批判によって | ひとりごちる ~エホバの証人(JW)・ものみの塔(WT)・jw.orgについて考える~

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一般人りんごの思うこと、あれこれ書いてます。
基本的に公開記事が多いので、個人情報に気をつけてコメントして下さいね。

さらに前記事(しがみついているのは、どっち? )からの続きです。


批判によって、私は、そう簡単に「組織」が変わるとは思っていません。


「組織」という巨大な生き物は、それそのものがもう既に人の手を離れてしまっているのだから。。。


個人や末端がいくら批判しようとも。

たとえ上層部の一部が批判しようとも。

少数である限り、それは切り離されて、はい、おしまい。


レイモンド・フランズが体験し、「良心の危機」に書いたことは、まさにそのことを体現したものだと思います。


でも、個人個人の人生は違います。


自分の属する組織が

「何か変」

そう感じた時にどうするか。。。


それも、疑問を感じることが許されない組織だったら?


まずは疑問を打ち消そうと必死になるでしょう。

疑問を見ないふりを必死にするでしょう。


でも、その疑問が自身の「良心」に問いかけてきたら?

自分は疑問を感じているのに、その組織を誰か他の人にお勧めできるでしょうか?


ここから先はそれぞれの個人の心の葛藤になると思います。

でも、人は「自分の正義」に向かって生きたい生き物だと言います。


今まで自分が進んできた道のことを、もう信用できなくなったら?


自分の心にさえ嘘をついて、無理やりにもその道を進むのか。

それとも、自分の心に正直に、少しでも自分が正しいと思う方向に道を変えるのか。


それぞれの事情によって、どちらの選択もあるでしょう。


「批判」によって生まれるのは。。。


考えるきっかけ。

自身を問い直すチャンス。


批判すら許さずに、表面だけ平和を取り繕ったところで何が生まれるでしょう?

沈められた負の感情は、自身の心を食い荒らす。


そうやって、1人1人が生きる力を取り戻し。

自由にものを考え、自由にものを見て。


たくさんの人の「生きる力」が集まった時。

「組織」は人を支配する化け物ではなく、人の力を引き出す道具になる。


使われるのじゃなくて、活用できる道具に。


もう、お利口さんになって、我慢しなくてもいいんだよ☆

あなたの心は、気がついたときから自由なのだから。