嶺上自摸のとりとめもない日記 -2ページ目

嶺上自摸のとりとめもない日記

週末のラーメン食べ歩き→麻雀、競馬、プロレス観戦でのこと、大腸がん闘病記(でも明るく前向き、そしておバカぶり全開)などをとりとめもなく書いています(*゚▽゚)ノ

本題の前に先日の造影CTの結果です




再発、転移なし、腫瘍マーカーも異常なし、無事経過観察5年生進級🙌

いよいよ完全寛解まであと1年😄


長かったけどやっとここまで来ました、あと一年気を抜かずに過ごします


では本題


そういえば私が住む長野市は100名城にも入っている松代城(海津城)が有名だけど他にどんなお城があるのかな?




たくさんあるなぁ、せっかく長野市に住んでるんだから一つずつ行ってみますか!


ということで今日(1/31)は県史跡にもなっている信州新町の牧之島城に行って来ました🚗


その前にこちらでブランチ


あし鷹にて限定 あん肝そば






濃厚煮干しにたっぷりのあん肝がオン


お互い主張が強すぎて喧嘩にならないの?という心配は一切ご無用、両者がガッチリと手を繋いで最強タッグ!神降臨✨


あん肝の和え玉(シェア)



意外にも洋テイスト、バターかな?こちらも間違いない美味しさ🩷


さて、お腹も満たされたので歩き回る準備万端






牧之島城の背景(↑の城郭放浪記から抜粋)


「滋野系香坂氏代々の居城であったが、川中島合戦で上杉氏に通じたため、永禄4年(1561年)武田信玄によって香坂氏は誅され、その名跡は娘婿の春日弾正虎綱が継いだ。

その後、深志城主馬場信房によって牧之島城は改修され城代となる。天正3年(1575年)長篠合戦で馬場信房が討死すると、翌年にはその子馬場昌房が城将となり、上尾城主の平林正恒も在城した。天正10年(1582年)武田氏が滅亡すると、上杉景勝が牧之島城を奪い芋川親正を置いた守らせたが、慶長3年(1598年)上杉氏の会津転封により移っていった。

慶長8年(1603)松平忠輝が松代城主となると家老を置いて守らせたが、元和元年の一国一城令によって廃城となった」


では登城🏯


丸馬出し



当然かなりの急斜面



千人枡形





うん!なんかだんだん「こんな感じのお城だったんだろうなぁ」と想像力が湧き立って来る😆


琵琶古跡神社






本丸跡






本丸跡に井戸がありました、しかも穴もしっかり残ってる!






水堀が凍ってました❄️






二ノ丸跡がびっくりするほど広い!







これだけ広いということは牧之島城は相当大きいお城だったんだろうな🏯


土塁





この登り降りがかなり脚が鍛えられました🦵

実は登り降りに必死で写真撮るのを忘れてて最後に思い出して撮りましたw


三日月堀




三日月堀から見た景色



ああ、下までくっきり見える…

間違いなくここにお城が建っていたのだと改めて思わせてくれます!






見応えあり、楽しく散策(筋トレともいうw)できました🚶


さて、明日はこちらに参加します




そう、1年ぶりにプロアマ混合の麻雀リーグ戦に夫婦共々復帰します🀄️


結果は次の日記で💪