菅原道真と防府天満宮
娘が神頼みした防府天満宮
だけれど、
日本最古の天満宮だというのに名前すら知られていないのが気に入らない(笑)
なんとかしてこの名を東海地方で広めようと企て、
息子の夏休みの宿題(選択制)に社会の自由研究を選ばせた。
夏休みに日本三大天神を訪問してレポートしよう、とそそのかし、息子の同意を得た。
京都の北野天満宮は努力が必要だと思いつつも、
福岡の太宰府天満宮は連れて行くつもりだったのに、
娘の部活と私の仕事との兼ね合いで急遽帰省がバラバラになってしまい一緒に行動できず、
先に1泊した私だけは防府天満宮を訪れたものの、息子のほうは
自発的な取り組みではないから家族に連れて行ってもらうという熱意もなく帰って来てしまった。
夏休みの課題として選んだからには「社会の自由研究」は提出しなければならない。
最終的には理科の自由研究のデータ取りが思いのほかてこずってしまい、
こちらのほうは登校日前日にレポート用紙5枚ぽっちで
形(になっているかは不明)だけ仕上げる始末で企画倒れ。
ただ、「防府天満宮を有名にしよう」という企みには届かなかったものの、
息子と私の知識はちょっぴり増えた。
学習時代に歴史の学習能力が備わっていなかった私の頭では、
菅原道真をとりまく人物や歴史的背景が迷宮入りしてしまって、
これから歴史の学習に出会う息子には、
今回集めた情報の切れ端を思い出して興味を持って調べてほしいものである。
ちなみに、映画「マイマイ新子と千年の魔法」を観ながら、 「勝間の浦(かつまのうら)」の名に
即座に反応し顔を見合わせた息子と私であった(ちょっと嬉しい♪)
<レポート用紙5枚のさらなるダイジェスト版>
お願い:小学生が調べた範囲なので、諸説のうちの一部のみを取り上げてあり、
その真偽について深く追求するどころか、1日で仕上げるため、
わかりやすいものや書きやすいものを選んであります
(字数を減らそうとして、わかりづらくなっている箇所もあるかも)。
このレポートのみを鵜呑みにしないようにお願いします。
表紙:2009年8月7日の防府天満宮
1. 天満宮の神様について調べる
菅原道真(すがわらのみちざね)
代々学者の家系に生まれ、学者・文人・政治家として能力を発揮した人。
学問の神様。雷神としても知られる。
845年6月25日誕生。幼名 阿呼(あこ)
*5才で歌を詠み、18才で文章生(もんしょうせい)、33才で文章博士、55才で右大臣
901年 藤原時平の陰謀で太宰府に左遷された
*庭の梅の花に別れを告げた有名な歌
「東風吹かば匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
903年2月25日 太宰府で無念の思いを残して亡くなった
*後に疑いが晴れ、学問の神様としてまつられるようになった
2. 防府天満宮について
904年に日本で最初に建てられた天満宮。日本三大天神のひとつである。
<建てられた理由>
菅原道真が太宰府に流される途中で本州最後に寄ったのが(当時の)勝間の浦で、
酒垂山(さかたりやま)にのぼって「必ずやこの地に帰ってくる。」と旅立たれた。
道真が太宰府で亡くなった日(翌日と書いてあるものもある)、
勝間の浦に神光が現れ酒垂山に瑞雲(ずいうん)が棚引き、
「道真公の魂がお帰りになられた。」と、酒垂山社殿を建てられた。
かつては「松崎天満宮」あるいは「松崎天神」と呼ばれ、
1953年に防府天満宮となった。
<防府の人に聞いた話>(教えてもらったままを記入。言葉の間違いや不適切な表現あり、かも)
*梅がたくさん咲いて、きれい。
*学問の神様なので、正月には県外から受験の合格祈願に来る人もいる
・受験に合格した人のはちまきを受け継ぐ「合格はちまき」がある。
*「御神幸祭(ごしんこうさい)」といって、
おあじろを防府天満宮からお旅所(勝間の浦)まで運んで往復する行事がある。
・「裸坊祭(はだかぼうまつり)」。昔は旧暦10月15日の満月に行われていたが、
現在はそれに近い土曜日に行われている。
・おあじろは大きくて重いので、長い石段をおろすが大変。
・昔は雪がちらついて寒かったけれど今はそうでもない。
・参加する人が減ってさびしくなった。
*節分の日に「牛替神事(うしかえしんじ)」といって、牛が当たるくじ引きがある。
・本物の牛が当たると、御神幸祭まで育てなくてはならなくて大変なのでこれは当たりたくない。
3. 日本三大天神について
福岡の太宰府天満宮と京都の北野天満宮、山口県の防府天満宮と言われている。
<太宰府天満宮について>
905年 道真の墓の上に建てられた。
*お墓の場所は、亡くなった道真を運ぶ牛が動かなくなった所。
<北野天満宮について>
947年 道真の怨霊の怒りを鎮めるために建てられた。
*道真の死後に藤原時平が亡くなったり、都で天変地異が続いたりして、
道真の怨霊の祟りだとおそれられたから。987年に「北野天満宮」となった。
<大阪天満宮について>(防府天満宮ではなくこちらとする説があるので調べた)
大将軍社の前に突然7本の松が生え、夜ごとにその梢(こずえ)が金色の霊光を放ったといわれ、
これは道真に縁があるからだ、と建てられた。
<知っていますかアンケート>(協力者:近所の人、歯科医院、私の友人知人)
4. まとめ
*天満宮には学問の神様である菅原道真がまつられている。
*最初に建てられたのは山口県の防府天満宮である。
*菅原道真といったら、牛と梅。
*日本の三大天神として有名なのは、太宰府天満宮、北野天満宮、大阪天満宮だった。
防府天満宮は名前すらあまり知られてなかった。
5. 感想(誤字脱字の見逃しあり)
以上、「かわいそう」で片付けられた ( ノД`)しくしく
ついでの話だが、もうじき迎える節分の牛替神事といえば、母がよく品物を当てた。
(なぜ「母が」と思うのかはわからないのだが、母が。出かけたのが母とだったから?)
