターを表現した。
終盤、教祖は自身が持つ過去を告白する。
恐怖と悲劇を抱いて生きてきた胸のうちの表現は圧巻だった。
このドラマには、ユ・アインが持つ成熟した魅力と少年性が、
人心を掌握し操るカリスマ性と、
その中にある繊細さとして上手く反映されている。
李氏朝鮮第21代国王の英祖と、
その息子である世子に起きた「壬午士禍」、
いわゆる「米びつ事件」を題材にしたこの映画『王の運命(さだめ)―歴史を変えた八日間―』(15)。
若くして指導者になることを求められながら、
感受性が豊かであるがゆえにソン・ガンホが扮する英祖と激しく衝突し、
ついに父の手によって命を落とす悲劇で、
ユ・アインは驚くほどの精彩を放って世子を演じた。
穏やかさが垣間見える面影から、
次第に狂っていく形相への変調は見事だった。
彼は自身の野生味と純粋さを、
鬼気迫る姿を見せながらやがて犠牲となる悲壮美として世子を演じたのである。
この頃ユ・アインは“韓国のディカプリオ”とも呼ばれていたが、
英祖と対峙するシーンの撮影中、
安全バーではなく本当に石畳に頭を打ちつけたというエピソードからは、
レオナルド・ディカプリオが『ジャンゴ 繋がれざる者』(12)で大けがを負いながらも演技を続行したという逸話が思い出される。
韓国ではソン・ガンホとコンビを組んで個性を発揮する若い俳優を“ソン・ガンホの男”と呼ぶ向きがある。
しかし、ユ・アインのなにかが乗り移ったような世子は、
明らかに映画を我が物に支配してしまっていた。
この役で初めて、韓国のアカデミー賞と称される青龍映画賞主演男優賞を受賞したのも納得だ。
■イ・チャンドン監督との出会い、役者としての成長
ユ・アインの演技力は、
独特の世界観で映画ファンに支持されてきた映画監督イ・チャンドンに出逢って一気に開花することになる。
この寡作な巨匠が満を持して撮りあげた『バーニング 劇場版』(18)の主役ジョンス役に抜擢されたのだ。
イ・チャンドンと言えば、例えば『シークレット・サンシャイン』(07)で、
子どもを事件で失った主婦役を演じたチョン・ドヨンに対し演技のディレクションは一切せず、
自ら感じて役柄を生きることを求めたというエピソードがあるほど、時に役者を追い込むことで知られている。
己の感情を爆発させる思悼世子とまた違い、
小説家志望の青年ジョンスに徹するには、
感受性を磨き上げて極限の精神状態を演じなければならず、
ほとんど自身との戦いだったに違いない。
だからこそ、後々「イ・チャンドン監督が私の自意識をはっきりさせた」と口にしたように、
ユ・アイン自身の演技への向き合い方が定まった作品だった。
すでに彼の中にあったナイーブさをステップに、
内面の深みについてさらに突き詰め、
役者としてのアイデンティティを獲得したのだった。
ユ・アインのフィルモグラフィが興味深いのは、
こうした芸術性の高い役を演じこなす強さはもちろん、
そのバリエーションの豊かさだ。
彼が多くの人に発見されることになったドラマ「トキメキ☆成均館スキャンダル」で儒生ジェシン(別名“コロ”)で“コロ病”という熱狂的ファンを獲得していたとき、
そのキャラクターは素行が悪いが根は純真な性格という設定だった。
実はこの“コロ”の姿は、
先に挙げた『王の運命(さだめ)―歴史を変えた八日間―』と時を同じくして出演した王道恋愛ジャンルの「密会」や
映画『ハッピーログイン』(16)でも見ることができる。前者は天才的なピアノの腕を持つ苦学生、
後者は大人気韓流スターで、
ともに年上の女性と恋に落ちるという点が共通する。
人妻(「密会」)や気が強く他人を寄せ付けないドラマ脚本家(『ハッピーログイン』)に愛される魅力と、全身から醸し出される無垢さ。
ユ・アインが持つ“大人びた少年”の姿が、
象徴的に表れている。
■新作『ハイファイブ』(2021)クランクアップ!さらに広がる演技の幅
韓流ドラマに出演していた俳優たちが年齢を重ねたことで、
ラブコメの王子様から演技派へと脱皮してゆく。
そうした道のりに、ユ・アインも同調していると思われるかもしれない。
確かに彼は最近のインタビューで「イケメンと呼ばれることをあえて捨てることで、
いい作品に参加できる」ということを語っている。
しかし、彼が評価されてきたのは、
アクの強い男と甘い美青年、
どちらもこなしてきたことにこそある。
それは、成熟した大人の表情と少年の純粋さを併せ持った彼の本質がなせる技なのである。
期待すべきユ・アインの最新作は、すでにクランクアップしている『ハイファイブ』(2021)。
偶然超能力を得ることになった5人の男女と、
彼らの力を奪おうとする者たちの戦いを描く物語を手掛けるのは、
韓国映画界屈指のヒットメーカー、カン・ヒョンチョル監督。『サニー 永遠の仲間たち』(11)や『スウィング・キッズ』(18)など、
観客の胸を熱くさせる躍動感とエモーショナルなステーリーテリングが持ち味の彼とタッグを組んだことで、
一層演技の幅が広がるだろう。
まだまだ当分、ユ・アインから目が離せそうにない。