エホバの証人の「避け」について ③ | ひとりごちる ~エホバの証人(JW)・ものみの塔(WT)・jw.orgについて考える~

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エホバの証人の「避け」について ②

でご紹介したオンラインライブラリーの記事の続きに

「同居している排斥された未成年の子どもについてさらに詳しくは,「ものみの塔」誌,2001年10月1日号,16‐17ページ ,および1988年11月15日号,20ページをご覧ください。」

という文章がありましたので、そこにどのように書かれているのかを確認していきます。


以下引用

未成年者が排斥されるとき

12 親と同居している未成年者が重大な悪行に携わり,悔い改めない態度のゆえに会衆から追放される場合はどうでしょうか。

その子どもは親と同居しているので,親が神の言葉にしたがって子を教え諭し,懲らしめを施す責任を負っていることに変わりはありません。

このことをどのように行なえるでしょうか。―箴言 6:20‐22; 29:17

13 そうした教えや懲らしめは,その子どもだけと聖書を研究する時に与えることができるかもしれません。

実際,そのようにするのが最善でしょう。

親は,子どものかたくなな態度のさらに向こうにあるものに目を向けるようにし,心の内面を察するように努めなければなりません。

子どもの霊的な病気の全体的な様子はどのようなものでしょうか。(箴言 20:5

子どもの心の柔らかい部分を動かすことができるでしょうか。

どんな聖句を用いるのが効果的でしょうか。

使徒パウロはこう保証しています。

「神の言葉は生きていて,力を及ぼし,どんなもろ刃の剣よりも鋭く,魂と霊,また関節とその骨髄を分けるまでに刺し通し,心の考えと意向とを見分けることができ(ま)す」。

ヘブライ 4:12 )そうです,二度と悪行に携わらないようにと,ただ子どもに告げる以上のことを親は行なえます。立ち直りのための手順を開始し,それを進めてゆくよう努めることができるのです。

14 過ちを犯した若者は,エホバとの関係を取り戻す必要があります。

その若者が踏むべき最初の段階は,「悔い改めて身を転じ(る)」ことです。(使徒 3:19。 イザヤ 55:6,7

家にいる若者が悔い改めるよう助けるため,親は「苦境のもとでも自分を制し」,好意的でない子どもを「温和な態度で諭す」ことをしなければなりません。(テモテ第二 2:24‐26

聖書的な意味で子どもを『戒める』必要があります。

『戒める』と訳されるギリシャ語は,「納得させる証拠を与える」とも訳せます。(啓示 3:19。 ヨハネ 16:8

ですから,戒めるには,子どもの歩み方の罪深さを納得させるに足る証拠を示すことが含まれます。

そうするのがたやすくないことは確かです。

もし可能であれば,親は子どもを納得させるため,聖書的にふさわしいあらゆる手段を用いて,子どもの心に訴えることができます。

子どもが「悪を憎み,善を愛(する)」必要性を認識するよう助けることに努めるべきです。(アモス 5:15

子どもは「悪魔の……わなから出て本心に」立ち返るかもしれません。

1

5 人がエホバとの関係を取り戻すうえで,祈りは欠かせません。

もとより,かつてクリスチャン会衆と交わっていた人が,悔い改めずに甚だしい罪を習わしにしていることが明らかな場合,だれもその罪について「お願いする」べきではありません。(ヨハネ第一 5:16,17。 エレミヤ 7:16‐20。 ヘブライ 10:26,27

それでも親は,その状況に対処するための知恵を与えてくださるようエホバに求めることはできます。(ヤコブ
1:5

排斥された若者が悔い改めの証拠を示しているものの,「神に対してはばかりのない言い方」ができないでいる場合,親は,もし神が子どもの過ちを赦す根拠を見いだしてくださるなら,ご意志が行なわれますように,と祈ることもできるでしょう。(ヨハネ第一 3:21

このような祈りを聞くことは,その若者にとって,エホバが憐れみ深い神であることを理解する助けになるでしょう。* 出エジプト記 34:6,7。 ヤコブ 5:16

16 バプテスマを受けた若者が排斥されるなら,会衆の成員には,その若者との「交友をやめ(る)」ことが求められます。(コリント第一 5:11。 ヨハネ第二 10,11

こうすることは,当人がいずれ「本心に立ち返っ(て)」,保護となる神の囲いに戻るための助けにもなるでしょう。(ルカ 15:17

しかしながら,本人が戻ってくるかどうかにかかわりなく,会衆の成員は,排斥された若者の家族を励ますことができます。

わたしたちは皆,それら家族に「思いやり」を示し,また「優しい同情心」を表わすための機会を探すことができます。―ペテロ第一 3:8,9


「バプテスマを受けた若者が排斥された場合、会衆の成員には、その若者との「交友をやめる」ことが求められます。」

と、はっきり書かれていますので、未成年の子どもであっても、会衆のほかの成員からは「避け」られることになります。

ただし、その排斥された人の家族に対しては励ますことができるようです。


また、気になる記述としては

聖書的な意味で子どもを『戒める』必要があります。

『戒める』と訳されるギリシャ語は,「納得させる証拠を与える」とも訳せます。(啓示 3:19。 ヨハネ 16:8

ですから,戒めるには,子どもの歩み方の罪深さを納得させるに足る証拠を示すことが含まれます。

そうするのがたやすくないことは確かです。

もし可能であれば,親は子どもを納得させるため,聖書的にふさわしいあらゆる手段を用いて,子どもの心に訴えることができます。

の部分です。


ここには、具体的な指示は出てきません。

ここでいう

「聖書的にふさわしいあらゆる手段」

とは、どんなものがあるのでしょうか。。。(・・?


もしも、思い当たることがある方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください(*^。^*)