未だに覚えている大きなものでは、こども学習事典セットやストーブなど。
今じゃなんてことないけれど、当時は高価だったんじゃないかな。
こうしたお祭りが楽しくて待ち遠しかった時代が懐かしい。
天満宮の清掃係だった祖母が的屋さんからりんご飴や回転焼きなどの
残り物をもらって帰ってくることがあったのは、さらに懐かしい。
(母は「ほこりがして汚い」と言って買ってくれなかった。)
祖母と言えば…
節分に最後に訪れたのは、市内の代表的な事業所から数名ずつの女性社員が集められて
巫女として奉仕したときで(いくつのときだ?巫女さんの定年以下だった?)、
まさか社会人になってまで巫女の機会があるとは思わず嬉しかったのだけれど、
高校時代から何度も巫女として天満宮入りさせてもらったのに、
子どもの頃、「私は大きくなったら巫女さんになりたい」と話していた祖母に
一度もその姿を見せられなかったのは残念なことだったなぁ(と、今気づいた)。
日本最古の天満宮だというのに名前すら知られていないのが気に入らない(笑)
なんとかしてこの名を東海地方で広めようと企て、
息子の夏休みの宿題(選択制)に社会の自由研究を選ばせた。
夏休みに日本三大天神を訪問してレポートしよう、とそそのかし、息子の同意を得た。
京都の北野天満宮は努力が必要だと思いつつも、
福岡の太宰府天満宮は連れて行くつもりだったのに、
娘の部活と私の仕事との兼ね合いで急遽帰省がバラバラになってしまい一緒に行動できず、
先に1泊した私だけは防府天満宮を訪れたものの、息子のほうは
自発的な取り組みではないから家族に連れて行ってもらうという熱意もなく帰って来てしまった。
夏休みの課題として選んだからには「社会の自由研究」は提出しなければならない。
最終的には理科の自由研究のデータ取りが思いのほかてこずってしまい、
こちらのほうは登校日前日にレポート用紙5枚ぽっちで
形(になっているかは不明)だけ仕上げる始末で企画倒れ。
ただ、「防府天満宮を有名にしよう」という企みには届かなかったものの、
息子と私の知識はちょっぴり増えた。
学習時代に歴史の学習能力が備わっていなかった私の頭では、
菅原道真をとりまく人物や歴史的背景が迷宮入りしてしまって、
これから歴史の学習に出会う息子には、
今回集めた情報の切れ端を思い出して興味を持って調べてほしいものである。
ちなみに、映画「マイマイ新子と千年の魔法」を観ながら、 「勝間の浦(かつまのうら)」の名に
即座に反応し顔を見合わせた息子と私であった(ちょっと嬉しい♪)
<レポート用紙5枚のさらなるダイジェスト版>
お願い:小学生が調べた範囲なので、諸説のうちの一部のみを取り上げてあり、
その真偽について深く追求するどころか、1日で仕上げるため、
わかりやすいものや書きやすいものを選んであります
(字数を減らそうとして、わかりづらくなっている箇所もあるかも)。
このレポートのみを鵜呑みにしないようにお願いします。
表紙:2009年8月7日の防府天満宮1. 天満宮の神様について調べる
菅原道真(すがわらのみちざね)
代々学者の家系に生まれ、学者・文人・政治家として能力を発揮した人。
学問の神様。雷神としても知られる。
845年6月25日誕生。幼名 阿呼(あこ)
*5才で歌を詠み、18才で文章生(もんしょうせい)、33才で文章博士、55才で右大臣
901年 藤原時平の陰謀で太宰府に左遷された
*庭の梅の花に別れを告げた有名な歌
「東風吹かば匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
903年2月25日 太宰府で無念の思いを残して亡くなった
*後に疑いが晴れ、学問の神様としてまつられるようになった
2. 防府天満宮について
904年に日本で最初に建てられた天満宮。日本三大天神のひとつである。
<建てられた理由>
