エホバの証人の排斥者・断絶者に対する
「避け」
(忌避と言う言葉は、反対者の造語だというご指摘もありましたので、「避け」にして考えてみます。)
一般人の私にはどう考えても理解しがたい教義の1つです。
でも、現役JWの方々は、
「避け」は「愛」だ、と主張します。
そこで自分なりに整理したいと思い、しばらくこのことについて考えていきたいと思います。
まずは。。。
エホバの証人にとっての排斥の根拠となる聖句
↓
「(コリント第一 5:9-13)
わたしは自分の手紙の中で,淫行の者との交友をやめる
(μησυναναμιγνυμι)
ようにとあなた方に書き送りましたが,10 それは,この世の淫行の者,あるいは貪欲な者やゆすり取る者,また偶像を礼拝する者たちと全く[交わらないようにという意味]ではありません。
もしそうだとすると,あなた方は実際には世から出なければならないことになります。
11 しかし今わたしは,兄弟と呼ばれる人で,淫行の者,貪欲な者,偶像を礼拝する者,ののしる者,大酒飲み,あるいはゆすり取る者がいれば,交友をやめ
(μη συναναμιγνυμι )
,そのような人とは共に食事をすることさえしないように,と書いているのです。
12 というのは,わたしは外部の人々を裁くことと何のかかわりがあるでしょうか。
あなた方は内部の人々を裁き,13 外部の人々は神が裁かれるのではありませんか。
「その邪悪な人をあなた方の中から除きなさい」とあります。」
(カレブさんのサイトhttp://www.jwstudy.com/docs/belief_disfellowship_general/ より転載)
この聖句で語られている排斥についてみていきます。
まず、その対象になるのは
「兄弟と呼ばれる人」
つまり
「エホバの証人」
に限定されます。
一般人はもちろんのこと、バプテスマを受けていない研究生には排斥制度が適用されないのはここからきているのですね。
「排斥となる人」
・淫行の者
・貪欲な者
・偶像を礼拝する者
・ののしる者
・大酒飲み
・ゆすり取る者
このような人たちが排斥の対象になるということですね。
組織に疑問を感じるような人も排斥になる恐れがあるとよく言われていますが、この中の何に相当するというのでしょうか。。。
「排斥者に対する行動」
・交友をやめる。
・共に食事をすることさえしないようにする。
・邪悪な人を除く。
この聖句から読みとれるのは以上のようなことです。
確か他にも根拠となる聖句がありましたね。
それについては次回にまた見ていきたいと思います。