菅原道真が太宰府に流される途中で本州最後に寄ったのが(当時の)勝間の浦で、
酒垂山(さかたりやま)にのぼって「必ずやこの地に帰ってくる。」と旅立たれた。
道真が太宰府で亡くなった日(翌日と書いてあるものもある)、
勝間の浦に神光が現れ酒垂山に瑞雲(ずいうん)が棚引き、
「道真公の魂がお帰りになられた。」と、酒垂山社殿を建てられた。
かつては「松崎天満宮」あるいは「松崎天神」と呼ばれ、
1953年に防府天満宮となった。
<防府の人に聞いた話>(教えてもらったままを記入。言葉の間違いや不適切な表現あり、かも)
*梅がたくさん咲いて、きれい。
*学問の神様なので、正月には県外から受験の合格祈願に来る人もいる
・受験に合格した人のはちまきを受け継ぐ「合格はちまき」がある。
*「御神幸祭(ごしんこうさい)」といって、
おあじろを防府天満宮からお旅所(勝間の浦)まで運んで往復する行事がある。
・「裸坊祭(はだかぼうまつり)」。昔は旧暦10月15日の満月に行われていたが、
現在はそれに近い土曜日に行われている。
・おあじろは大きくて重いので、長い石段をおろすが大変。
・昔は雪がちらついて寒かったけれど今はそうでもない。
・参加する人が減ってさびしくなった。
*節分の日に「牛替神事(うしかえしんじ)」といって、牛が当たるくじ引きがある。
・本物の牛が当たると、御神幸祭まで育てなくてはならなくて大変なのでこれは当たりたくない。
3. 日本三大天神について
福岡の太宰府天満宮と京都の北野天満宮、山口県の防府天満宮と言われている。
<太宰府天満宮について>
905年 道真の墓の上に建てられた。
*お墓の場所は、亡くなった道真を運ぶ牛が動かなくなった所。
<北野天満宮について>
947年 道真の怨霊の怒りを鎮めるために建てられた。
*道真の死後に藤原時平が亡くなったり、都で天変地異が続いたりして、
道真の怨霊の祟りだとおそれられたから。987年に「北野天満宮」となった。
<大阪天満宮について>(防府天満宮ではなくこちらとする説があるので調べた)
大将軍社の前に突然7本の松が生え、夜ごとにその梢(こずえ)が金色の霊光を放ったといわれ、
これは道真に縁があるからだ、と建てられた。
<知っていますかアンケート>(協力者:近所の人、歯科医院、私の友人知人)
4. まとめ
*天満宮には学問の神様である菅原道真がまつられている。
*最初に建てられたのは山口県の防府天満宮である。
*菅原道真といったら、牛と梅。
*日本の三大天神として有名なのは、太宰府天満宮、北野天満宮、大阪天満宮だった。
防府天満宮は名前すらあまり知られてなかった。
5. 感想(誤字脱字の見逃しあり)
以上、「かわいそう」で片付けられた ( ノД`)しくしく
ついでの話だが、もうじき迎える節分の牛替神事といえば、母がよく品物を当てた。
(なぜ「母が」と思うのかはわからないのだが、母が。出かけたのが母とだったから?)
未だに覚えている大きなものでは、こども学習事典セットやストーブなど。
今じゃなんてことないけれど、当時は高価だったんじゃないかな。
こうしたお祭りが楽しくて待ち遠しかった時代が懐かしい。
天満宮の清掃係だった祖母が的屋さんからりんご飴や回転焼きなどの
残り物をもらって帰ってくることがあったのは、さらに懐かしい。
(母は「ほこりがして汚い」と言って買ってくれなかった。)
祖母と言えば…
節分に最後に訪れたのは、市内の代表的な事業所から数名ずつの女性社員が集められて
巫女として奉仕したときで(いくつのときだ?巫女さんの定年以下だった?)、
まさか社会人になってまで巫女の機会があるとは思わず嬉しかったのだけれど、
高校時代から何度も巫女として天満宮入りさせてもらったのに、
子どもの頃、「私は大きくなったら巫女さんになりたい」と話していた祖母に
一度もその姿を見せられなかったのは残念なことだったなぁ(と、今気づいた)。